「父」が列車に身を投げ出さず耐えるのは、2人の息子のためなのに…“痛み”は分かちあえるか?『丸いもののもつ慰め』を読む

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丸いもののもつ慰め

『丸いもののもつ慰め』

著者
クレメンス・J・ゼッツ [著]/犬飼彩乃 [訳]
出版社
国書刊行会
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784336078285
発売日
2026/02/27
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「堅実な現実を泣くための慰めに」

[レビュアー] 井戸川射子(作家)

書評『丸いもののもつ慰め』

『丸いもののもつ慰め』は、オーストリアの作家、クレメンス・J・ゼッツの20編の短篇を収める。丸いものというのは日常の中に多く潜む。この短篇の中での丸いものは胃薬だろう、この話の中では照らすライトか、いや光は伸びるかと、考えながら読むのも楽しい、「湖は俺たちより地球が丸いことをよく知っている」という短篇の題名は、全く頷ける発見である。私たちの体は地球の丸さを知るにはあまりに小さい。

「南ラツァレットフェルト(野戦病院戦場)通り」という短篇では、「僕」がイベント出席のため、飛行機でカナダへ旅立つために空港へと向かう。移動中の時間というのは幻のようなもの。自分が今正確にどこにいるか、一瞬後にはもうそこにいない、座席を指差しても、自分がいる場所とはそこだけではない、包まれ含まれている、外国に行こうものなら時さえワープする。飛行機に乗れば、「それから半日近くは機上で《穴にはまって》動けない」。一人で行くので、妻のマリアンネは家で待っている。飛行機に乗り込めばもう送れないが、「僕」はしばしばマリアンネに、実況中継のようにメッセージを打つ、なかなか返事は上手く返ってこないのだが。保安検査場の、「図解によればその機械の内側では脇をあけて手を広げ、聖書の預言者のポーズをとることになっていた」。自分の、思いや考えを運んで移動させている、ポーズによってメッセージを伝える体、でもここで特に「僕」にメッセージなどはない、自分の体が指示によってそうさせられているだけ。「僕は本のページの折れ耳を強く思い浮かべ、保安検査場のX線検査機で小さな光る線として写るように強く念じた」。本の折った部分という、他人にとっては意味を持たないその微差、自分にとってのみ意味を持つ些細な目印。まず搭乗時間は四十分遅れる。「僕」はマリアンネにメッセージを、「『こっちはまだまだ待たなくちゃいけないんだけど、もうすぐ救済(エアレース)が』/自動変換ミスだ。『出発(エスロース)だ』と書いた」。願望が招いたような変換ミスだ、どちらでも同じようなものだろう。「この瞬間、僕のスーツケースはどこにあるんだろう。きっと、荷物が通らなければならない不気味な中間世界があるのだ」。もちろん人間側にも、荷物たちの知らない中間世界があり、「僕」はそこに立たされている、成す術なく、この場の平和を保つしかなく。また、「僕はマリアンネにメッセージを書いた。彼女は《五十八分前にオンライン》だった」。彼女がさっき確かにいて、確かに今いないこと、《五十八分前にオンライン》というよく見るような表記、前、とシンプルに書かれたその、時のあまりの取り返しのつかなさ。「僕」だって時を駆けていて、本当はもっと前に、ここにいた、と呼ばれる状態に入っているはずだった、飛行機は刻一刻といた場所から、一瞬一瞬に別れを告げるともなしに、大胆に離れていくはずだった。また搭乗は遅れ、十五時に最新情報が出るということで、不確かな未来の時間ばかりがある。十六時にやっと搭乗となり、アイフォーンの電源を切り、「世界の残りが消滅し」、「今ここがあるだけになった」。後は離陸さえすれば万事上手くいくという気に「僕」はなる。機内から眺める窓の外には小さな人々が見え、「いまや僕はガリバーで、この巨大な機体だった」、包まれ含まれ後は穴にはまるだけである。少し機体が移動した後、「僕」たちは飛行機から降ろされる、機体トラブルか天候のせいか。「僕たちは哀れな、徒労に終わった《搭乗未遂者》だった」、搭乗者たちが内で騒いでも、飛行機はびくともしなかったのだ。「僕はパラレルワールドの自分の方がここにいる自分より気に入っていた。お前は飛行機に乗っていろ。そのあいだに僕はこの行列に並んでいるから」。分裂していく自分、経験の前後で。結局飛行機は飛ばず、お詫びにバウチャー券を握らされただけの「僕」が帰ってくると、家では妻によって奇妙な光景が広がっていて、というところで物語は終わる。夢のようで、本当は「僕」の物語は、予定の飛行機に乗り込むところまで、彼の現実はあそこまでだったんじゃないかとも思われる。

新潮社 新潮
2026年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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