『金子堅太郎』
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<書評>『金子堅太郎 伊藤博文の懐刀(ふところがたな)』浦辺登 著
[レビュアー] 井上寿一(学習院大教授)
◆米人脈生かし外交・親善実現
本書は「自叙伝」を読み解きながら、近代日本における建国の父のひとりと呼ぶべき金子堅太郎の足跡をたどる評伝である。
金子は伊藤博文を中心とする大日本帝国憲法の草案作成者のひとりだっただけでなく、いくつもの役割を果たしている。本書によれば金子は、法律家のほかに政治家(農商務大臣・司法大臣)であり、明治維新史の編纂(へんさん)に携わった歴史家であり、日露戦争の際には外交上の重要な役割を担った外政家である。
このような人物が福岡県の生まれであることは、偶然ではなかったのかもしれない。この地は明治時代の若者を海外雄飛へと誘ったように思えるからである。
実際のところ金子は、米国のハーバード大学に留学する。在学中のエピソードで目を引くのは、ダニエル・ベルの電話機の実験に立ち会っていることである。このような側面からも「新興国アメリカ」に学ぼうとする金子の姿勢を垣間見ることができる。
大日本帝国憲法の草案作成に関連しての本書の記述には、金子が井上毅たちと「無休で働く」様子だけでなく、裏面史やサイドストーリーが引用されている。発布の日の式典の際に、伊藤が官邸に置き忘れた憲法の現物を取りに帰ったのは金子である。
日露戦争が起きると、伊藤から対米工作を命じられた金子は、アメリカに渡り、セオドア・ルーズベルト大統領と交渉する。ルーズベルトのほかにもハーバード大学出身者がいた。金子はこのネットワークを活用して、広報外交に努めた。「外交はその国に友達がいなければ成立しない」との金子の言は、いつの時代でも通用する。
交渉は成功して、ルーズベルトの仲介による講和が実現する。その後は曲折を経ながら、金子の日米親善への努力もあり、1920年代には協調の時代が訪れる。しかし41年に日米戦争が始まる。ペリーの浦賀来航の年に生まれた金子がアメリカとの戦争に際会するなかで生涯を終えたのは、日本の近代化の帰結を象徴している。
(弦書房・2530円)
1956年生まれ。日本近代史を中心に研究。『霊園から見た近代日本』。
◆もう1冊
『伊藤博文 知の政治家』瀧井一博著(中公新書)


























