「とりあえず東大」で、劣等感に苛まれる日々から古生物学者になるまで【藤原慎一×泉賢太郎】

対談・鼎談

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  • ディノサンえほん きょうりゅうえんへいこう
  • ディノサン 1
  • 6億年の博物旅 1

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[文] 新潮社


藤原慎一さん(名古屋大学博物館)・泉賢太郎さん(千葉大学)

「古生物マンガ」というジャンルをご存じでしょうか。

 誰も目にしたことのない太古の世界を、ただの妄想ではとどまらず科学考証に基づき“ガチ”で描き、界隈ファンも垂涎(よだれだらだら)ものの作品を指します。

 恐竜が現代に生きて飼育されている世界を描いた『ディノサン』(新潮社)やタイムマシンによって太古の時代にもアクセスができるようになった世界を描いた『6億年の博物旅』(芳文社)もその一例です。

 そして、それらの作品の質を高め説得力を持たせるために、欠かせないのが「監修者」という存在。

 実際に古生物を専門として学問に日々向き合う研究者は、監修者としてマンガというエンタメにどのように関わり作品を作っているのでしょうか。

 今回、『ディノサン』を監修する名古屋大学博物館の藤原慎一先生と『6億年の博物旅』の監修者である千葉大学の泉賢太郎先生に「古生物学者になった理由」「制作秘話」などを伺いました。

出会いは本郷キャンパス

――藤原先生と泉先生は同じ東京大学出身との事ですが、当時から交流はありましたか?

泉賢太郎(以下、泉):「進化古生物学セミナー」の先輩後輩ではありましたが、ちょうど入れ違いでした。

藤原慎一(以下、藤原):ちょうど私が学位を取得するぐらいの時期に、泉くんが学部4年だったんでしたっけね。

泉:ですが、本郷のキャンパスの理学部7号館でお会いしたことを思い出しました。何の折かは忘れましたけど、飲み会でご一緒したのが最初です。あと、私が応援部だった時の練習場所と院生時代の藤原さんの部屋が近かったので、目撃されていたんじゃないかと……。

藤原:そう。土日になるとすごい外でうるさいんですよ(笑)。今でこそ泉くんはこんなさわやかな風貌をしていますが、騙されてはいけませんよ。学生時代は剃りこみ入れて学ラン着て本当に怪しいやつだったんですよ。

泉:それはその通りです(笑)。藤原さんは何かやっていましたか?

藤原:サークルですが、剣道をやっていました。

泉:セミナーの先輩たちはなぜか武闘派が多かったですよね。たまたまそういう人たちが、今研究者になっているというだけかもしれないですけど……。

きっかけは図鑑

――お二人はどんな幼少期を過ごされていましたか。

藤原:私はヒサクニヒコさんが書かれた恐竜図鑑がきっかけで、保育園の頃から恐竜好きでした。あと、ゾイドが発売され始めた頃で、カッコいいなと思って。うちの親は財布の紐がめちゃくちゃ堅かったので、当然買ってはもらえず、お小遣いがもらえるようになった中学生くらいからやっと少しずつ買えるようになりました。でも、私は恐竜好きというより、どちらかというと図鑑好き少年でした。動物とかの名前を覚えるのが好きで。あと、小学生の頃は関口宏さんが司会の「わくわく動物ランド」(TBS系)に結構ハマっていましたね。

泉:動物全般に興味があったんですね。何か飼っていましたか?

藤原:ドジョウとか。その辺で取ってきて飼っていました(笑)。

泉:藤原さんの幼少期を伺って、自分もわりと似ているのかなと。やっぱり私の場合も図鑑です。図鑑は「花」「動物」「地球」とか一通り家に揃っていました。その中で一番心に残ったのが「地球」ですかね。恐竜も好きだったんですけど、思い返すと「昔の地球」みたいなのが好きで……。今とは全然違う環境に全然違う生き物がいたんだなというところに興味を持ちました。同じ理由で歴史も好きでしたね。日本の歴史とか世界の歴史とか。歴史系の学習漫画もよく読んでいました。ワクワクというかロマンを感じる原点はまあそこなのかな。


藤原慎一さん(名古屋大学博物館)

新潮社
2025年11月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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