会社員から“脱落”した「俺」は、「メルカリ」で社会に繋がって、「スト6」画面の方がリアルより動ける…半径数十センチの世界を描く

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粉瘤息子都落ち択

『粉瘤息子都落ち択』

著者
更地 郊 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087700442
発売日
2026/02/05
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

半径数十センチの中で生きている青春を描く、すばる文学賞受賞作

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)


※画像はイメージ

 たった一人の自分を持て余す。

 第四十九回すばる文学賞を受賞した更地郊『粉瘤息子都落ち択』はそういう小説である。いや、自分が一人しかいないから、どう扱っていいかわからない、と言うべきか。

 新卒で入った会社を三年強で辞めた〈俺〉こと野中知也は大学時代から住んでいるアパートに引き籠っていたが、父の容体が危なくなってきたため帰郷を決意した。荷物整理に明け暮れる中、近所の自動販売機にテプラで製作したらしい謎のメッセージが貼り付けてあるのを発見し、持ち帰ってメルカリに出品する。

 あらすじよりも、語り手と社会との間にどんな軋みが生じたのか、という関心が勝る小説である。〈俺〉は会社員生活からの脱落後、半分死体のようになって暮らしていた。現在もゲームの「ストリートファイター6」(以下、スト6)で「画面の中を操作するほうが」正確に動けるのである。

 社会の中に自分はいないように思えるという隔絶感が本作の基調になっている。〈俺〉とスト6で対戦する友人の通称・忍は、存在を信じられる対象が自らの肉体以外になく、ひたすらその改造に励んでいる。社会との関係が希薄極まりなくなった世代が持つ生の感覚を、彼ら自身の感覚で綴った小説なのだ。

〈俺〉はメルカリのアプリを通じてのみ社会と接続している。インターネット上に自らの延長線が引けるわけではなく、彼の意思などまったく無視した状態で取引は進んでいくのである。自動販売機から剥がした怪しいテプラ売買のエピソードは、個の声が響き合うことなどない社会の現状を皮肉な形で示すのである。

 本作の叙述は〈俺〉の生理に合わせたリズムで書かれており、語彙も極めて限定的である。スト6が重要なライトモティーフとなる小説だから、格闘ゲーム用語も頻出する。自身を中心とした半径数十センチの中で生きている現代人の目に映った世界が描かれる。限りない不信と共に。

新潮社 週刊新潮
2026年4月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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