『神さまたちの由来 日本「多神信心」のみなもと』
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木村紀子『神さまたちの由来 日本「多神信心」のみなもと』を佐復(さまた)秀樹さんが読む
[レビュアー] 佐復秀樹(翻訳家)
耳を澄まし、言葉に隠された「神の声」を聞く
言葉とは元来が息で、音となった声は風に消えてゆく。石器や土器などとは違い、土の中で後々まで保存されるものではない。だが例えば地名のように、土に声で記された神の言(「神語」)を、もともとは外国語で表記された文献語であるヤマトコトバの重なり合った層をはがして、考古学のような作業で発掘してゆき、そこに隠された声を聞き取るのが木村の本領なのであるが、それはしかし考古学者というよりは、むしろ神の声に耳を澄まし、それをわれわれに伝えてくれる巫女の姿を彷彿とさせるものがある。その巫女が、神の名そのものを語ろうとするのが本書『神さまたちの由来 日本「多神信心」のみなもと』なのだ。
記紀神話から平安仏教に至るまでを扱う本書であるが、木村の真面目(しんめんもく)が発揮されるのはやはり「神語り」の時代だろう。そもそもこの国の神は「国や海や山に『首を廻らし』口から食い物をだすというような……人身様のものとはとても思えない」、自然と一体化したごときものだったのだが、アマテラス、スサノオあたりになって「人身体(てい)をもって」活動し始める。そしてアマテラスが天の岩屋にこもってしまうという事態を解決するために八百万の神が集う時の、ヤオヨロズ神とは「さまざまに(ヤ)・秀で(ホ←ヒ(、)イズ)て・寄り集(つど)った(ヨロ)貴い存在(ヅ)」だと読み解き、確かな「教義」のない神道においてある種の「教え」が暗示されていると受け取ることが可能だとする。すなわち「ある難局を乗り越える、あるいは一大事業を成し遂げようとするときに、人々は相寄って、いかにすればよいのかが明らかに示されている」と。
そうした「教義など皆無に等しい実態だった」神々の国では、やはり多神教である仏教にしろ陰陽道にしろ、教義の対立・反発など起こりえずして流入定着するのである。そしてあまたの新興宗教がさきわうこの国には、現在に至るも「列島土着の神的感性」が根強く残っているのだという。
言葉や音から歴史・文化を読み解く木村の手際の良さを目にすると、いつも自分でも日本の昔物語を読み返してみたくなるのだが、この本もまたその例に漏れない。
佐復秀樹
さまた・ひでき●翻訳家


























