『彼の左手は蛇』
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社会正義ではないテロ――個人的不満の高まりで、人は心に蛇を宿す
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部教授、文芸評論家)
たとえば聖書で「蛇」と言えば、エヴァをたぶらかし、神から呪われたのは有名だろうが、のちにイスラエルの民をエジプトから引き連れたモーセは、青銅の蛇を使って民を癒やした。しかも、この青銅の蛇は新約聖書ではイエス・キリストの象徴とされ、イエス自身も「蛇のように賢くなれ」と、蛇をよきものとして語っている。かくも毀誉褒貶の甚だしい生き物が他にいるだろうか。そしてそれが左手になるとは、何を意味しているのだろうか。
自身の左手に蛇が宿っていると信じる主人公は、その手を使ってテロを企てる。標的は兵器を作る会社の外部取締役で、次期の米大統領選に立候補するとも噂されるロー・Kという人物である。それだけ聞くと、大義のために立ち上がったと思われるかもしれないが、直接の動機はもう少し狭く、自分の話したことがある少年がその会社が作った兵器で殺されたから、という個人的なものだ。
いや、さらに深く彼の心に分け入れば、幼少期に親から受けた仕打ちに起因する心の傷が関係しているだろう。あるいは、仕事と恋人を失ったということもある。
傷心を抱えて移住してきた蛇信仰の残る町で、たまたま何種類もの毒蛇が脱走したという事件が背中を押したのかもしれない。
つまり、このテロは大いなる正義に向かって一直線に突き進むものではなく、テロリストの不幸な個人的事情が積み重なって、爆発の寸前まで膨らんでいるということだ。
法に則らないからこそテロであり、しかし社会正義を目指すようで、またしかしその動機は個人的なものにすぎないという両義性は、蛇神に通ずる。自身の状況に対する不満が高まると、人は心に蛇を宿す。社会悪に対する怒りはほんとうに義憤なのか、またそれを正そうとする方法ははたして正しいか。そう問うことのないかぎり、テロリストの種は蒔かれつづける。


























