西きょうじ「そもそも」
2017/05/05

第十六回 味わうための準備

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 今、フグの季節だ。自分にとっては天然のトラフグは最高にうまいものなのだが、「値段が高いわりにうまいとは思えない」と知り合いに言われた。その時は、「好みは様々だよね」と返したが、そのあとで色々考えてみた。
 There is no accounting for tastes「人の好みは説明できない」(蓼食う虫も好き好き)ということわざがある。確かに、個人、あるいは文化や環境によって好みは大きく変わってくるのだろう。しかし、そこで思考を停止しないで、順に考えてみようと思う。
 フグのうまさはどこから来るのか。舌に長く残る強力なうまみ、そして弾力のバランス、これがフグのうまさの基本だ。うまみはアミノ酸系のうまみ成分(グリシン、リジンなど)、なかなかかみきれないほどの弾力はゼラチン質の多さによる。(フグは魚類の中でもゼラチン質が非常に多く、しかも細かいコラーゲンが密度高く詰まっている)前者は死後、時間の経過とともに増えるが、後者は締めた直後から減っていく。さばいたばかりで新鮮なフグにはうまみが足りない。しかし寝かしすぎると弾力を失ってしまう。両者のバランスが大切なので、私自身は、さばき終わってから二四時間から三〇時間くらいがベストだと思っていて、自分が行く店にはそうしてもらっている。
 刺身でフグのうまみを感じ取るには、よくかむことが重要だ。かんでいるうちに、うまみ成分がしみだしてくるからだ。かむときも、できるだけ奥歯を使い、できれば口の中で右から左へと動かしながら両方の奥歯を使ってかむようにすると、うまみが口いっぱいに広がり、舌に長い余韻を残すことになる。こう書いているだけで、唾液が出てきた。あまりかまないで、飲み込んでしまう、そのあとすぐにお茶や酒など味の強いものを飲む、というような食べ方ではフグを味わうことはできない。食べ方を知って初めて味わうことができるわけだ。
 しかし、食べ方以前に課題がある。それは味覚、特に舌がどのような状態であるか、ということだ。ヒトは、舌にある味蕾という器官(一〇日間隔くらいで生まれ変わっていく)で味を感じ取り、ニューロン(神経細胞)を通して脳で味を知覚している。味蕾が強い刺激を受け続けると弱い刺激に脳が反応しにくくなる。日本人の味覚はとても繊細だと言われているが、日常的に、いわゆるジャンクフードを食べている人の味覚では繊細な味を楽しむことは難しいだろう。もちろん、なにをおいしく感じるかは個人差、文化間の差があるだろうし、その時の体調にもよる。疲れているときは甘いものを欲するだろうし、汗をたくさんかいたあとは塩分を欲するだろう。また、ジャンクフードを美味しいと感じる味覚を否定しきるつもりはない。しかし、それは人が本来持っている味覚ではなく、人工的な強い味を習慣的に受け取ることによって麻痺させられた味覚なのだと思う。本来のその人なりの味覚を取り戻すにはファスティングをしてみるといい。一週間ほど水と酵素ジュースなどだけで過ごすと味蕾は敏感になる。様々なミネラルウオーターの差くらいは、すぐに感じ取れるようになる。つまり、一度リセットすることで、自分の本来の感覚を取り戻すのだ。この感覚をもてば、ファストフードは味わう対象ではないと実感するようになるだろう。こうして食べ物をより深く味わう身体的な準備ができるわけだ。もちろん、準備ができてから食すべきだ、と言っているのではない。食べてみて、興味を感じたら、もっとおいしく食べる方法を考え始める。そこで、よりよく味わうための準備を始めればよい。

 このコラムでは、五感のクロスオーバーについて何度か取り上げてきたが、味覚も五感すべてで受け取るものである。ウインナーソーセージのバリっという音が味覚に影響を与えている、といえばすぐに納得できるだろう。視覚や嗅覚の影響は特に大きい。記憶や事前知識、環境によっても影響を受ける。例えば、赤ワインを飲むときには、どのような色であるか、香りはどうかが飲む前に情報として脳に伝えられる。さらに、どのレベルのワインなのかということや、どういう空間でどのようなグラスで提供されているのか、という要素も大きく影響する。テイスティングの訓練を受けたソムリエでもこれらの要素によって判断を間違える、という実験結果は多数報告されている。それら以外に心身の状態によっても大きく影響を受けることは言うまでもないだろう。たとえば、甘みはエネルギー源となる糖類から感じ取るものだ。人は疲れた時にはエネルギー源として甘いものを欲するので、甘いものを普段よりもおいしく感じることになる。
 ちなみに、苦味や酸味は大人になるにしたがって、経験を積み重ねることによっておいしいと感じ取るようになる味覚である。苦味は毒物、酸味は腐敗のシグナルであり、人間の体にとって警戒しなければならない味である。これらは、そもそも、有害な物を判断し、避けるようにするために必要な味覚なのだ。子どものころに、酸味の強い酢のものや、苦みの強い野菜などが嫌いだったのは本能だったわけだ。苦みや酸味は経験によって味わえるようになる味覚なので、コーヒーやワインを味わうには、必然的に訓練が必要だということになる。もちろん、味わいたいという衝動を感じる体験がきっかけとなる。

 このように考えてみると、フグを本当に味わうには、まずはフグを味わいたいと思える出会い方をすることが出発点であり、その上で、人工調味料などによって麻痺した味覚を本来のものにもどし、心身が健全な状態で食に臨み、美味しく感じられる環境を選び、フグを美味しく食べる方法を知っていることが必要だ。もちろん経験を重ねることも大切だ。食べる回数が増えるにしたがって、味わい方も熟練していくのだ。北大路魯山人はフグについて次のように語っている。

 ふぐの美味さというものは実に断然たるものだ――と、私はいい切る。これを他に比せんとしても、これに優る何物をも発見し得ないからだ。
 ふぐの美味さというものは、明石だいが美味いの、ビフテキが美味いのという問題とは、てんで問題がちがう。調子の高いなまこやこのわたをもってきても駄目だ。すっぽんはどうだといってみても問題がちがう。フランスの鵞鳥の肝だろうが、蝸牛だろうが、比較にならない。もとよりてんぷら、うなぎ、すしなど問題ではない。
(『魯山人の食卓』グルメ文庫、角川春樹事務所)

 ここまで、飲食の話をしてきたが、これは飲食に限った話ではない。たとえば、音楽に反応する能力は人間に先天的に備わったものだ。言語獲得のためにはメロディーに対する感受性、リズムに反応する身体性が必要だからだ。(第十三回「いま、あらためてことばとむきあう」)しかし、訓練することによって、より深く味わうことができるようになる。バンドをやっている人たちだと、自分の楽器パートだけを聴く、ということをやるだろうが、これをオーケストラでやるととても面白い。すべての楽器パートを別々に聴いたあとで、全体を聴くとその重層性に感動する。全体の構成を意識して楽章ごとに位相を考えて聴く訓練をすると、モーツアルトの交響曲のすごさを思い知ることになる。(K.516〈弦楽五重奏曲第4番ト短調〉の初めの旋律だけでも感動するけど……)
 絵画でも直感で感じ取ることは大切だが、歴史を知り、鑑賞訓練を積むことでより深く味わえるようになる。能・狂言、文楽といった伝統芸能になると、味わうための訓練は不可欠だといえるだろう。訓練をしていない人が、能は退屈だ、というのは率直な感想であるが、それはその人が、能を味わう準備ができていないからだ、とも言える。
 これは、ぜいたく品、嗜好品やハイカルチャーに限った話でもない。日常的に接するもの、家具や生活雑貨、衣服などに関しても、興味を持って知識を増やせば、その奥行きの深さを感じることになるだろう。自然環境の中にある草や木も同様だ。このコラムで、退屈会議(第十一回「好奇心は人生の鍵?」)を紹介したことがあるが、どのようなものや、どのようなことでも、興味をもったことについて思考を深めれば、味わい深さを見出すことになるのだと思う。普通の人が見たらつまらないと思われる石ころでも、鉱山学者がみるとそこにいろいろな情報が詰まっていて、興味の対象となるかもしれない。話がそれるが、石ころといえば、竹中直人の映画初監督作品「無能の人」(つげ義春原作)を思い出す。主人公は川原の石を集めて売ろうとするのだが、もちろん売れない。主演でもある竹中は「僕、無能ー!」と最後に叫んでいたが、それぞれの石ころに違いを見出すのは「無能」とは言い切れないのかもしれない。
 ここまでをまとめると、味わいたいものに出会い、好奇心を持ってその対象に関する知識を獲得し、その知識を対象と照らしあわせる訓練をすればするほどに、深く味わえるようになり、楽しみがましていくのだ。訓練といっても、好きになったものをより深く味わうための訓練なので、その訓練自体も楽しみになる。もちろん、社会的には、自分がおかれた社会・経済的環境(貧困・災害・飢饉・戦闘などなど)のために、味わうための訓練どころではない人たちが多くいる、ということのほうが重大な問題ではあるのだが……。
 人の言葉の受け取り方、読書についても同様だ。一般に人は、誰かの言葉が分かりにくい場合、あるいは本の内容がわかりにくい場合は、話し手、書き手のせいにしがちである。もちろん、話す側、書く側が相手にとってわかりやすく表現しようとすることは必要なことだ。しかし、表現の仕方の問題ではなく、そもそもある段階に達していないと理解できないということは多くある。たとえば、どれほどわかりやすい数式であっても、日常的に数式に慣れていない人には理解できない。しかし、数式の場合は、理解できない人は素直に自分のせいだと認めるだろう。これが言葉になると、理解できないのは自分のせいだ、とはなかなか思えなくなる。言葉は日常的に自分が使っているものだから、自分にはどんな言葉でも理解できるはずだと盲信してしまうのだ。しかし、たとえば、大人にならないとわからないことは、どれほど子どもにもわかる言葉を使って説明しようが、子どもには理解できない。歳をとって経験を重ねて初めてわかることもあるからだ。「もっとわかりやすく説明してください」「いや、どう説明しても、君にはわからない」という会話をして、相手にキレられたことがある。フェルマーの最終定理やポアンカレ予想をどれほど丁寧に説明してもらっても理解できないだろう、とは思えるだろうに、と思ったが、「すまないが、私には君にわかるように説明する能力はない」と謝って事なきを得た。最近も、編集者に「とにかく、わかりやすく、を第一に考えて書いてください」と言われて、「どう書いても、わからん奴にはわからんのだ」と、グレてみたこともあった。ごめんなさい。
 このように考えると、古典を味わえない、という場合には、それが古臭くて時代遅れだからではなく、読む側に準備ができていないからだということになる。何も必ず古典を読むべきだと言っているわけではない。(しかし、アメリカの大学生が、課題として与えられる本のトップは、いまだにプラトンの『国家』だという。大学生には古典を読むことが必要だと認識されているのだろう)ただ、長い歴史を経て多くの人に読み継がれてきたものには、それだけの価値があるのだろうし、その価値を感じ取れないとすれば、自分がその段階に達していないからだ、と判断するほうが妥当だと言っているのだ。あるレベル以上の言葉を受け取り理解するには、意識的に言語力を鍛える必要がある。もちろん、訓練すればするほど楽しめる範囲も広がっていくし、深く味わえることになる。私は、『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー・新潮文庫)を、中学生の時に初めて読んだが、人間関係と事態の進行にばかり集中し、アレクセイへの共感・憧憬の念ばかりが強く、フョードルやドミートリイには嫌悪感しかなかった。何回か読み直すうちに、社会や信仰のあり方、登場人物それぞれのあり方をゆっくり考えながら読み、作品自体を味わえるようになっていった。中学生の頃には、まだ、ドストエフスキーを読む準備ができていなかったのだろう。
 実は、人と会うにも準備が必要なのだと思う。人の言葉やあり方を受け止め、人のよさがわかるには、場合によっては訓練が必要なのだ。予備校で教えることになった年に、有名な先生方の講義を見学させてもらった。その中で、かなり多くの生徒が、集中していない講義があった。寝ている生徒もかなりいる。講義は、英文を解析する、というスタンスではなく、うまい日本語訳を提示する、というスタンスだった。これでは、英語を読む力自体はつかないだろうし、得点をあげたい生徒が退屈するのも無理はないなあ、と感じた。その後、同じテキストを使って講義するようになったが、私は英文を解析して、どの英文でも同じシステムで読めるようにする、というスタンスで講義し、生徒たちの支持を受けた。しかし、ある時、ふと思った。自分のやり方で生徒の学力はつくし、生徒は満足してくれているが、後々のことを考えると、余韻と疑問を残す講義のほうがよいのかもしれない。美しい訳文を提示して、自分の訳とのギャップを感じさせる、しかし過度に説明はしないで、そのギャップは生徒自身が考えなければならない。そのスタンスを味わえる段階に達している生徒が少なかったのが残念だっただけで、昔の自分もその講義スタイルを味わう準備ができていなかったのだろう。味わう準備ができている生徒にとってはすばらしい講義だったのだ、と今ならばわかる。
 人に会う、というのもそういうことなのだろう。ある人の面白さ、深さを感じ取るには、その対象を味わえる段階に達していることが必要なのだろう。誰かを面白くない、と感じる時には、自分がその段階に達していない、という可能性もあるのだ。「私の言葉が理解できないのは、きみの準備不足なのだ」とか、「私を認められないのは、君のレベルがまだ低いからだ」とか、言ってみたい誘惑にかられるが、そうではないかもしれないし、そもそも相手がその言葉自体を理解できない段階にいる可能性も高いので、無用に人の神経を逆なでしないようにしよう、と自重している。何はともあれ、会うべき時に会うべき本や人に会えることはとても幸せなことだ。そして、出会った本や人を、しっかりと味わえるための準備をしておくほうが、偶然の出会いによって人生の奥行きが広がることになるだろう。日常的な経験の中に深く味わえるものやことを作っていけば、生活が精神的に豊かなものになるのと同様に。

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