西きょうじ「そもそも」
2017/10/06

第二十一回 音声に普遍性があるならば……

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 子どもの頃、今は亡き母親によく絵本を読んでもらっていた。印象深いものの中に『The Rabbits’ Wedding』という本がある。邦題は『しろいうさぎとくろいうさぎ』(福音館書店)。(この本が描かれた一九五八年当時のアメリカでは、「白い」「黒い」をタイトルに入れることは厳しかったのだろうが、この本に関してはタイトルでいきなりweddingとして結論を示してしまうより、「しろいうさぎとくろいうさぎ」のほうが良いように思う)作者であるガース・ウイリアムズの描くウサギの絵がとてもかわいくて何度も読んでもらっていた。しかし、自宅にあったのがたまたま原書であったせいか、母親は英語でよみ、私にはまったく理解できなかった。子どもに早期英語教育を施そうと思ったわけではないらしい。というのも、英語について他に何かを教えられたことはまったくなかったからだ。この絵本は英語で書かれているから、そのまま英語で読むということだったようだ。ただ声に出して読むだけで訳も説明も一切しない、絵を見ればストーリーはわかるだろうと思っていたのかもしれない。(大体わかったけど……)
 ストーリーは以下のようである。

 白いウサギ(♀)と黒いウサギ(♂)はいつも一緒に遊んでいるのだが、ときどき黒いウサギが悲しそうな顔をしている。今の幸せが続かないのではないか、と不安になっていたのだ。白いウサギが、なぜ悲しそうなのか尋ねると、いつまでも一緒にいられるといいなあ、と黒いウサギは願いを伝える。それを聞いて、白いウサギは目をまん丸にしてthink hardする。この絵が実にかわいい。そうしてこう言う。Why don’t you wish a little harder?(「もっと一生懸命願ってみたら?」)こういわれて、黒いウサギは目をまん丸にしてthink hardする。そうして、ついに思い切って言い切る。I wish you were all mine.(「君が全部ぼくのものになってほしいなあ」)白いウサギはそれを受け入れ、ふたりは手を取り合って結婚式のダンスをする。森に棲む他の動物もやってきて皆で踊る。そうして二人はずっと幸せに暮らしました、と。

 私が一番好きだったのは、Why don’t you wish a little harder? という言葉の音の響きだった。[h]の音から始まり、間が短く圧縮され[ʃ]という音を響かせながら、[ha:dər]という音で終わる、この音の連続にとても美しいものを感じたのだった。どういう意味か母親に聞くとWhy don’t you wish a little harder? (「もっと一生懸命わかりたいと思ったら?」)とのみ答えられたものだった。意味を知ってから、長く妄想していたのは、女性に「付き合ってほしい」と伝えると、相手がWhy don’t you wish a little harder? と柔らかい声で、しかしきっちりと[ʃ]の音を強く響かせて、答える、という場面だったが、その場面は決して生じることはなかった。また、私がI wish you were all mine.という場面もなかった。三十代も終わるころ、妻と出会った時に私は黙って『100万回生きたねこ』を手渡したのだった。
 意味も分からないのに、この言葉の音の響きが好きだったのは何なのだろう、とその後十年以上頭の片隅にひっかかっていたが、大学で音声についての講義
を受けて、ようやく理解した。それぞれの母音、子音が喚起するイメージがあり、その続き方によってさらにイメージが喚起されるということを知ったのだ。
 このイメージを擬態語・擬音語・擬声語として単語化したものを、オノマトペという。(ギリシア語由来の単語でフランス語では「オノマトペ」、英語では「オノマトピア」)「ぴょんぴょん」「ひそひそ」「どきどき」「ぎらぎら」「もやもや」「がんがん」「がーん」など、日本語ではコミュニケーションに欠かせないほど多用されており、「もふもふ」といった新しいオノマトペも作られている。歴史をさかのぼれば、古事記では万葉かなでオノマトペが記述されている。古来から、直接的に感覚に訴えかける音の響きが共有されてきたのだ。平安時代の「今昔物語集」に使われている擬態語・擬音語の五三パーセントが現代でも同じような意味で使われている、という研究もある。
 オノマトペは日本語では五〇〇〇くらいある(『日本語オノマトペ辞典』〈小学館〉には四五〇〇語収録されている)とされているが、英語だと三〇〇から一〇〇〇くらい(twinkle「キラキラ星のキラキラ」など)しかないとされている。これには様々な理由が考えられるが、英語を教える立場としてまず思いつくのは、動詞の意味範囲である。英語で「見る」を表す動詞はglance, stare, watch, look, seeなどがあるが、日本語で表すと「ちらっと見る」「じーっと見る」「動くものを見る」「能動的に見る」「目に入ってくる、見える」というように「見る」に説明を加えることになる。日本語では意味による動詞の細分化が行われていないため(動詞の数が少ない、ということ)、必然的に修飾語を使うことになり、それがオノマトペ(上の例だと、「ちらっと」「じーっと」)の多様化につながっているのだろう。実際に、英語表現の講義で「ぶらぶら歩く」「あてもなく歩く」を英訳させると、walkという語を書いてから副詞を探そうとする生徒が圧倒的に多い。stroll,wanderという一語で表現できるとはなかなか思いつかないようだ。
 英語では、語彙の豊かさは知性の表れととらえられるので、オノマトペを多用すると語彙が貧困であり、幼稚な表現だと受け取られてしまいやすい。当然のことながら論文などかたい文章でオノマトペが使われることは非常に少ない。そうはいっても、オノマトペは感性に直接的に訴えかける力を持つので、マーケティングには有効で、例えば、スティーブ・ジョブズのプレゼンでは非常に多用され、聴衆の感情を大きく動かした。
 さて、日本語のオノマトペと英単語(のオノマトペ)を見比べてみると、共通点も多々見つけられる。「すらっとした」とslim,slenderや「ぎらぎらした」とglitter,gleamの視覚イメージと音韻の結びつき方を見ると、音声と感覚の関係には普遍性がありうると考えられるだろう。そこで、さきに述べた母音と子音が喚起するイメージに話を移すことにする。
 たとえば、「あ」という音と「い」という音を耳にしたときに、どちらの音を大きなものと感じ取るだろう。(ここからの記述は『音とことばのふしぎな世界』〈川原繁人/岩波科学ライブラリー〉を参考文献とする)本書には言語学者のエドワード・サピアによる有名な実験が紹介されている。
 とある未知の言語では、小さなテーブルと大きなテーブルを表す別々の単語が存在するとする。二つの単語は[mal]と[mil]なのだが、どちらが大きなテーブルか。
 サピアの実験では、多くの英語話者が[mal]=大きなテーブルと答えた。のちの実験では、日本人や韓国人や中国人でも[a]が大きく[i]が小さいと考える人が多いという結果が出ている。
 [i]が小さいというイメージは、英語では-yという幼児語の接辞をつけると「子ども向きの、かわいい」というイメージになることにも表れている。(例blanket⇒blanky)[i]に非常に近い音である日本語の拗音(ゃ ゅ ょ)が入るオノマトペにも同様なイメージが伴う。(例「ちょこちょこ」「ぴょこぴょこ」)
 著者はこの説明として、発音するときの顎の開き方に言及している。顎を大きく開くか、小さくしか開かないか、つまり共鳴空間の大きさが、音の大きさについてのイメージにつながっている可能性がある、というのだ。
 さらに著者は写真を撮るときに「はい、チーズ」というように、笑顔を[i]で表すのも同様の理由によると述べている。その根拠として、ジョン・オハラという人の以下のような仮説をあげている。「動物にとって笑顔を見せるということは、敵意がないことの証明である。敵意がないことを示すには、自分を小さく見せるのが一番である。そして自分を小さく“聞かせる”のも、敵意をないことを示す方法の一つである」[i]という音が、小さいイメージを与えるのであれば、納得のいくことである。(笑顔を喚起するのに、「セイ、キムチー」や「1+1は? ニ!」といわせるのも同様だろう)
 また、濁音についても次のように説明している。濁音を発声しようとすると、口腔内の空気圧が上昇する。しかしその状態では空気を送るのが難しくなるので、口腔を広げることで、空気圧を下げて発音することになる。つまり濁音の発声時には口の中が大きく広がる。その結果、濁音=大きいというイメージがつくられるのではないか、という仮説を述べている。すると、これは空気力学的問題であるので、英語話者や中国人も濁音=大きいと感じることになる。つまり、人体の構造上、濁音=大きいというイメージは普遍性を持つ、ということになる。
 著者はゴジラ(ゴリラの「ゴ」とクジラの「ジラ」を合成した名前)を例にあげて、「コシラ」や「クリラ」だと強そうなイメージにならない、と述べている。ちなみにこの本のツイッターアカウントの記述によると、数百に及ぶ「ポケモン」のすべてに、高さと重さの具体的な数値が決まっていて、名前に含まれている「濁点」の数と、ポケモンの高さと重さの関係は統計的に分析できる。その結果、「濁点」が増えると、高さと重さが増える傾向がみられた、という。また、ポケモンが進化すると、進化後には濁点がつくことが多いらしい。
 濁音について、『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』(黒川伊保子/新潮新書)では、音のクオリアという異なる角度から説明している。
「清音のうち、喉を硬く締めて強い息をブレイクスルーさせるK音と、舌を上あごに密着させ、その密着点から息をブレイクスルーさせるT音は、膨張+放出の動作で出す音であり、男性が生理的に持っている意識の質を刺激する二清音として、あるいはその放出感から市場の散財意識を刺激する音として、私は、ブレイクスルー系とした」
 さらに、「Gは喉をブレイクスルーするK音に喉壁の振動雑音を加えて出す音」である。「膨張+放出のブレイクスルー系清音(K、T、P)は、男性の生殖行為における意識の質を刺激するが、これに振動を加えた濁音は、さらなる力強さと膨張感、飛び散る賑やかさを加え、エンターテインメントの興奮を引き起こす」
「というわけで、濁音は、とにもかくにも、『オトコ子ども』の好きな音。昔から怪獣の名前と漫画雑誌の名前は濁音が成功すると言われて久しいが、その背景には、生殖可能期間中のホルモンバランスの男子を興奮させるサブリミナル・インプレッションがあったのである」
 商品名、ブランド名の成功には、音声がどのような消費者層の無意識領域に働きかけるかが反映されている、というわけだ。
 音声が無意識領域に働きかけるということについては、スポーツをするときの音声とパフォーマンスの関係についての研究もある。
『スポーツオノマトペ―なぜ一流選手は「声」を出すのか―』(藤野良孝/小学館)という本がある。この本では、「グー」という声を出すと握力が上がるというような実験例が挙げられている。「グ」という音は力を一気に出すのに貢献し、「ウ」の音は内側に力を働かせるのに貢献するからだという。また、トップアスリートの声の効果(卓球の愛ちゃんの「サー」の効果と「サー」の分類など)などについても紹介されている。発声と運動の関係は、「にゃー」といって前屈すると体が柔らかくなる(前屈の度合いが上がる)というような例もよくいわれるし、NHKの「ためしてガッテン」でも、(この番組では同じ著者の『「一流」が使う魔法の言葉』という本が紹介されていた)目からの情報は必ず大脳を通るが耳からの情報は小脳に直接届くルートがある、と説明されていた。小脳は自動化する、つまりいろいろな考えに妨げられずに、自然に体が動くようにする、という役割がある。音声がダイレクトに体の動きに作用しているわけだ。
 今回紹介してきたどの本も、とても面白く読めるのだが、ここではすべてに共通する部分として、「音声」が与えるイメージの普遍性に注目したい。意味がわからないまま、私が子供時代にWhy don’t you wish a little harder? という言葉の音に引き付けられたわけだが、音そのものが伝えるイメージには、人の無意識に訴えかける力があり、それは言語・文化の違いを超えた普遍性があるのだろう、と思う。
 そこで、ここからは、またしても私の妄想に過ぎないかもしれないのだが、音声としての普遍言語は可能なのではないか、と思うのだ。オノマトペを通して、障がいのある子どもたちとのコミュニケーションがある程度可能になったり、オノマトペが不安障害治療に役立ったりする成果も発表されているように、ある種の音声の組み合わせによる伝達の普遍性は国境ばかりではなく障がいの壁をも超えるものとなりうるのではないか、と思う。非西欧圏を含む世界の言語の発音を記号化したIPA(国際音声記号)、さらには言語障害がある人の発音の特徴を書きとるExt IPA(IPAの拡張版)によって、ありうる発音はカバーされるし、その音それぞれがどういう響きを持ち潜在意識に働きかけるかは分析可能だと思う。そうして、その音の配列、組み合わせによって、あるイメージを普遍的に伝えることは理論上可能なことのように思われる。そうすると、たとえば、「幸福」「平和」「勇気」「正義」「寛容」を表すような世界共通語を創造することが可能になるのではないか、その音声を聞いたら、みなが「幸福」などを直感的にイメージできるような、何語でもない新たな単語が生み出され、世界に広がればいいなあと夢想している。表記はアルファベットや漢字など特定の言語の文字ではなく、顔文字のような、視覚に訴えかける普遍的な記号で。これは、技術的には可能なことだと思う。……普遍性を求めること自体の危うさは自覚しているし、妄想的、宗教的という批判も覚悟の上ではあるが……

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