『いつか深い穴に落ちるまで』
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【解説】空想力のブレーキペダルを踏まない男――『いつか深い穴に落ちるまで』山野辺太郎【文庫巻末解説:豊﨑由美】
[レビュアー] カドブン
山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!

【解説】空想力のブレーキペダルを踏まない男――『いつか深い穴に落ちるまで』…
■ 山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』文庫巻末解説
解説
豊﨑 由美(書評家)
中学の頃、星新一ファンの男子から、ブラジルが陥没した勢いで押し出されるように日本が突出し、列島がヒマラヤ山脈級の高度と化して大騒動というショート・ショートを読まされ、「ありえねー」と笑い呆れながら「こいつ、天才か?」と感心したことがある。
それから幾星霜、まったく同じ感想を抱いたのが山野辺太郎のデビュー作『いつか深い穴に落ちるまで』だったのだ。
敗戦から数年後、運輸省の若手官僚・山本清晴によって奇想/起草された、闇市のやきとり屋で豚の肝を串で貫通させるように、温泉を掘る技術を用いて日本とブラジルを直線で結ぶ計画。ブラジル側の了承も得、予算をめぐる大蔵省との果てしない攻防に終止符が打たれて、いよいよ実現に向けて動き出す時が来た。この内密の事業を請け負うために大手建設会社の子会社が設立され、そこに入社して広報係となったのが〈僕〉鈴木一夫。
小説本篇より先に解説から読まれている皆さんは、ここで早くも「ありえねー」と失笑していることでありましょう。わたしも初めて読んだ時には笑いました。が、しかし、いったん地球内部の構造を忘れて読み進めていってください。山梨県の山あいに建つプレハブ三階建ての事務所並びに宿舎の狭い自室で約35年間を過ごすことになった鈴木一夫の、広報係としての記録というスタイルをとったこのトンデモ小説に魅了されること請け合いですから。
日本とブラジルの双方から掘り進められていく深い穴。まずは、〈この穴の計画発案から事業開始に至るまでの前史を調べ、文書化すること〉から仕事を始めた若き日の〈僕〉は、この長い年月の間にさまざまな経験を積んでいくことになる。
ブラジル側で自分と同じ広報の職についている女性ルイーザに、写真を見ただけで抱いてしまう恋心。発案者である清晴の息子から聞く、人間魚雷の搭乗員として死ぬはずだったという清晴の戦争体験。ポーランドからやってきた、スパイかもしれない謎の男コヴァルスキとの温泉巡り。〈ポーランドという国は、繰り返し、この世界から姿を消しているんです〉と語りかけるコヴァルスキの、日本の計画に期待しているのは〈わたしたちは、今度危機があったら国土を全部丸めて穴のなかに持ち込んで、危機が去ったら穴の向こう(ニュージーランド←筆者註)の羊と一緒に戻って〉きたいからという言葉。そんな切実な願いを受けとめる一方で、金正日の長男・金正男を彷彿とさせる人物の女性秘書と東京ディズニーランドデートを楽しみ、ワンナイトラブに至ってしまう〈僕〉。
そうした見聞や体験、穴掘りの進捗を、プライベートなエピソードも交えながら、淡々とした文章で記録に残していく。仕事以外は他県に出て行くこともなく、事務所と穴を掘ってるうちに湧き出た温泉と四畳半の自室を行き来するだけで、結婚もせず、独り身のまま約35年間を過ごしてしまう。そんな〈僕〉の平凡と非凡の境目を見失いそうになる人物造型と、日本とブラジルを穴を掘って一直線に結ぶという奇想が、一種異様な迫力と脱力をもって読者ににじり寄ってくる小説なのだ。
25歳の無職の主人公がスポーツ新聞の求人欄で目にした〈渾沌島取材記者/経験不問要覚悟/長期可薄給裸有〉という三行広告に応募し、島なのか生命体なのか判然としない存在の調査と保護を目的とする船に乗り込むことになる『こんとんの居場所』(国書刊行会)。少年時代に行方をくらませた父親から伝えられた恐竜時代の記憶を、中年になって「世界オーラルヒストリー学会」で披露することになった男の物語『恐竜時代が終わらない』(書肆侃侃房)。
『いつか深い穴に落ちるまで』の後に発表した作品においても、山野辺太郎は空想力のブレーキペダルを踏まない。科学的根拠を一切示さないまま、空想のアクセルを踏み続ける。で、突き抜ける。
日本とブラジル双方から掘り進めて貫通した暁にはどうするのか。競泳用の水泳パンツ一丁姿の鈴木一夫が“人間魚雷”のごとく頭から飛び込んでいくのである。〈現場の人たちは地球を掘りつづけて、穴を築き上げました。僕は言葉を使って、穴の歴史をささやかながらつむいできました。僕にだって穴をつくってきた責任がある。責任を、まっとうしたいんです〉というプライドをもって。
では、ブラジル側は鈴木をどうやって迎えるのか。網で、なのである。
〈穴に落ちると地球の中心付近までぐんぐん重力に引っ張られてゆき、その惰性で速度を落としながら反対側まで突き抜けたところで、網をかまえたブラジル側の人々が僕の体をすくい取る〉
「ありえねー」(大笑い)。水泳パンツ一丁の57歳のおじさんが地球の中を突っ切っていくさまを思い浮かべるだけで可笑しいし、それを大きな網で受け止めようとするブラジル人を想像した日には腹筋がよじれそう!
はてさて、この計画がどんな結末を迎えるのか。読み終えた皆さんが、わたしと一緒に「こいつ、天才か?」と感嘆の声を上げてくれるのか。「科学的根拠」なんていうつまらない言葉は脇に置いて、ノンブレーキの空想力を最後までお楽しみください。



























