「この小説に出会えて良かったと心から思う」書評家・河合香織が語った、江國香織の小説『ブーズたち鳥たちわたしたち』が持つ唯一無二の魅力
レビュー
『ブーズたち鳥たちわたしたち』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
特集 江國香織の世界
[レビュアー] 河合香織(ノンフィクション作家)
揺れ動く「境界」を描いた江國香織さんの小説『ブーズたち鳥たちわたしたち』は、まるで読者を赦し肯定するような感覚を与えてくれる一冊だ。
本作の魅力とは何か? 書評家の河合香織さんが読みどころを語った書評を紹介する。
***
江國香織さんは、現実と非現実のあわい、孤独と共存の境界を描いてきた作家である。最新作で彼女が呼び寄せたのは、人間でも動物でも神でもない、かっぱ、天狗、そして死者と生者の間をつなぐ「境界の存在」である。幻想的な設定に見えるが、提示されるのは私たちの世界の輪郭そのものだ。生と死、日常と異界、自我と他者。そのどれかに明確に属さず、自らの居場所を探し求める者たちの姿が、繊細で美しい筆致によって描かれていく。
最初の物語「ブーズたち」は、その象徴のような一篇だ。ブーズとは英語で酒盛りを指すというが、ここに登場するブーズは、人間の姿のように見えるかっぱたちのこと。ニューヨークで育ち、日本で大学講師として働く恵理加は、クラムチャウダーを食べるだけのために一人でロードアイランド州プロヴィデンスを訪れる。出会ったのは、青白い肌に小さすぎる鼻をもつ青年のルーク。彼は現地では野生動物だと認識されているブーズだった。ブーズたちはもともと日本にいたが、海を渡ってアメリカに住みつき、けれどもまた日本に帰ろうという計画を立てている。その存在たちと出会った恵理加は、異形のものに出会った恐怖よりも、むしろ「本来はそこにあるのに、忘れていた何か」に触れたかのような懐かしさを呼び起こされる。
江國さんの筆致は、この「境界にあるもの」を決して異物として扱わない。そこにあるのは、どこにも完全には属せない者たちが抱える肌触りと、存在をありのままに肯定する優しいまなざしである。どこに、何に属していようと、本人が健やかに幸せに生きられればいいのではないか。居場所は与えられるものではなく、自分で探し求めるのだという、静かだが確かな信念が流れている。
続く「鳥たち」では、聞こえるはずのない音が登場人物を揺さぶる。電源の切れた電話の着信音、どこからともなく響くドラムロール、総体としての女性のあえぎ声―ありえない音は、人を恐れさせるどころか、むしろ背中を押すように響く。仕事を辞めたばかりの秋介は、姉がかつてその音は彼らからの呼びかけと語っていたことを思いだす。彼の富山の実家には「天狗の部屋」と呼ばれる部屋があり、姉は無数の鳥と暮らして「鳥の女王」と呼ばれていた。
この音を聞いた者たちは、自分の常識や慣習から少しずつ解放されていく。自分の居場所に飛び込むことを祝福し、背中を押してくれているように受け止める。同性に恋する既婚者の真昼が「世のなかの多くの人たちは、言葉ではない何かを信じて生きているのではないか」と問いかける場面があるが、それは社会の規範が生む窮屈さをくぐり抜けて、自分自身の言葉と声を取り返す過程に思える。
そして最後の物語「わたしたち」に登場する存在は、名前さえ持たない。生者と死者の思いを受け止める、ゆれる境界そのもののような気配だけがある。誰でもない者、何でもない者に語らせることで、人はどこか一つの場所に固定されて生きる必要はないという事実が強く立ち上がってくる。
三つの物語を貫くのは、「居場所はどこにあるのか」「どこにも属さないとき、どう生きていくのか」という問いだ。異界という媒介を通すことで、読者は自分自身の孤独や不安、世界との距離の取り方を照らし返されることになる。私たちは生きている限り、名前を与えられ、規範を与えられ、役割と関係性の網目の中で規定される。しかし、その網は誰によって、どんな形で形づくられているかは、しばしば見えないままだ。この小説はその当たり前だと思っていたものをゆっくりと揺らす。異質だと思っていたものが異質ではなくなる瞬間、凝り固まった常識がほどけていく瞬間を、物語は細部に忍ばせる。「動け動け動け、やっちゃえやっちゃえやっちゃえ」という異界からの呼びかけは、登場人物たちを自分の居場所へ解き放つ合図のように響く。
読者もまた、心の奥や身体の芯にある声に耳を澄ませたくなる。居場所は与えられるものではなく、選び取るものなのだ。細胞レヴェルで居場所を選んでもいいのではないか、のびのび生きればいいと許されたかのような思いがする。私たちは知らず知らずのうちに、世間や常識という名の「網」にからめとられ、身動きが取れなくなっている。しかし、本書に登場するブーズ、天狗、名を持たない気配たちは、その網の外側にある、自由で広大な可能性を指し示している。
この小説に出会えて良かったと心から思う。江國さんは、人を評価することも裁くこともなく、ただ「あなたが選んだ場所で、あなたらしくあっていい」という、究極の赦しと肯定を与えてくれる。もしもそんなふうに生きられたら、本書で描かれるように世界は美しく、優しく、透明に見えるのだろうかと考えると楽しくなってくる。異界も日常も、異常も普通も、すべて視点を変えれば、その人にとっての当たり前にすぎないのかもしれない。そうした静かな視点の転換こそが、現代に生きる私たちにとって最も必要な「救済」なのではないか。読む者を解放し、世界を再定義する、希有な傑作である。


























