ザハ・ハディドの《新国立競技場》が建っていたらどうなっていたのか? 建築家・永山祐子と芥川賞作家・九段理江が建築と人の関わりを語る
対談・鼎談
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特別対談 九段理江×永山祐子 建てること、書くこと、未来を創り出すこと
[文] 新潮社

初顔合わせとなった九段さん(左)と永山さん。永山さんの事務所にて。
もしザハ・ハディドの《新国立競技場》が建っていたら、東京はどんな姿になっていたのだろうか?
大阪・関西万博のパビリオンなどを手掛け世界が注目する建築家・永山祐子さんと、建築家を主人公にした『東京都同情塔』で芥川賞を受賞した小説家・九段理江さんが、建築と人の関係、そして“アンビルト(実現しなかった建築)”について語り合った。
(※本稿は『芸術新潮』2024年7月号に掲載された対談を抜粋・編集した記事です)
一つの建築で世界は変わる
九段 芥川賞を受賞してから、いろいろな方と対談する機会があったのですが、建築家の方とお話しするのは初めてなんです。だから今日は本当に楽しみにしてきました。
永山 最初の建築家にご指名いただき光栄です。じつは今回のお話をいただく前に、事務所のスタッフから、私のように、高層建築に携わる女性建築家が主人公の小説があるよと聞いて、『東京都同情塔』はすでに入手して、読み進めていたところでした。
九段 ありがとうございます。執筆中は建築家になりたくてなりたくて、そんな気持ちを込めて書いた小説なので、建築家の方に読んでいただき感激です。……お読みになっていかがでしたか?
永山 主人公が建築家だからというだけでなく、物語が、柱と梁を一つ一つ緻密に積み上げて建てた塔のようなつくりになっていて、そういう意味ですごく建築的な、構築的な小説だなと感じました。
九段 嬉しいです。
永山 主人公の牧名沙羅が、「まだ起こっていない未来を、実際に見ているかのように幻視する」と独白する部分にも大いに共感しました。私はプランを考える際にわりと、こうあるべきだ!とある形(ヴィジョン)が見えてしまい、そこへ一直線というタイプなので。でも建築家のことはどうやってリサーチされたんですか?
九段 建築家の本をとにかくたくさん読みました。たとえば、『丹下健三都市論集』や隈研吾の『新・建築入門』や平松剛の『磯崎新の「都庁」』といった本を。彼らの、言葉を自在に操り、論理的かつ具体的に未来を描いてゆく構想力には衝撃を受けましたね。そしてその思考を自分なりに小説世界で表現したいという気持ちがとても強くなったんです。
永山 なるほど。ザハ・ハディドの《新国立競技場》が建つ東京という設定にも、そうきたか!という驚きと同時に納得感がありました。じつは私たちが描くプランも半分以上はアンビルトなんですよ。コンペ案は選ばれたもの以外は実現しないし、建築費も高騰して最初に描いた姿にならないこともしばしば。だからもしあれが建っていたら、という想像はよくするんです。

〈東京都同情塔〉は新宿御苑のプラタナス並木を通り抜けた先に建つという設定。
九段 このあいだメディアアーティストの落合陽一さんに「九段さんはロマンチストだ」と言われたんです。落合さんは、一つの建築で人の意識や世界が変わることはないというんです。私は正反対の考えで、もしザハの《新国立競技場》が建っていたら人の意識は変容し、社会のあり方はかなり違っていただろうという想定のもと小説を書いたのですが、永山さんはその点どう思われますか? 私はロマンチストすぎますか?
永山 そんなことないでしょう。たとえば一つ建築が建つと、その後建てられる周囲の建築は何らかの影響を受けます。特に日本は都市の中のコンテクストを大切にしているし、海外に行くと文化圏ごとにコンテクストの扱い方は違うことを実感します。そして国ごとに文化が異なるように、環境は人の精神性に何らかの作用をするでしょう。
九段 その意味でザハは、東京のコンテクストからまったく外れた建築を建てようとして反発にあったと思うのですが、永山さんはあのプランをどうご覧になりましたか?
永山 さすがに最初はビックリしました。もちろんザハの建築は提案スケッチなどを見ていて、アクションとしての建築として肯定的に捉えていたのですが、あのプランに関しては、ちょっと日本人が大事にしている部分に触れすぎていたかもしれません。ただ東京という都市はそんなにやわじゃないとも思っていて。もしザハの《新国立競技場》が建っていても、都市の変化が飲み込んでいたかもしれません。いずれにしろ世界中から観光客がやって来る一大名所になっていたでしょうね。
九段 たしかに、私もイギリスのグラスゴーにザハ建築(《リバーサイド博物館》2011年竣工)をわざわざ見にいきました。なかはいたって普通の博物館なのですが、あの異形の姿が放つパワーにはどうにも惹きつけられてしまう。
永山 ザハ案に関しては、もう少し時間をかけて話し合いができていればという思いがあります。最近日本人がどんどん近視眼的になっていて、長期的スパンの思考が必要なプロジェクトをまったく理解してもらえないと感じることも多々あるので。
九段 すごくわかります。たった10年ほど前のことなのに、ほとんどの人があの白紙撤回騒動のことを忘れてしまっていて。本を読まれた方が、あれ、ザハ案って結局建ったんだっけ?なんて混乱したりしている。小説をきっかけにもう一度ゆっくりあの騒動のことを振り返ってもらえたらという気持ちもあります。
共感しなくても建てる
永山 ところで小説の刑務所というアイディアは一体どこから?
九段 もともと『東京都同情塔』とは別に、刑務官と犯罪者の話を書いていたんですが、結局ボツになってしまった。そのときに編集者との会話のなかで“アンビルト”という言葉が出てきて、舞台となる刑務所の中身を書く前に、まず建築としての刑務所を考えてみたらどうだろうと思いついたのです。
永山 では2つの案が一緒になったような感じなんですね。
九段 でも今回外側のことを書いたら、もっと刑務所内部のことを知りたいという読者の方が結構いらして。
永山 そこは私も気になります。犯罪者を幸せによって閉じ込めるという、ユートピアとディストピアがひっくり返っているような世界は、ある種ホラーのようで実態はどうなっているの?と。
九段 そうですよね。永山さんは、刑務所を建てるプロジェクトがあったら参加されますか?
永山 どうでしょう。基本的に私は、そこを使う人の幸福のために建築をつくるんですよね。でも刑務所の居心地が良すぎたら、そこに入りたくて罪を犯す人が増えてしまうかもしれない。現実に刑務所の方が生きやすいと、軽犯罪を繰り返す人がいるように。だからとても難しい問題ですね。
九段 牧名沙羅も、〈シンパシータワートーキョー〉のコンセプトや思想に共感はしていないのですが、自分が美しいものを建てたいという欲望のために結局建ててしまう。
永山 私にもそういうところはあると思います。ほかの誰かが建てるのであれば、私が建てたいと思う。この建築は本当に必要だろうかと思うことがあっても、私が断って誰かが建てるよりは、自分が建てることによってより良いものにしたいという。建築家の性(さが)のようなものでしょうか。
























