『継ぐ者』
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【解説】どれだけ歳月を経ても、読み継がれる作家がいる――『継ぐ者』上田秀人【文庫巻末解説:細谷正充】
[レビュアー] カドブン
上田秀人『継ぐ者』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!

【解説】どれだけ歳月を経ても、読み継がれる作家がいる――『継ぐ者』上田秀人…
■ 上田秀人『継ぐ者』文庫巻末解説
解説
細谷 正充(文芸評論家)
どれだけ歳月を経ても、読み継がれる作家がいる。おそらく上田秀人は、そのような存在になることだろう。周知のように作者は、二〇二五年三月二十七日、病気によって死去した。一九九七年、第二十回小説CLUB新人賞に「身代わり吉右衛門」が佳作入選してデビューした作者は、二〇〇一年に徳間文庫から刊行した『竜門の衛』から始まる「将軍家見聞役 元八郎」シリーズを皮切りに、多数の文庫書き下ろし時代小説シリーズを発表、人気作家になった。一方で、歴史小説を単行本で上梓。旺盛な執筆活動をしていたのだ。それだけに突然の訃報に驚き、悲しんだものである。
しかし書店の棚を見ていると、その死後も作者の著書が当たり前のように並んでいる。「小説 野性時代」二〇二一年二月号から翌二二年四月号にかけて断続的に連載され、同年十二月にKADOKAWAから単行本で刊行された本書『継ぐ者』も、このように文庫化された。悲しいことだが、亡くなって新刊が出なくなった途端に、読まれなくなる作家もいる。しかし作者は違う。現在の書店の状況を見ると、これからも上田作品が読まれていくことが確信できるのである。
他にも作者の思い出など、書きたいことはたくさんあるのだが、きりがないので本書の内容に踏み込んでいこう。上田秀人の諸作を貫くテーマに“継承”がある。自分の血や身分を受け継いでほしいという願い。歴史や文化を受け継いでほしいという想い。これを戦国小説の武将や、時代小説の武士を通じて描き出しているのだ。ちなみに作者の著書が百冊を突破したとき、各社協賛による「100冊突破! 上田秀人全作品ブックガイド」という小冊子が作られたことがある。そこに作者のインタビューが掲載されている。私が聞き手だったのだが、「継承をよくテーマにしていますね」という質問に、
「継承というのは日本人が本気で考えないといけないところに差しかかってきていると思います。職人の方がいなくなっているとか、親の仕事を継がないのも当たり前になっている。もっとも僕も親の仕事を継いでないですから、言えた義理ではありませんが(笑)。自分なりに考えた継承を軸に書いていきたい。どこかで変わるかもしれませんが、しばらく僕のテーマはこれでいきたいと思っています」
といっている。作品ごとに題材の違いはあるが、作者のテーマの軸に継承があったことは間違いない。“どこかで変わるかもしれません”といいながら、最後まで継承というテーマは貫かれたのだ。徳川家康を主人公にした本書を読めば、そのことがよく分かるだろう。なるほど、信長・秀吉・家康という天下人三代を見たとき、唯一、掌握した天下を次世代に継承させたのは、家康だけである。まさに継承を語るには、相応しい主人公だ……と思ったら、なんと本書は家康の継承失敗譚であった。
物語は、桶狭間の戦いで幕を開け、築山殿一件で幕を下ろす。ちなみに築山殿一件とは、織田信長の意を受けた徳川家康が、元妻の築山殿と嫡男の松平信康を処断した騒動のことだ。事の発端は、信康の妻の五徳が、父親の信長に送った手紙である。そこには、築山殿の武田家内通、唐人との密通、五徳に関する讒言を息子の信康に行ったことなどが書かれていた。これに信長が怒り、家康は築山殿と信康を処断せざるを得なくなる。自害を迫られた築山殿は、拒否したために首を斬られる。その後、信康は自害に追い込まれた。
というのが築山殿一件の通説である。ただし、一連の騒動には幾つもの疑問点があり、未だに真実は明らかになっていない。そこに作者は目をつけ、父親と息子の関係という角度から、築山殿一件に至るまでの歴史の流れを、巧みに表現しているのである。
桶狭間の戦いにより、東海の雄である今川義元が信長に討ち取られた。今川家の人質として隠忍自重を強いられていた松平元康(徳川家康)は、これを絶好の機として独立を決意。三河を取り戻し、信長と同盟を結ぶ。だが、元康の妻の瀬名(築山殿)は、この動きについていけない。義元の妹を母とし、義元を義父とする瀬名は、ふたりの子供をつくりながらも、夫を見下し続けている。そんな妻を元康が愛せるわけもなく離縁した。
ここから、家康と築山殿と呼ぶことにする。ふたりの間に生まれた嫡男の松平信康は、今川の血を引いているため、徳川家の中では微妙な立場だ。家康が独立したとき、今川家に母親と一緒にいた幼い信康は、周囲から裏切り者の子として見られ、父親への複雑な思いもある。それでも家康は腹心の石川数正を傅役にして、信康を跡継ぎとして育てる。だが、信長から信康の妻を、五徳にするよう命じられた。天下人への道を勢いよく駆けあがっていく義父の信長に憧れをもち、戦場では猪武者になってしまう信康に、しだいに隔意を抱くようになる家康。さらに、築山殿の存在や、信康の子供の件など、問題が重なっていく。そして最後の一撃となる、新たな問題が持ち上がり、家康はある決断を下すのだった。
現在では一生懸命の方が多く使われるが、この四字熟語は元は“一所懸命”と書く。一所とは、自分の土地のこと。昔から武士は、己の所領を得たり、守るために、命懸けで戦ってきた。これが連綿と続いたからこそ、今でも日本人は土地に強いこだわりを持つのであろう。
さらに所領を守るのは、自分の血を受け継いだ子孫に継承してもらいたいからである。言葉遊びになるが“地”と“血”が分かちがたく結びつき、継承されることで、歴史が紡がれていくのだ。
だが、地と血がズレていく場合もある。本書を読めば理解できるだろう。必死で三河を取り戻し、さらに領地を拡大しようとする家康。今川の血を引く信康(ついでにいえば信康と五徳の子は今川と織田の血を引くことになる)に複雑な思いを抱えながら、初陣の相手に気をつかうなど、跡取りとして扱っていた。しかし信康には、父親の気持ちが伝わらない。武将としては感心できない、武勇の示し方をしてしまう。本書の中に、
「天下に手が届きかけている義父、隣国さえ従えられない実父。どちらに信康が憧憬を抱くかなど確認するまでもなかった」
という一文がある。たしかにこの当時の信長は巨大だ。それが自分の義父ともなれば、魅了される気持ちはよく分かる。家康の息子への接し方にも問題があるが、もう少し信康も、時代の中で藻搔く父親のことを理解すべきだった。それができなかったことで、父子の間に溝が生まれ、どんどん広がっていくのだ。史実をなぞりながら、今までにない家康と信康の関係性を活写した、作者の手腕が素晴らしい。
しかも最後で家康が行き着いた継承失敗の根本は、仕事が忙しくて家庭を疎かにしたことであった。このような理由による親子の相剋は、現代の日本でもよくある。だから、ストーリーが胸に響く。今と通じ合うアクチュアルな内容で読者の心を摑む、戦国小説の収穫なのだ。
痛快な時代エンターテインメントだけでなく、本書のような優れた歴史小説を、作者は何冊も残してくれた。大きなテーマである“継承”は、上田作品を読み継ぐ者がいる限り、受け継がれていくことだろう。あらためていうが作者と作品は、そのような存在であるのだ。



























