「もう、そんな言われたら泣きですわ」高額医療制度の見直しを説く医師と、「余命を口にすべきか」と問う作家 川上未映子×里見清一(後編)【死にゆくひととどう話すか】
対談・鼎談
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『患者と目を合わせない医者たち』
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[対談]川上未映子×里見清一/死にゆくひととどう話すか
[文] 新潮社

川上未映子さん
[対談]川上未映子×里見清一/死にゆくひととどう話すか
がん治療における抗がん剤や新薬の使用は、しばしば「どこまで続けるのか」という重い問いを突きつけます。
高額医療が医療制度を圧迫するなか、医師・里見清一さんは「過剰医療を見直さなければ制度は崩壊する」と警告。一方、作家・川上未映子さんは、母の闘病を通して「余命を伝えるべきか」「最後にどう寄り添えるか」という葛藤を抱えました。
医師と作家が熱っぽく語り合う対談から、医療の持続可能性と、人生の最期に交わされる言葉の力を考えます。
(本稿は里見清一さんの著書『患者と目を合わせない医者たち』の刊行に合わせて行われた対談を抜粋・編集した記事です)

川上未映子さんと里見清一さん
「間に合わない」と思いつつも
川上 いつまで、どんなふうに抗がん剤を使い続けるのか、という問題もあります。
里見 患者が末期で見込みがなくなっても、ご家族は「何でもやってください」と言い、医者も「では、どうせ効かないけどやりましょう」となる。治療しないで置いておいても仕方ないし、収益も上がらない。副作用で苦しむのは自分ではない。世の中、「何もしないよりはやったほうがいい」と思い込む人は多くて、マスコミもそれを煽りますからね。時間かけて説得するより、やってしまった方が手間もかからない。
川上 それは医療費とも関連してきますよね。先生は、このまま高額医療を野放しにしていくと、いまの医療システムは崩壊してしまうという危機感から、「SATOMI臨床研究プロジェクト(SCP)」という社団法人を設立されています。ホームページを拝見すると「バラ色の未来のためではなく 暗黒の未来にしないために」とありました。先生の主張をシンプルに言えば、医療制度が財政的に崩壊する前に医療費の無駄遣いをなくそう、ということですよね?
里見 そうです。本来、「人間は何のために生きるのか」とか「自分はどんなふうに死にたいのか」などということは、金銭的なこととは全然違う話として、きちんと考えなければいけなかった。残念ながら、それをしてこないまま、日本に金がなくなってきて、いまようやく、みんな嫌々考えざるを得なくなったけど、なにせ嫌々だから、随分と乱暴な話になる。「終末期治療は全額自己負担しろ」と主張する政党が出てきたり、「高齢者は集団自決しろ」なんて「暴言」が本質と関係なく出てきて騒ぎになったりするのも、その一環でしょう。SCPでやっている臨床研究の目的は、余計な薬の投与など過剰医療はやめて、治療を適正化しようということです。その過程で無駄なコストも省ける。薬はどんどん高くなっていて、よく効く薬も大して効かない薬も、非常に高価です。もうすぐ出る子供の筋ジストロフィー症の薬は四億円超だそうですが、こちらは効くらしい。小児科の先生はみんな悩んでいますが――。
川上 子供にはやるべきだと思います。
里見 まったくそう、子供たちのために遠慮することはない。一方で八十歳、九十歳の人を、半年か一年延命させるために何百万、何千万円と使い続けるのか、それはなんのためなのか、ということを真剣に考えないといけない。また、高い薬を製薬会社が言う量より少なく使っても、効果は変わらないだろうという例も数多くあります。ただそれはデータで実証していかないといけない。そんな使用制限や優先順位を考えて、治療を適正化し、コストを削減するための臨床研究なんて、誰一人として余分に治すわけではないから、とても地味な活動です。でも、いまのままでは、どんなにものすごい治療ができたとしても、ビル・ゲイツとイーロン・マスクしか受けられないような世の中になりかねません。
川上 少し下火になった言葉で言えば、「持続可能性」のある医療制度にしたいということですね。
里見 欧米では医療費のコストも副作用の中に入れています。だから、私たちの研究も副作用を抑えるためだし、何より、いま川上さんが言ってくれたように医療制度を持続可能性のあるものにするためでもあります。お前はなぜ自分の専門領域でそんなことをやるのか、よそにも医療の無駄は多いじゃないかとも言われますが、私は自分の専門である肺がんの治療なら無駄なものがある程度見当がつく。でも、他のがんや、高血圧や心臓病や糖尿病やアレルギーなどの治療の無駄は、やはりそれぞれの専門家じゃないとわからない。彼らにも声をあげてほしいのですが、なかなか広がりませんね。
川上 それぞれの専門家の方たちも、医療経済がどれだけ危険水域にあるかなんて説明されたらすぐわかることですよね。それでも腰をあげないのは、「少しでも延命したい」という患者の声もあるのでしょうが、「お金を儲けたい」みたいな欲のせいですか。
里見 お金よりも出世がしたいからでしょうね。新しい薬をばんばん使って成績をあげて論文を書いた方が医者は出世します。製薬会社の金でビジネスクラスに乗って海外の学会へ行ったらコネクションも広がりますしね。私も昔やったことだから、よくわかる(笑)。
川上 だから、「わざわざおれが言わなくてもいいか」みたいになっちゃう。
里見 ちょっと前に、横浜の病院で一緒に肺がんの告知を始めた昔の上司が電話をかけてきて、「やめとけ」と忠告してくれました。「どうせ、いまの医療制度は潰れるんだから、そして潰れたらみんなも目がさめるんだから。わざわざ他人に嫌がられることを言ってもお前が損するだけだぞ」って。でね、私だって内心は「たぶん、間に合わねえよなあ」と思ってます。臨床研究をして、ひとつの薬の費用を適正化していっても、年間で節約できるのはせいぜい百億か二百億円です。五兆円減税をして、その減収は国債発行で賄え、なんていう主張が世論の支持を集めている時に、そんな研究をしていても、もはや医療制度の崩壊は防ぎきれないと思う。
川上 でも、先生は続けるんですよね?
里見 蟷螂(とうろう)の斧もいいところですけどね。でも、近い将来に――例えば私たちの目の黒いうちに――中東に平和が来るとは誰も信じていないけれど、ではすべての和平交渉や平和活動は無意味なのかというと、そうではないでしょう? それと同じことですよ。

里見清一さん
その時、どんな言葉をかけられるか
川上 最後にもう一度、余命の話を伺わせてください。先ほど、先生は「余命についてはあまり口にしない」と仰いました。私は何人かの医師から「お母さんに余命を言った方がいい」と言われて、「余命を言うことは患者にとって何のメリットがありますか」と訊いたら、「自分はこれから良くなるんだと希望を持ち、周囲からもそう励まされているのに、病状が進んで身体がどんどんしんどくなる。そのギャップに耐えられなくなるんだ」と言われました。それでも絶対に「残されたのはこれくらい」とは母に言いたくありませんでした。けれどそのうちに母は抗がん剤が効かなくなって、転移も見つかった。その時、私はあるお医者さんに「これから先の治療に正解はありません」と言われたんです。「でも確かなのは、この先はとにかくお母さんができるだけ気分良く、楽しく過ごせる時間を増やしてあげることだと思います」と。
里見 そう言ってくれるのは、いい先生ですね。
川上 本当に感謝しています。それで緩和ケアに移ることになって、手続き上、どうしても母に余命を告げざるをえなくなりました。でも結局、緩和ケアに移るまえに亡くなりました。今でも伝えてよかったのかどうか、怖くなかったかな、と毎日考えますし、夢にも見ます。そのことを先日、養老孟司先生との対談で言ったら、養老先生は余命なんて言う必要はない、いよいよどうしようもなくなったら、そのときに、「やっぱりダメかもしれないね、と言えばいい」と仰ったんです。私、「えっ!」って驚いて、笑ってしまって。粘って粘って「やっぱりダメかもしれないね」って(笑)。でも「はよ言ってや!」と母は笑ってくれたかもしれません。母も私たち姉弟も大阪の人間だから、唯一の救いは、どんなに苦しい場面でも、ユーモアがあったことでした。余命を告げられても、母はプロテスタントの信者だったおかげもあってか、最後までしなやかでいてくれて、「みえちゃん、これが信仰の力やで!」と笑ってみせたし、私が驚かせようと、帯付きの百万円を「退院したら、これで好きなもの買うんやで!」って渡したら、ものすごくウケて受け取ってくれました。「人間、なんだかんだ簡単に死ねへんで、まだまだ働いてもらわな」みたいなことも大阪弁なら言えるし、相手も冗談で返してくるわけです。そんなことを言い合って、泣き笑いすることで少しは救われていたと思います。でも友人たちに聞くと、こんな会話って東京のマジメな家庭だとありえないらしいんですね。先生なら、どんな言葉をかけてあげますか?
里見 立川志の輔師匠が「一番簡単なのは相手を怒らせることで、その次が泣かせること。一番難しいのが笑わせることだ」と言っています。私はなかなかうまく笑わせるまではできないし、それこそ東京では下手に笑わそうとしてスベると惨憺たることになる。なので我ながらクサい言葉だとは思うのですが、こんなことを言ってます――いま、あなたの今後の経過に僕もまったく見通しが持てずにいます。だから、これから何らかの治療をしていくにあたって、僕はあなたの病状に良くも悪くも見通しを持って、上から眺めながら、「こっちへ行けばいい、あっちは危ない」と指図できるわけではありません。真っ暗な道を、あなたと僕が手をつないで、ただ手さぐり、足さぐりで進んでいくだけです。先が見えない状況が続きますが、それでも一緒に歩いていきましょう。
川上 ……もう、そんな言われたら泣きですわ。誰がそんなこと言うてくれはりますか。「ありがとう」しかなくなります。本当のことを告げるだけではなく、ただのきれいな言葉で患者におもねるのでもなくて、あなたは独りじゃない、あなたを独りにしない、と伝える強い言葉ですね。
里見 さっき話に出た患者とのコミュニケーションについての教育ビデオで、出てくるカナダの先生が、これから緩和ケアに行って、抗がん剤などの治療は止めるという患者に、そうなっても「You are still my patient. I am still your doctor.」と言っていました。緩和ケアには緩和ケアで医者がたくさんいるだろうけど、これからも私はあなたの担当医のままなんだよ、と。ほとんど口説き文句みたいだなと思いますが、そこまで言わないと、「先生に見放されたくないから、新しい抗がん剤でも何でもやってくれ」という話にやっぱりなるでしょうしね。
川上 いまの若い医師たちも、やがて、そんな言葉を言えるようになるのでしょうか?
里見 いまはそういう医師を育てないシステムになっていますからね。どこかの部長や教授は私の一つ下の世代でしょうが、そんなことを教えていたら病院や教室の運営なんかできないでしょう。私が若い頃、特に救命センターにいた時なんて、本当にひっぱたかれ、どやされながら修業してきた。そうして「医者」になっていった。あんな人権蹂躙がいま許されるわけがない(笑)。だけどあの先生たちは、「自分たちと同じ仕事をやる奴らを育てる」つもりでシゴいてくださったのだと思います。これから先の医者は、私らと「同じ仕事」であるかどうか、私にはわからない。だから正直、何をどう「教えたらいい」のか、見当がつかない。
川上 先生は新書の中で、「『俺たちの頃』は、辛かった。『近頃の若い者』がそれを追体験する必要なんか、ないのだろう。だがだからと言ってべつに俺たちは、やり直したいなんて思わない。それはどうしてだろうか」と書いていましたね。打たれました。ほかにも、ふと顔をあげて胸を押さえたくなる文章が、たくさんありました。必読の書だと思います。
里見 これからも、例えば膵臓がんの手術でも白内障の手術でも、特殊領域の名人芸を極める医者は出てくると思います。だけど医者はそういう技術職に徹するだけでいいのだろうか。「最期を看取る」のは、すべての医者の仕事なのか、特殊な専門領域の医者だけの仕事なのか、ナースの方がいいのか、それともAIやロボットに任せるべきなのか。世の中が何を「医者」に望むのか、じゃないですかね。
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【前編】では<がん医療と告知の是非や緩和ケアの現状>、【中編】では<「患者が治療法を選ぶ」ことが当たり前になりつつあるがん治療の現場>などを語り合った対談をお届けします。
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川上未映子(かわかみ・みえこ)
『黄色い家』で読売文学賞、『夏物語』で毎日出版文化賞など受賞多数。他にも連作集『春のこわいもの』、村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など。40言語以上で読まれており、世界で最も新作が待たれる作家のひとり。
里見清一(さとみ・せいいち)
本名・國頭英夫。国立がんセンター中央病院内科などを経て日本赤十字社医療センター内科系統括診療部長。著作に『「人生百年」という不幸』『医学の勝利が国家を滅ぼす』『死にゆく患者と、どう話すか』など。


























