「小説に道徳とか正義とか倫理みたいなものは持ち込みたくない」作家・井上荒野が語った、書くことと生きること

対談・鼎談

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キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ

『キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ』

著者
井上 荒野 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414944
発売日
2025/10/14
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

特集 井上荒野の世界

[文] 角川春樹事務所

『私たちが轢かなかった鹿』が話題となり、『照子と瑠衣』が連続ドラマ化されるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いでめざましい活躍を続ける井上荒野さん。

 その井上さんが初めてシリーズとして手がけた作品があります。総菜屋「ここ家」を営む江子、麻津子、郁子の三人の温かい日常を描いた『キャベツ炒めに捧ぐ』です。

「こういう風に生きたい」と井上さんの思いが託されているという本作の魅力とは何か? 続編『キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ』を刊行した井上さんに、作家の原田ひ香さんが井上作品の深みや創作の姿勢、そして互いの共通点を深堀りした対談を紹介します。


井上荒野さん(左)と原田ひ香さん(撮影・島袋智子)

映像的というだけでなく、そこにストーリーとしての面白さと精神性の深さがある

――原田さんは井上さんの大ファンだそうですね。『そこにはいない男たちについて』の文庫に書かれた解説からもその思いが伝わってきますが、井上さんの小説との出会いはいつ頃でしょうか。

原田ひ香(以下、原田) 私は2007年に『はじまらないティータイム』でデビューしたのですが、その書評の中に荒野さんとの共通点みたいなことを書いてくださった方がいたんです。おこがましいですけど、とても嬉しくて。それからいろいろ読ませていただくようになり、すぐに夢中になりました。ただただすごいなぁと憧れを募らせていたのですが、『切羽へ』で直木賞を取られた際の記事などでデビューされてから悩まれたり、迷われたりして書けない時期があったことを知りました。荒野さんほどの方でもそうなんだととても勇気づけられ、支えにもなりました。

井上荒野(以下、井上) ありがとうございます。私のダメダメな時代が役に立っていたのね(笑)。

原田 解説にも書きましたが、大阪で行われた荒野さんのイベントに行ったのはまさにそんな頃でした。

井上 よく覚えています。来てくださった方には質問を書いてもらったのですが、それはもうびっしりと書かれていたのが原田さんで。

原田 思い掛けなくもお話することができました。それから何度かお目に掛かる機会をいただいていますが、いまだにドキドキしてしまいます。でも私だけじゃないと思います。特に女性作家のみなさんは荒野さんが好きですから。

――井上さんの小説のどんなところに惹かれているのでしょうか。

原田 文章の深みと言えばいいでしょうか。心理的なもの、その気配みたいなものの描き方の深さがすごい。だけど、ストーリー展開もちゃんとあって。それはミステリー的な要素もあるからなのではと思っています。例えば、私は『虫娘』が大好きなんですが、亡くなった女性の霊が自分を殺したのは誰だと彷徨うなんてまさにミステリーだし、その謎が作品をどんどん引っ張っていく要素になっていますよね。だから、あんなにも深みのある純文的な文体でも多くの作品が映像化されるのだと思います。

井上 映画とかドラマがめちゃくちゃ好きで、毎日一本見てるんですね。だからなのか、小説を書くときも映像的に書いてるみたいです。映像の人が読むと、絵が浮かびやすいんじゃないのかな。

原田 単に映像的というだけでなく、そこにストーリーとしての面白さと精神性の深さがあります。荒野さんにしか書けない文章だと思います。

それぞれが抱える過去、その記憶との折り合い方みたいなものを書きたい

――では、今回の『キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ』について伺います。前作から十四年を経ての続編ですが、その『キャベツ炒めに捧ぐ』は井上さんが食を題材に書かれた作品としては、『ベーコン』に続く二番目の小説ですね。

井上 そう。編集者から食べ物関係でって。専門的なことはわからないし、どうしようかと思っていたら、一人暮らしをしていた頃、家の近くにおいしいお惣菜を売っているお店があったなと。お惣菜なら自分で考えられると思って、お惣菜屋さんが舞台になりました。

原田 「ここ家」は魅力的です。どのお惣菜もおいしそうだし。それは荒野さんの料理の表現にあるように思うんです。私には思いつかないような食材の組み合わせがあって、その発想はもしかしたら料理をしない人だからなのかなと思ったぐらいです。後に「できる人」だと知り、一層唸らされました。

井上 食い意地が張っているということだと思う。それは自信がある(笑)。自分で料理をするときだって手のかかることは全然やらないし。ただ、簡単に作れておいしそうなものを探し出す手間だけは惜しまない、みたいな。

原田 それも料理ができる人だからですよ。どんな味がするといったことを書かなくてもおいしさが伝わってきます。あと、いいなと思うのが、江子が買ってきた食材を前に郁子と麻津子の三人で何を作ろうかと話すところです。炒めるとおいしいよねとか、何々と一緒に煮るのもいいよねとか、ポンポンとアイデアが出てきますよね。相談して一緒に作っていくことの楽しさが伝わってきて、その時間こそがこの小説の肝なんじゃないかと思います。

井上 「記憶」というのがこの小説のモチーフの一つなんです。ある程度の年齢になるとみんないろんな過去がありますよね。それぞれが抱える過去、その記憶との折り合い方みたいなものを書きたかった。食材を見て作りたくなる料理は、記憶と繋がっていたりしますよね。

原田 「“うちならこうするわ”という習慣と育ちがその人を肉厚にする」と読みながらメモしたのですが、料理にはその人の習慣や育った環境が表れますよね。この小説に登場する料理にも三人の過去が映し出されています。

井上 その人が生きてきた記憶でもありますよね、食べ物って。人物像もそんなところから立ち上がったりするし。それも含めて前作では記憶とカタをつけた三人として書き切ったつもりだったの。まさか続編を書くことになるとは思っていなかった(笑)。

小説に道徳とか正義とか倫理みたいなものは持ち込みたくない

原田 なぜ書かれることに? 続編は珍しいですよね。

井上 初めてです、続き物。なぜって……、書いてほしいって圧が、編集者の(笑)。

原田 嬉しいです、また江子たちに会えて。進君も前作から成長している感じでしたが、モテの要素はそのままで。そうしたモテる男性の書き方も荒野さんは素晴らしくて納得感があります。うん、こういう人にはやられちゃうよなって(笑)。そんな中、今回登場している勅使河原さんはちょっと珍しいタイプだなと思ったのですが。

井上 変な人を書きたいんですよね。世間的には変じゃないかもしれないけど、ちょっと付き合うと変な人っているでしょう。私は人物にメッセージを託したり、何かの役目を負わせて出すということはあまりしたくないんだけれど、勅使河原さんには世間ってこんな感じだよね、こういう風に今はできてるよねっていうのが出ちゃったような気がします。

原田 その一方で、江子たち三人は世間を気にしていないというか……。荒野さんの彼女たちへの愛情を感じる部分でもあります。

井上 江子たちには、こういう風に生きたいという私の思いをつい託しちゃったなぁとは思う。私は、小説に道徳とか正義とか倫理みたいなものは持ち込みたくないの。あの三人だって正義の人ではないよね。でも、こうありたいというのと世間の風潮には我慢ならないみたいなものは重なってもいるから、それを大真面目にやると道徳の教科書みたいになってしまう。だからコミカルに振って。そうするとね、「白荒野」になる気がする。

――「キャベツ炒め」シリーズは「白」ですか。

井上 うん。私の中では真っ白(笑)。

――原田さんも温かな印象の「白」と不穏な空気感が漂う「黒」がありますよね。

原田 そうですね。デビューの頃は純文っぽいものを書いていたので「黒」だったと思いますし、本来はそうなのかもしれないですね。あまり意識はしていないのですが。

井上 『DRY』を読んで驚いた。ドライってそういう意味なんだって(笑)。

原田 あれは皆さん驚かれるみたいで(笑)。ミイラの作り方とか、ミイラに関する本はすごく読みましたね。

井上 グロいシーンもお料理教室みたいになってて面白かったぁ。

原田 遺体を切るのって、女の人は意外とできるって言いますよね。お料理をするから。体を切断する道具もお料理の道具に近いものがあるし。

井上 近くはないでしょう(笑)。ただね、作品のいろんなシーンから原田さんもお料理が好きなんだなというのはわかります。

欲望は枯れていくはずだっていうのにちょっと抗いたい

――お二人にはやはり共通点が多そうですね。

原田 いえ、荒野さんは雲の上の存在だと思わされるばかりです。今回の続編もそうですけど、この数年は次々と作品を発表されていますよね。年齢を重ねてきて辛くなってきたとか、あまりお感じになっていないのですか。

井上 体力的にどうこうというのはまだないし、連載の依頼が来れば受けちゃうしね。だって稼がないと(笑)。それに、これを書きたい、こういうのも書きたいなってまだまだあるんですよね。

原田 プライベートでも運転免許を取られたり、移住されたのもすごくびっくりしました。

井上 自分でもびっくり(笑)。六、七年前から別荘と東京を行ったり来たりはしていたんです。そうしたらコロナが始まって、オンラインでいろいろできるようになったでしょ。その土地での暮らしも気に入っていたから、だったらこっちでもいいじゃないって。それで長野に家を建てました。私が60歳で、夫は70歳ぐらいで。最初はね、あと何年住めるかわからないって笑っていたけど、あと何年しかないなら、その時間を納得のいくように、自分が一番やりたいようにやったほうがいいんじゃないのって。その頃からどんどんアグレッシブな考え方に変わっていった。年を取って楽になりたくないかと聞かれることもあるけど、楽にならなくていい。欲望は枯れていくはずだっていうのにもちょっと抗いたいとも思うし。もちろん体は衰えていくからできないことは増えていると思うけど、欲望も同じペースで減らしていく必要はないと思うんですよね。

原田 私は50歳を過ぎたぐらいから、この先どうしていこうかなと考えるようになったんですね。小説の仕事がずっとできるかわからないけど、書いていきたい気持ちはあるので、だったらどんな生き方ができるのかと。なんとなくモヤモヤッとした気持ちでしたが、荒野さんのお話を伺ってすごく元気になりました。

井上 私は年を取るということに対して肯定的な気持ちがあって、それは今回の小説にも出ていると思う。年をとってもやっぱり生きていく。あの三人のそんな姿を書きたかった。

原田 それにふさわしい素敵なラストでしたね。

井上 ありがとうございます。ただね、おいしいものを食べて回復していくっていうのは前作でやったから同じことはできないなと思っていたの。でもやっぱり、おいしいものを食べればなんとかなる、になっちゃったかな(笑)。

 ***

【著者略歴】
井上荒野(いのうえ・あれの)
東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。1989年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞を受賞しデビュー。2004年『潤一』で第11回島清恋愛文学賞、2008年『切羽へ』で第139回直木賞、2011年『そこへ行くな』で第6回中央公論文芸賞、2016年『赤へ』で第29回柴田錬三郎賞、2018年『その話は今日はやめておきましょう』で第35回織田作之助賞をそれぞれ受賞。『ベーコン』『キャベツ炒めに捧ぐ』『あちらにいる鬼』『照子と瑠衣』などの小説のほか、『あなたが うまれた ひ』『オカネ・モッチャが見つけたしあわせ』など絵本の翻訳も手掛けている。

【聞き手紹介】
原田ひ香(はらだ・ひか)
2005年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ドラマ大賞、2007年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。ドラマ化もされベストセラーとなった『三千円の使いかた』『一橋桐子(76)の犯罪日記』の他、『古本食堂』『古本食堂 新装開店』「三人屋」「ランチ酒」シリーズ、『母親ウエスタン』『口福のレシピ』『DRY』『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』『財布は踊る』『まずはこれ食べて』『図書館のお夜食』『喫茶おじさん』『定食屋「雑」』『月収』『一橋桐子(79)の相談日記』など著書多数。

構成:石井美由貴 写真:島袋智子

角川春樹事務所 ランティエ
2025年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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