かわいすぎて即重版!! ハートフルかと思いきや、ジェットコースター展開!?――『83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。』サイモン・ヴァン・ブーイ【文庫巻末訳者あとがき:寺尾まち子】

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83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。

『83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。』

著者
サイモン・ヴァン・ブーイ [著]/寺尾 まち子 [訳]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784041166291
発売日
2025/12/25
価格
1,320円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

かわいすぎて即重版!! ハートフルかと思いきや、ジェットコースター展開!?――『83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。』サイモン・ヴァン・ブーイ【文庫巻末訳者あとがき:寺尾まち子】

[レビュアー] カドブン

かわいすぎて即重版!!
サイモン・ヴァン・ブーイ 著、寺尾まち子 訳『83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。』(角川文庫)の巻末に収録された「訳者あとがき」を特別公開!

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かわいすぎて即重版!! ハートフルかと思いきや、ジェットコースター展開!?…

■サイモン・ヴァン・ブーイ『83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。』文庫巻末訳者あとがき

訳者
寺尾まち子

“ヘレンの人生はもう終わっていた。(略)一日はこれまでの日々のくり返しで、ほんの少し組みかえているだけ――死でさえ、順番待ちの列があるかのようだ”

 八十三歳のヘレン・カートライトは六十年間暮らしたオーストラリアで夫と息子を亡くし、三年まえに故国イギリスにひとりで帰ってきた。長年離れていた故郷にはもう知るひとはなく、誰とも会わず、誰とも話さず、テレビを見て、ラジオを聴いて、日々をやり過ごしている。週に一度、月曜日だけは買い物に出るが、すれちがうひとは誰もヘレンを知らない。彼らにとって自分は人生の背景でしかない――ヘレンはそう思っていた。いまヘレンが生きているのは、夫と息子に再会できるまでの“待ち時間”でしかないのだ。
 そんなある日、一匹のハツカネズミが家に入りこんできて、ヘレンの人生は一変する。これはヘレンとネズミの二週間の物語だ。

『83歳、もふもふのネズミを拾う。そして人生が変わる。』の原書Sipsworthは二〇二四年五月にアメリカの独立系出版社ゴーディーン社から刊行された。小さな出版社から刊行されたにもかかわらず、Sipsworthは多くの人々の心をつかみ、新聞等の書評で高い評価を受けた。たとえばワシントン・ポスト紙は「驚くべき著者サイモン・ヴァン・ブーイはまたしても文学で小さな奇跡を起こした」と評し、フランスの作家マルク・レヴィは「涙、笑い、喜び、苦しみ……わたしは友情とセカンドチャンスを描いたこの小説を読むのをやめられなかった。Sipsworthはじつにすばらしく、傑出した語り口の作品である」と称賛している。また、Amazon.comでは三千人超の読者による五点満点の評価で四・五点を獲得し、Goodreadsでは一万八千人超の評価で四・一四点を獲得、三千人以上の読者がレビューを寄せている(どちらも二〇二五年十一月現在)。
 訳者が本書を初めて手にしたとき、簡単にいえば、おばあさんとネズミの話だと知ってとまどった。犬やネコではなく、どうしてネズミなのだろうと。
 実際、ヘレンにとっても当初ネズミは家にいては困る存在、招かれざる客だった。けれどもうまく追いはらえず、放っておくこともできない。しかたなく面倒を見ているうちに情がわき、それが愛情に変わって、シップスワースという名前までつける。イギリスに戻ってきてから誰とも交流してこなかったヘレンにとって、家の片隅に体長十三センチの小さな動物がいるというだけで大事件だった。自分以外の命が家のなかに存在するということに大きな意味があったのだ。
 ネズミが家に入りこんだことで、ヘレンは必要に迫られて、家の外に出て、周囲の人々と関わるようになる。ネズミを駆除する方法を相談した金物店の主人セシル、ネズミの本を借りた図書館の女性職員と息子のドミニク、心臓外科医のドクター・ジャマール……。知りあいが増えて親しくなっていくにつれて、単調だったヘレンの暮らしに変化が生まれる。それはまるでモノトーンだった生活に少しずつ色が加えられていくようだ。
 ヘレンがシップスワースに「あなたはひとのいちばんいいところを引きだしてくれるの」と語りかけ、それは世の中に対する贈り物だと伝える場面がある。たしかにシップスワースがきっかけで知りあった人々はみな善良で親切なひとばかりで、進んでヘレンに手を貸してくれる。いっぽう、ヘレンも人々の親切を受け取るだけではない。新しく知りあった人々を気にかけて励まし、心を寄せて、その人々との未来を楽しみに待つようになる。孤独だった生活に突如現れた小さなネズミはヘレンの心に波紋を起こし、思いやりという輪を周囲に広げたのだ。
 ヘレンの変化は、周囲の人々との関係だけではない。ある日、ヘレンはシップスワースの異変に気づき、まわりの人々を巻き込んで、大胆に行動する。強引なくらいに人々を自分の思いどおりに動かし、最善と信じる方法を実行に移す行動力は見事で、非常に頼もしくてかっこいい。“死の順番”を待つだけだった老女にはとても見えない。ヘレンはシップスワースのために動くことで、自信を取りもどして変わった。いや、本来のヘレンに戻ったのだ。
 本書は淡々とした穏やかな場面が多いが、ヘレンがシップスワースの異変に気づいてからはスピーディーに展開する。ヘレンがシップスワースを思う気持ちが痛いほど伝わってきて、先へ先へと一気に読まされる。そして、その過程でヘレンの“正体”が明かされる。とても痛快で痺れる場面だ。
 さて、本書にはシップスワースが口を開けたり閉じたりしている様子が何度か出てくる。もちろん、ネズミらしい自然な仕草ではあるが、賛美歌をうたう人々の描写と重なっていることが気になった。そこで著者サイモン・ヴァン・ブーイに尋ねてみたところ、「この件についてメールをもらえて本当にうれしい、心から喜んでいるよ!」という言葉とともに返事があった。曰く、シップスワースが口を開けたり閉じたりするのは、賛美歌をうたう人々のイメージを重ねたそうだ。ただし、それはキリスト教の賛美歌にかぎらず、たとえば「マントラや経」などであってもいいという。
「ネズミと暮らすようになって、ヘレンに神を信じたい気持ちが生まれる。それは幼い頃からなじみがあったキリスト教だったり、仏教だったり。シップスワースはみんなに小さな生き物を愛おしむ心を抱かせるんだよ」
 ヘレンは息子の葬儀以来ずっと、教会に足を踏み入れていなかった。おそらく夫を急死させ、さらには苦労して育てあげた息子まで奪った神に対して、恨みや怒りを抱いていたのだろう。だが、シップスワースと出会ったことで、その恨みや怒りにも変化が生じる。ヘレンはドクター・ジャマールに神を信じるかと尋ねて、自分は「信じない」と言ういっぽうで、ネズミのような小さな動物の体を見ていると“高みにいる存在”について考えつづけてしまうとも語っているのだ。
 ヘレンを大きく変えた、小さなネズミ。
 ヴァン・ブーイはシップスワースに込めた思いをさらに明かしてくれた。
「ぼくはネズミがヘレンの息子の生まれかわりだという示唆を込めたかった。だからシップスワースは亡き息子のおもちゃと同じ深海ダイバーと一緒に水槽で暮らしていたし、息子のデイヴィッドは子どもの頃ずっとネズミを飼いたがっていた」
 ヴァン・ブーイにとって、シップスワースはヘレンの息子の生まれかわりだったのだ。ヴァン・ブーイがシップスワースに込めた思いを知ると、孤独なヘレンの生活にネズミがとつぜん現れた理由にも納得がいく。
 ヘレンは八十三歳。シップスワースの年齢は不明だが、本文中の会話で「ネズミの寿命は約二年」とされている。本書で描かれるのは二週間の出来事であり、その先はわからない。ヘレンとシップスワースに残された時間はそれほど長くないかもしれない。人生の終わりが近づいた母と最後の時間をともに過ごしたい――そんな息子の切実な思いが幼い頃に好きだったネズミの姿になり、母のそばに現れたのだろうか。
 訳者は本書を手にしたとき、犬やネコの話ではなく、どうしてネズミなのだろうととまどったと書いた。けれど、作品に込められた深い思いを著者から直接聞いて、ネズミと八十三歳の老女だからこそ伝わるものがあるのではないか――いまはそう思っている。
 日本は六十五歳以上の高齢者の割合が人口の二十九パーセントとなり、超高齢社会となった。医療、介護、貧困と問題が山積しているが、それ以外にも置かれた状況や立場によって、老後に対して、さまざまな悩みや不安を抱えることがあるだろう。たとえば仕事人間であれば、肩書や仕事がなくなることで、アイデンティティを喪失したように思うかもしれない。ヘレンのように周囲との交流がなければ、孤独を感じるかもしれない。あるいは、なんらかの後悔を抱えて苦しんでいるひともいるかもしれない。
 本書でそうした悩みを解決する答えが見つかるのかどうかはわからない。けれども、ひとすじの光は見えるのではないだろうか。そう期待したい。一匹の小さなネズミでも人間ひとりの人生を変えられるし、八十三歳でも新たな繋がりを築いて、未来を思い描けるようになるのだから。

 著者サイモン・ヴァン・ブーイについて紹介しよう。
 サイモン・ヴァン・ブーイはイギリスの北ウェールズで育った。本書のほかにEverything Beautiful Began Afterや、The Illusion of Separateness、Father’s Day等の著作があり、多くの言語に翻訳されている。短編集Love Begins in Winterは二〇〇九年にフランク・オコナー国際短編賞を受賞した。現在はロンドンとニューヨークで暮らし、家族は妻と娘。書籍編集にも携わり、ボランティアの救急医療従事者としても活動している。ちなみに、二〇二〇年には初めてネズミを救助したという……本書でネズミを書いたのは、それがきっかけだろうか?
 本書は映画化される予定で、アカデミー賞四部門でノミネートされた『あなたを抱きしめる日まで』を手がけたキャロリン・マークス=ブラックウッドがプロデューサーをつとめるという。その話を耳にしたとき、真っ先に「シップスワースを見たい!」と思った。本書を読んでいるうちに、この小さなもふもふにすっかり魅了されてしまったのだ。イチゴを前足で持ってかじりつく愛らしい姿は、映像化されるのだろうか? ハツカネズミは演技するのだろうか? ヘレンとシップスワースが絆を深めていく姿を見られる日を楽しみに待ちたい。

二〇二五年十二月
寺尾まち子

KADOKAWA カドブン
2026年02月17日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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