惣菜屋を営む60代後半の女性三人の日常に手に汗握る 井上荒野が初めて続編を描いた一冊

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キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ

『キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ』

著者
井上 荒野 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414944
発売日
2025/10/14
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

特集 井上荒野の世界

[レビュアー] 吉田伸子(書評家)

小説『照子と瑠衣』がドラマ化で注目された井上荒野さん。『つやのよる』『だれかの木琴』『結婚』など、多くの著作が映像化されている井上さんが初のシリーズ作品を刊行されているのはご存知だろうか。

「キャベツ炒めに捧ぐ」シリーズで、本作の登場人物たちの5年後が描かれた続編『キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ』も手がけている。

同シリーズは惣菜屋「ここ家」を営む江子、麻津子、郁子の三人の温かい日常が描かれた作品で、続編ではそれぞれが過去と向き合いながらも、前を向いて「ここ家」を日々営んでゆく様子が描かれている。

三人の女性の行く末を見守る同作の魅力とは何か? 書評家の吉野伸子さんが読みどころを綴った書評を紹介する。

 ***

わぁ、嬉しい! 「ここ家」の三人にまた会えるなんて。

本書は「ここ家」という街の惣菜屋さんを舞台に、そこで働く三人の女たち─江子(「ここ家」のオーナーでもある)、麻津子、郁子─のドラマを描いた『キャベツ炒めに捧ぐ』の続編である。単行本の刊行が二〇一一年(文庫化は二〇一四年)なので、十四年ぶり(!)の再会だ。

物語のなかでは五年の月日が経っていて、江子は六十六歳、麻津子は六十五歳、郁子は六十七歳になっている。五年の間に三人の背景も変わっている(郁子はそうでもないけど)。前作では、浮気相手(江子の友人! だった恵海)と再婚した元夫・白山(白さん)を忘れられず、その想いが解けない糸のように心に絡みついていた江子が、ようやくその糸を自らの手で断つまでが描かれていたが、本書ではその白さんは二年前に急逝している。

気の遠くなるような長い年月、たった一人の男、幼馴染の旬に片想いをしていた麻津子は、積年の念願が叶って、旬と結婚している。「ここ家」での旬の呼び名は相変わらず「ダーリン」だ。

郁子は、前作の「ふきのとう」で描かれていた義妹との関係復活から、穏やかなつながりを保っている。

「ここ家」御用達のお米屋さんの配達員だった進は、晴れて不動産会社の正社員になっている。ようやく就いた社員の座、とはいえ、どうもその会社は「ブラック企業」らしく、「ここ家」の三人は、それぞれこっそり気を揉んでいる。

まあ、五年経ってますからね。五年、って短いようで長い。「スーパー文珠」という四軒長屋の一角に「ここ家」はあるのだが、前作では、スナック(「ここ家」の三人が行きつけにしている「嵐」というお店)、豆腐屋、電気屋、そして「ここ家」だったのが、今ではスナックと「ここ家」の二軒しか店を開けていない。御多分に洩れず、シャッター街になりつつあるのだ。

三人それぞれの視点が章立ての連作短編になって語られていく。そしてその章タイトルが、どれもその章の内容に絡んだ食べ物になっている、という趣向は前作と同様なのだが、本書では大きな問題が出来する。それは、「立ち退き問題」だ。「スーパー文珠」が取り壊しになる、というのである。さぁ、どうなる、どうする?

本書に新たに登場するキャラクターは、江子たちが「ジェントルマン」と名付けた、上品な出で立ちの紳士、勅使河原だ。自らを「食いしん坊」だと自称する、「ここ家」の面々と同世代と思しきこの勅使河原。謎めいた彼の存在が、本書のポイントの一つ。もう一つのポイントは、突如「ここ家」で修業をさせてください、と志願してきた姫薇々という娘。「ここ家」で売られているようなお惣菜を作れるようになりたい、と。ちなみに、姫薇々はそれ以前はいつも閉店間際に駆け込んでくるため、麻津子が胸の中で「マギワ」と呼んでいた、その彼女だった(麻津子のこのセンス、好き!)。

洒落た身なり、柔らかい物腰、という勅使河原なんですが、なんとな~く胡散臭い。こういうちょいと裏がありそうなキャラを描かせたら、荒野さんは本当に巧い。案の定、「スーパー文珠」の立ち退き問題に勝手に首を突っ込んでくるあたりから、言動が、ん? んん? となっていく。

それにしても、本書に登場する食べ物の、相変わらず美味しそうなことといったら! 冒頭の「キャベツ炒め再び」は、白山の急逝にまつわるエピソードが描かれているのだけど、そしてそれは、胸の奥がちくんとするものなのだけど(前作あってこそ、の江子と白さんのやりとり!)、同時に、キノコ狩りとキノコ料理が、もう、たまらない。三人が持ち帰ったキノコをベースにして作ったのは「キノコ汁、キノコごはん、キノコのキッシュ」。そ、それ、全部ください、と思わず言いそうになってしまう。

果たして、立ち退き問題の顛末や、如何に。そちらについては、ぜひ本書をお読みください。ちょっとだけ触れるなら、「ここ家」の三人が出した結論というのがね、たまらないんですよ。あぁ、そうだね、それが一番みんながハッピーな解だ、と読み手の胸にすんなりと落ちる。そして、なんとも言えない、あたたかくて優しい心持ちになる。きっと「ここ家」のお惣菜を食べた時も、そんな感じなんだろうな、と思う。

同時に、人はたとえ幾つになったとしても、新たに冒険を始められるのだ、という荒野さんからのメッセージにもなっていて、そこがもう、最高。歳を重ねるとできないことも増えるけど、積み重ねてきた年月は伊達じゃないのだ。大丈夫。

叶うならば、七十代になった江子、麻津子、郁子たちと、また再会したい。強く、強く、そう思った。

角川春樹事務所 ランティエ
2025年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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