「召使いの無学でふしだらな娘」が勝手にユダヤ人の息子を洗礼…書籍・映画化された「驚愕の誘拐事件」とは

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エドガルド・モルターラ誘拐事件

『エドガルド・モルターラ誘拐事件』

著者
デヴィッド・I・カーツァー [著]/漆原 敦子 [訳]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784152097903
発売日
2018/08/21
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

掘り起こされた驚愕の誘拐事件 多角的で仔細なる原作の厚みよ

[レビュアー] 吉川美代子(アナウンサー・京都産業大学客員教授)

 いくつもの小国に分立していたイタリアでは、19世紀初頭に国家統一運動が始まり、本書の事件が起きた1858年になると各地で暴動や反乱が発生して政情は不安定だった。ユダヤ人商人モモロ・モルターラ一家が住むボローニャは複数の王国と公国に囲まれた教皇領内にあった。ユダヤ人はゲットーと呼ばれる居住区にしか住めず、カトリック教徒を雇うことも禁止されていたが、混乱の時代が続いて規則が厳守されず、一家はボローニャ中心部の家にカトリック教徒の召使いと共に住んでいた。この年の6月、教皇警察隊がモモロの家を訪れ、6歳の三男エドガルドを連れ去ってしまう。少年はカトリックの洗礼を受けたので教会法によりユダヤ教徒の家庭で育てることは出来ないというのだ。親の知らない間に誰がどこで? モモロは、エドガルドが1歳になった頃に召使いの無学でふしだらな娘が、夫妻の留守中にバケツに入れた井戸水で洗礼を授けたと知る。

 事件が報道されると、ヨーロッパ中のユダヤ人社会、聖職者、王・皇帝・貴族、政治家、大富豪、さらにアメリカ政府までを巻き込む大論争が勃発。一家に同情し教皇を非難する新聞vs教皇擁護のカトリック系新聞の報道合戦も過熱。だがイタリア統一の達成という歴史的出来事が注目され、この一件は顧みられなくなり、ユダヤ人にとっては、異例の若さで神父になりカトリック教を賛美し生涯を信仰に捧げたエドガルドの存在は忘れるべきものになる。イタリアの学者でも知っている人は少なかったという事件は、イタリア史の専門家であるアメリカ人の著者が’97年に発表した本書により再び世界に衝撃を与えた。

 ’23年の映画化作品は描き方が中途半端な印象。原作はイタリアにおけるユダヤ人の歴史と生活、国家統一運動、周辺国と教皇との関係、事件に関わった人物の発言や動き等を丹念に調べ、悲劇の一部始終をあらゆる角度から詳細に記述した力作ノンフィクション。映画は史料からは知りえないエドガルドの内面を映像で表現しようとして、わざとらしい創作エピソードと史実をつなぎ合わせて悲劇を単純化してしまい、残念。

新潮社 週刊新潮
2026年1月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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