<書評>「大江戸怪談事情 『耳嚢(みみぶくろ)』の怪異をひもとく」堤邦彦 著

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大江戸怪談事情

『大江戸怪談事情』

著者
堤 邦彦 [著]
出版社
吉川弘文館
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784642306270
発売日
2025/12/23
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>「大江戸怪談事情 『耳嚢(みみぶくろ)』の怪異をひもとく」堤邦彦 著

[レビュアー] 佐谷眞木人(恵泉女学園大学教授)

◆宗教色薄れ「都市伝説」に転換

 自然科学がこの世の不思議を解明するほとんど唯一の手段になった現代社会においても、さまざまな怪談が再生産され、読み継がれ、テレビ番組や映画などに表現され続けている。みんな、怪談が好きなんだなあ、と思う。本書は江戸時代の市井で語られた怪談の数々を読み解くことで、「怪談とは何か」を考えるための重要な手がかりを与えてくれる。

 江戸時代中期に江戸町奉行を務めた根岸鎮衛(やすもり)は、およそ30年にわたって伝聞した噂(うわさ)話を書き留めた。そこにはさまざまな怪談が含まれている。鎮衛の筆はそれらの話を無下(むげ)に否定するでもなく、また、逆に無闇に恐れるでもない。こうして成立した『耳嚢』全10巻からは、江戸の町で語られていた噂話がリアルに伝わってくる。

 本書はその『耳嚢』の怪談に深く分け入っていく。そこに記された話が、日本の怪談史の中でどのように位置づけられるか。たとえば、死者と偶然に会う話。富山県の立山で死者と遭遇する話は、古くは『今昔物語集』に見え、さらに幽霊が証拠として片袖を残す「片袖幽霊譚(たん)」として世俗に流布する。一方、『耳嚢』はそのような深山幽谷の浄域ではなく、ごく日常的な場所を死者との遭遇の舞台としている。類話は現代でも再生産され続けているという。

 怪談の背後には、社会に共有されている宗教意識や怖れの感覚がある。作者は古代・中世以来伝えられてきた怪談が、近現代の怪談へと転換するターニングポイントに『耳嚢』があると指摘している。江戸時代中期は都市の文化が爛熟(らんじゅく)し、都市生活者の暮らしの中にさまざまな怪異が顔を出す。その一方で、怪異を合理的な思考によって否定し、克服しようとする態度も現れる。怪異ではなく、人の仕業だったというオチのつく話も『耳嚢』には含まれる。怪談の宗教色が薄れ、合理主義的な精神と出会うことで、独特の怪談文化が生み出されるとき、近代社会は目の前にある。こうして現代と地続きの怪談が江戸時代に成立したことを、本書は教えてくれる。

(吉川弘文館・2090円)

1953年生まれ。京都精華大名誉教授。著書『江戸の怪異譚』など。

◆もう1冊

『耳嚢』(上)(中)(下)根岸鎮衛著、長谷川強校注(岩波文庫、品切れ)

中日新聞 東京新聞
2026年2月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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