『日本映画のために』
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<書評>『日本映画のために』蓮實重彥 著
[レビュアー] 風元正(文芸評論家)
◆作家と産業 擁護する批評
濱口竜介『寝ても覚めても』が公開された時、蓮實重彥の「日本映画はその第三の黄金期へと孤独に、だが確実に足を踏み入れる」というコメントを読み、同日公開された三宅唱『きみの鳥はうたえる』の2本を観に映画館へ駈(か)けつけた。あれから、もう7年経(た)ったのか、と思う。死の余韻が生々しい中、本書の「青山真治をみだりに追悼せずにおくために」を読めば、たまたま熱中していたテレビ東京の深夜ドラマ「シジュウカラ」の演出家が青山真治を師と仰ぐ大九明子だと教えられ、「映画狂人」の背中はますます遠い。
読了し、つい成瀬巳喜男『浮雲』を観てしまい、映画批評は人を映画に誘えればよい、と再確認した。40年間の日本映画についての論稿を編纂(へんさん)したという本書の目次を眺めれば、貧しいとはいえこちらの映画経験は蓮實の煽動(せんどう)に導かれてきたと思い返す。
「撮影所システム」についての一連の論考は示唆深く、なかでもその黄金時代の中心にいた城戸四郎の小伝「大震災で映画と出会った男」には蒙(もう)を啓(ひら)かれた。城戸はサイレント、トーキーの時代から島津保次郎・小津安二郎・清水宏・成瀬巳喜男などの活躍を支え、1960年代の大島渚の登場に手を貸した。そして、「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」は映画産業の深刻な斜陽化への窮余の対抗策だったが、評者にとり、大島渚と同じ32年生まれの石原慎太郎の登場が、出版産業の「撮影所システム」的な発展の契機となる盛衰のズレが興味深い。映画と出版のどちらも「システム」維持が明白に無理筋となった今、やはり新たな「作家」の登場と「批評」による擁護こそ必須なのか。山根貞男の死など避けえぬ老いと直面しつつ、若い映画作家達との対話には未来が宿る。
澤井信一郎、中島貞夫、神代辰巳、北野武など、同時代のフィルモグラフィーが文によって鮮やかに蘇(よみがえ)った。とりわけ黒沢清の新作とともに蓮實の批評を読む儀式は、いつまでも続いてほしいと願う。映画には必ず終わりがあるとしても。
(岩波書店・4070円)
1936年生まれ。フランス文学者、映画批評家。『伯爵夫人』など。
◆もう1冊
『他なる映画と 1・2』濱口竜介著(インスクリプト)


























