〈書評〉『海の人』涸沢純平 著
[レビュアー] 澤井繁男(作家)
◆故郷の情景を静謐な筆で追慕
近代詩の祖イタリアの詩人ペトラルカにとって、ローマが政治と宗教のトポスなら、著者の場合、故郷京都府舞鶴市が心のトポスだろう。
著者は本書で思い出に深く刻まれた叔父小西清秀を中心に、一族や幼友だち、成人後の姿、家族の葬儀、舞鶴村の諸地域、風景などを丹念に綴(つづ)る。
戦後の引揚船を待ちわびる母たちの声、他方遺骨を首から紐(ひも)で吊(つ)り船から下りて来る中学生たちの神妙な様子など、混乱喧噪(けんそう)な中にも静けさを湛(たた)えた情景、それに「岸壁の妻」の真実を漏らさずに描く。
村の詳細は訪れたことのない評者には難解だったが、山陰の雰囲気や日本海、リアス式で奥まった舞鶴湾の立地などは手に取るようにわかる。著者の喚起力ある清澄な文体の賜物(たまもの)だ。
叔父が帰還したのは、涸沢少年が中学生の頃。「密航日共党員六十五人」を乗せた第二十一次中共帰国白山丸で、昭和33(1958)年7月のことだ。彼は共産党員で、後、新宿のクラブでピアノを弾いた。だが心臓マヒで急逝する。若い頃小説の添削をしてもらっている。
本書は著者の青春追慕なのはもちろんだが、青年期の無聊(ぶりょう)と孤独を癒(いや)してくれた詩人三好達治との思わぬ関わりも紹介される。三好も舞鶴にごく僅(わず)かな年数滞在しており、養子縁組が破綻して兵庫県の三田(さんだ)に移った。その後、養子になったのは久保恒夫で、画廊や美術評論で活躍した佐谷和彦の父だ。著者は各種の新聞記事を適宜に引用しながら、筆を効果的に進めており、ドキュメントの様相もあるが、評者の見立てでは、望郷や家族への念が濃い叙事エッセイに映る。
さて「平(たいら)無番地」で、涸沢氏は「引揚記念公園」のある丘に登る。眼下に平の入江や中学校も望める。夏の陽差(ひざ)しの下、坂を下りると、「鬼はでないな」という思いがついてでた。「鬼」とはどういう思いだったかと自問するが、「ただすべての物が、静かにそこにあった」と氏は述懐する。
本書はそういう意味で静謐(せいひつ)な書という印象だ。
(編集工房ノア・2200円)
1946年生まれ。75年編集工房ノア創設。『遅れ時計の詩人』など。
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