宮下草薙の宮下兼史鷹が、前置きなしで妻に「愛してるよ」と伝えた理由

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「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか

『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』

著者
三宅 香帆 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/文学総記
ISBN
9784106111013
発売日
2025/09/18
価格
1,078円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[レビュアー] 宮下兼史鷹(お笑い芸人)

衝撃を受けたノンフィクション

 僕は本というと小説、中でも海外SFを読むことが多くて、この本に登場する作品だと『プロジェクト・ヘイル・メアリー』や『三体』は既に読んでいたので、それはそれで三宅さんの視点を楽しめました。

 一方で、新しい発見だったのはノンフィクション。「Yahoo!ニュース主催のノンフィクション本大賞が終わってしまってショックを受けたから、こうなったら自分で大賞を決めちゃおう」という話が出てくるんですけど、それを読んで、「そういえば俺、ノンフィクションの本ってあんまり読んだことないな」って気づいて。自分からはほとんど手に取らないんですが、三宅さんの文章を読んでいたらめちゃくちゃ興味が出てきて、紹介されていた『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』(三浦英之、集英社)を買って読んでみました。

 なんかもう、衝撃を受けましたね。面白かったとかすごかったとか、そういう一言で気軽に言い表せないほどの、深くて重いテーマが横たわっていました。「これを解決できる人っているのか?」と考え込んでしまう本でもありましたが、とにかく一気読み。最初は「毒殺があったのではないか」という疑惑から始まりますが、そこからどんどん発展し、より深刻な問題が見えてきて……とにかく胸に刺さります。

 僕らが今暮らしの中で考えることって、たとえば「今日の晩飯何にしよう」とかですよね。でもこの本に出てくるコンゴの子供たちは、「次のご飯が食べられるかどうか」という状況下にいる。あるいは僕はわりと趣味の時間を多く取るようにしていて、弟と一緒にゲームを作ったりとか、アイディアを出し合って創作活動をしたりすることに脳のリソースを割いているんですが、それがどれだけ幸せなことなのか、というのも痛感しました。本を閉じてすぐ、妻に「いつもありがとう愛してるよ」と伝えました。

 ……と、これ以上は『太陽の子』語りになってしまうのでこのへんでやめておきますが、とにかく三宅さんの術中にまんまとハマって読んだ結果、すごく引き込まれたので、「三宅賞」ノミネート作として紹介されていたあと2冊も読んでみようと思っています。今読んでいるのは、三宅さんが大賞に選んでいた、『母という呪縛 娘という牢獄』(齊藤彩、講談社)。ちなみにもう1冊、紹介されていたのは『ネット右翼になった父』(鈴木大介、講談社現代新書)です。それも読んで、僕なりの「宮下賞」を決めてみるのもいいかもしれないですね。

「つまらなかった」話も面白く語ることはできる

 本の冒頭で、三宅さんが「どうしたら話が面白い人になれるのでしょうか」という質問を受けるというくだりがあるのですが、僕が思うに、たぶんそういうことを考えちゃう人って、自分の中で勝手にハードルを設けたり、変にプレッシャーを感じてしまったりして、肩肘張りすぎているんだと思うんですよね。「面白い話をしなきゃ!」って。

 そうじゃなくて、別に「面白くなかった話」でもいいと思うんです。あなたがどんな感想を持っても、たとえば「つまんなかった」とか「気に入らなかった」とかでも、それを素直に話したら、案外人は面白く聞いてくれると思います。

 僕は妻と映画をよく観るんですが、観たあと、お互いに感想を言い合うんです。解釈が一致することもありますが、もちろんそうじゃないときもある。でも、実は一致したときより、意見が割れたときの方が楽しいんです。「え、なんでそう思ったの?」って聞いていくと、「なるほどね」って納得できたり、「そこ、俺はこう受け取ったけど」という話ができたり。そういうやりとりが僕は一番楽しい。

 思えば中学生のころ、人生で初めて女の子と映画を観に行ったときにも、その子が「すごく面白かった」という映画を僕が「いや、そう?」って返したせいで帰り道とんでもない空気になって、その後音沙汰なし、という出来事があったんですけど(笑)。でも僕は、そのときの感覚をすごく大事にしているんです。

 だって、人それぞれ感性は違って当然ですよね。そうじゃなきゃいけない。どんな傑作だって、全員が全員、面白いと思う物語なんて存在しないんですから。

 ただ、面白くなかったからと言って、ボロクソに全否定していいとも思いません。それは誰にだって簡単にできることだし、そうやって切り捨ててしまうのはただの怠慢というか。そうではなく、じゃあなぜ自分は面白くないと感じたのか、言語化して、人に伝える努力が必要なんだと思います。誰かが作ったものに反対するんだから、賛成するよりも、よほど細心の注意を払って、頭を回転させてやらなきゃいけない。それをさぼって、ただ「NO」判定で思考停止してしまうのは違うと思う。でも自分の確固たる意思があるなら、たとえ「つまんなかった」という結論であったとしても、それはそれで面白く語ることはできると思うんです。それで笑いが起きることだってあると思う。

 今はみんなが同じところに向かおうとする空気が強いから、そんな中で違うことを発言すると「なんでお前そんなこと言うんだよ」っていう同調圧力みたいなものもあるかもしれない。でも、みんなと意見が違うときこそ、自分の感覚を大事にしてほしいです。

 もしこれを読んでいる人の中で「自分の感覚はみんなと同じじゃないからダメかも」って縮こまって考えてしまいそうな人がいたら、そうじゃないよ、って声を大にして言いたいです。だって、ほかの人には見えていないものが見えているってことなんだから。

エンタメは楽しいもの

 とはいえ、エンタメの基本はやっぱり「楽しむこと」ですよね。

 僕、10代の頃は、芸人になろうか、漫画家になろうか、映画監督になろうか、って考えていたんです。それくらいその3つが好きで、なれるものならなりたいという選択肢も明確にその3つに絞られていた。それで、漫画を読んでも、芸人のネタを見ても、映画を観ても、「これは何がすごいのか」って、構造とか技術とかを作り手目線で分析し始めてしまう時期がありました。特に映画は、映画館で働いていたので、従業員だとタダで観られたんです。なので、休みの日は一日中映画を観続けて、それをひたすら分析したりして。

 でもそれを繰り返しているうちに、いつの間にか、作品を純粋に楽しめなくなっていることに気づいたんですよね。分析しすぎてしまうと疲れるんです。本来はただ無条件に楽しくて面白かったものなはずが、その感覚が薄くなってることに20歳くらいの時に気づいて危機感を持ちました。「この習慣、なんか良くないな」って。それで意識して戻そうとしてきて、最近になってようやくまた、無条件に楽しめるようになってきたなという実感があります。たとえば『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』とかを観て、ただただ「面白かったな、楽しかったな」って。もちろん粗探しをしようと思えばできるんでしょうけど、「楽しい」「面白い」って感じられたら、その時点でエンターテインメントとして成立していると思うし、純粋にそう思えるようになったのが、最近はなんだか幸せです。

 三宅さんの本も、いろんな作品を読み解いているけれど、そういう純粋な興味を引き出してくれる本でもあると思います。それこそ僕が『太陽の子』を読みたくなったみたいに。三宅さんの話を聞きながら、自分の中での解釈はこうだな、ああだな、と楽しんでみるのがおすすめです。

新潮社
2025年11月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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