「どすこい」160cm・85kgの女性広報が自虐動画でバズるも、先輩美女が注意してきて…自虐は許されないのか? 小説『わたしを庇わないで』

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わたしを庇わないで

『わたしを庇わないで』

著者
石田 夏穂 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087700572
発売日
2026/06/05
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

傷つけぬ笑いを求める時代に自虐の幸福と危うさを問う

[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部教授、文芸評論家)


今の時流に一石を投じる(※画像はイメージ)

 喜劇は悲劇より難しい。悲しみに比べて笑いは時代や文化を越え難いからだが、それに加えて現代では、笑いが人を傷つけることのないよう十二分の配慮が求められる。容姿をネタにするのは相当な冒険だ。

 表題作の主人公の女性は、水産食品を扱う会社に勤め、広報として、自身の食べ歩き動画をSNSで流すことになる。身長百六十センチ、体重八十五キロの主人公の食べっぷりが話題を呼び、さらなるウケをねらって「ちゃんこ」やら「どすこい」やらの文言を混ぜると、視聴数は跳ね上がるが、一方でコメント欄には罵詈雑言も飛び交うようになる。

 心ある「美女」の先輩は主人公のふるまいをたしなめる。「自分の体型を笑うのは他人の体型を笑うのと同じことだ」と。しかし主人公は、その発言の裏に偽善を見る。主人公からすれば、そもそも自分を動画に出したのはこの先輩だ。そして広報として視聴数を稼いでいるのは間違いなく自分のこの容姿である。それをないことにして、文言だけを変えたとしても、本質は変わらないのだ。

 自虐さえ同じ立場の人を傷つけることに繋がってしまうというのであれば、誰のことも傷つけない笑い、誰のことをも決して傷つけない社会というものは実現可能なのか。

 優越感を伴わない笑いはむずかしい。滑稽には既に卑下する視点が含まれている。また、笑いは知的・文化的な同質性を前提とするため、その外にいる人との間に断絶を生じさせやすい。

 しかし、痛みの一切を避けるよりむしろ、互いに笑いあう、笑いを共有することで、かえって繋がりを強めることもできるのではないか。たとえば県民性争いのように、互いを軽侮しつつ笑いあうような。

 庇われるよりも笑ってもらった方が幸せという考えは、今の時流に一石を投じている。ユーモラスだが、ただ笑って済ませるわけにはいかない大きな問題を扱っている作品だ。

新潮社 週刊新潮
2026年7月30日・8月6日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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