『神さまショッピング』
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「小説の神さまに会いにいく」
[文] 新潮社

角田光代さんと小川洋子さん
作家の角田光代さんと小川洋子さんは、同じ文芸誌「海燕」で小説家としてデビューされ、最初の担当編集者も同じという、文学的な背景に多くの共通点をお持ちです。
互いに縁を感じてこられたお二人ですが、意外にも今回が初めての対談となりました。
「何かを信じる」というテーマに深い関心を寄せるお二人が、角田さんの最新刊『神さまショッピング』を軸に、信じることや願うこと、神さまという存在について語り合った対話をお届けします。【全2回(前編/後編)の前編】
(本記事は「新潮」2025年11月号に掲載した記事を再編集したものです)
世界各国の神さまに会いにいく
角田 小川さんと対談するのは今回が初めてですが、いろいろと共通点がありますよね。まず大学の学部が文芸専修というのがいっしょで、卒業論文の指導教官が平岡篤頼先生。平岡先生が長く学生の卒論を見てきた中で二人だけA評価の学生がいて、それが小川さんと私だとお聞きしました。私の一番の自慢です。
小川 それは初耳です。嬉しいですね。角田さんとはデビューした雑誌「海燕」も一緒ですが、角田さんや佐伯一麦さんのように「海燕」から出てきた人たちには、私は勝手に親近感を持っているんですよ。
角田 私もです。
小川 さて、角田さんの最新短篇集『神さまショッピング』、拝読しました。これはずっと「新潮」で書き継いでこられたんですね。でも、最初の作品「神さまに会いにいく」を2014年に発表されて、2作目の「落ちない岩」が2020年。その後はコンスタントに発表されて、最後の作品「絶望退治」が2025年と、最初の作品から結構時間がかかっていますね。
角田 一作目と二作目の間に『源氏物語』の現代語訳があったんです。その間は他の仕事をセーブしていて。この作品集はちょうどその前後に書いたものです。
小川 この間に『源氏』が挟まっているんですね! そういう目で見ると、また味わい深いです。最初から神さまに関わる短篇にしていこうという計画だったんですか?
角田 そうですね。世界各国の神さまに会いにいく話にしようというのは思っていました。
小川 一作目の「神さまに会いにいく」というタイトルを見て、きっとこの短篇集は、精神的に神を感じるというようなお話が多いのかなと勝手に想像していたのですが、読んでみたら「あ、やっぱり角田さん、肉体を動かさないと始まらないんだな」とわかりました。まさに世界各国へ物理的に肉体を運ぶところから始めているのが、角田さんらしいやり方です。
角田 私は自分の中でゆっくり対話をするように、神さま、あるいは神的なものを求めるということが、わかっていないんだと思うんです。神さまは外にいて、こちらから会いにいくイメージがあるんだと思います。特定の信仰を持たない人間にとって、神さまや人智を超えるものを感じるのはどういう時なんだろうという疑問があって。日常の中においてなのか、それとも特定の場所にいって感じるものなのか……。小川さんは金光教という信仰がおありですが、どう思われますか。
小川 はい。金光教の信者の家に生まれました。日本は宗教を選べる不思議な国ですよね。例えば、多くの国では宗教は選ぶものじゃなく、その地に生まれたからには、という宿命みたいなもの。だけど日本はそこが曖昧で、大人になってから、もちろん子供でも構いませんが、自由に選ぶことが許されるし、持たない自由もある。途中で変えてもいいし、場面によって取っ替え引っ替えもできる。
『神さまショッピング』ではそういう日本の宗教観の中で、いろいろな人が揺れ動きますよね。けれど、チケットを買って荷作りして飛行機に乗ろうとすること自体が、もうすでにある意味で神と向かい合う、神的な体験なのだと思います。この作品の中に出てくる登場人物はみんな、神さまというキーワードが心の中に浮かんだ段階で、何かもうことが始まっているという感じがしますね。
角田 それはまったく思いつきませんでした。登場人物たちは、信じるべき何ものかを持たない人たち、という設定で書いたので、聖地に行って神さまと向き合ったときに、そこで信心が生まれるのか、神秘体験をするのか、というようなことを考えていたのですが、なるほど、会いにいこうと決意するときには、もう、神的存在に触れているとも考えられるのですね。
願いが出てこない
小川 面白いのは、みんな神に会いにいく非常に強い動機を持っていますが、じゃあ会って抱えていた問題が解決したかというと、何ひとつ解決しないんですよね。しかし、読者には「行った甲斐があったな」とも感じられる。書き手としては、行った甲斐があったという着地にしようという意図はあったんですか?
角田 私の場合、どの小説でも書き始めの時はいつもそれがあるんですよ。どこかへ行くからには、現実が片付くということはないにしても、この登場人物が心の安定みたいなものを得て、帰ってくるようにしてあげようと思うんですが、書いていてそこに至らないこともよくありました。実際に私自身、聖地巡りがとても好きで、行く前は何をお願いしようか非常にたくさん考えるんですね。けれど大人になってから、神社などで願掛けをするときに「お金持ちになれますように」とか「宝くじが当たりますように」といった自分本位のお願いをしてはいけなくて、まずは神さまに対してお礼を言わなきゃいけないというような決まりごとというのか、しきたりというのか、そういうのを耳にしまして、そのせいなのか、どんなお願いをしてもいいと言われる聖地へ行った時でさえ、考えても考えても願いが出てこないんですよね。どうしようもなくて、「世界平和」のような漠然としたことを思って帰ってきてしまうんです。
結局、自分のことを言えなかったと思う瞬間がいつもあって。そういう時に、祈りって何なんだろうとか、「神さま」という言葉が相応しくなければ、人智を超えたものと向き合うというのはどういうことなのかと、自分自身でも非常に考えるんです。ですからこの作品集でも、登場人物たちが聖地と言われる場所を訪れるまでは「あれを叶えてもらおう、これをお願いしよう」と考えていても、結局その場所では何も願えなくなったり、「これを言ったら逆に罰が当たるんじゃないか」と怯えたりしちゃう。もっと具体的に、例えばライバルがいて、そいつを蹴落とせますように、そいつが怪我しますように、と願うような人を出してもよかったのかなと思いはしたのですが。
小川 確かに、登場人物たちには父親を殺してほしいとか、息子と縁が切れますようにというような強烈な願いごとがありますが、いざとなるとお願いができない。それはどういうことなのかというと、彼らは恨みや怒りを感じているんだけれど、それを対象に向けてぶつけるのではなく、ぐるーっと神さまの周りを回って本人に戻ってきた時に、それを受け止めることができる人たちだということなんですよね。
もし恨みっぱなしだったら、神さまのところに行っても「どうか父親が死にますように」と祈ることができるけれど、ここに出てくる人たちは、ただ単に怒りを抱えるだけの人じゃない。一方通行ではなくて、必ずそれを自らの問題にしている人たちなんですよ。だから、肝心なことを口に出せない。なぜならそれは自分自身を否定することになるからです。ですから、すごく人間くさいですよね。人を恨むけど、恨みきれない。恨みきれたら楽なんですよね。
角田 言われてみれば、確かにそうですね。そのように深く読んでくださって、ありがたいです。
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角田光代
1967年神奈川県生れ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、11年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、14年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞、21年『源氏物語』(全3巻)訳で読売文学賞(研究・翻訳賞)、25年『方舟を燃やす』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『キッドナップ・ツアー』『くまちゃん』『笹の舟で海をわたる』『坂の途中の家』『タラント』他エッセイなど多数。
小川洋子
1962年岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。91年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。『博士の愛した数式』(読売文学賞、本屋大賞)、『薬指の標本』『いつも彼らはどこかに』『生きるとは、自分の物語をつくること』(河合隼雄との対話)はじめ多くの小説・エッセイがあり、海外にも愛読者を持つ。芥川賞選考委員、河合隼雄物語賞選考委員など。小説の最新作は『サイレントシンガー』(文藝春秋)。


























