ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱
2021/09/18

人はなぜ、戦うのか――若きリーダーの死闘から、愛と死について元タカラジェンヌが真剣に考えてみた

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蒼き眼差しの若きリーダー

 主人公の阿弖流為を演じたのは、この2年後星組トップスターに就任する、礼真琴さん。若くして蝦夷のリーダーとなり、朝廷との対立の歴史を大きく動かす阿弖流為を堂々と演じていた。

 歌唱力、演技力、ダンスと全てにおいて高度な技術とエネルギッシュな表現に定評のある礼さんだが、それに加えて阿弖流為としての生き生きとした表情が強い印象を残した。その瞳は、子供のように蒼く光って見えた。

 阿弖流為は、蝦夷たちを武力だけで率いる男ではない。小説では、裏切りを働こうとした仲間に向かって阿弖流為はこう語りかける。

〈「土地も大事なものであろうが、俺は蝦夷の心こそ守りたい。獣に落とされた後の蝦夷には、そもそも土地など要らぬ。国は土地ではない。暮らしている者の心にこそある」〉

 また、こう語り掛けられて涙する者もいる。

〈「敵にも親や子がある。それを思えば戦さで死にたくはなかろう。だが、我々は我々を育ててくれた山や空を守るためであるなら喜んで死ねる。山や空とて、きっと我らの味方をしてくれよう」〉

 その思いに導かれる仲間たち、彼らの心をひとつに結ぶ存在として、礼さんの阿弖流為は舞台の中央で光り輝いていた。

 また、彼女の持ち味でもある無重力かと思わせる軽やかなダンスは、この作品では一変し、足元に重心を据える骨太な踊り方を貫いていた。ピタリと息の合った蝦夷の群舞は、大地に根付いた民の力強さを感じさせた。

 土の香りのする強さは、殺陣にも活かされた。小説では、全編を通して朝廷と蝦夷の戦さの様子が詳しく描写されている。敵の心を読み、裏をかく戦法。鍛錬された騎馬隊、特別にあつらえた刀による大胆な戦術など。

 読むうちに、まるで戦場にいるかのような臨場感を味わい、蝦夷の策にある心意気に胸のすく思いがする。

 舞台上では映像を組み合わせ、限られた人数でも充分な迫力の戦闘を観せていた。しかし最後はやはり、演者の殺陣にある感情に心を揺さぶられた。蝦夷の人たちの荒々しい剣捌きには、民族の誇りを守ろうとする気迫が込められていた。

 選抜メンバーでの舞台作品で苦労するのは、殺陣だけではない。この作品のように、大勢の人が脅威となる表現を少人数で演じる際には、説得力に欠けてしまう恐れがある。しかし、それを逆手にとって面白く表現したのは、都の参議を演じた人たちであった。

 朝廷では、お上の顔色を窺いながら、地位と名誉を得ようとする人たちがいる。その参議らは口々に甲高い声で騒ぎ、お互いの妬みや見栄の張り合いを誇張してコミカルに演じていた。

 観客は笑いながら、都人の無能さにため息をつく。彼らの保身のために虐げられる、蝦夷たちの苦悩が自然と浮き彫りになる。演者の数は少ないが、個々を際立たせることで、その役割が強く印象に印象に残った。

 そんな朝廷の中で異彩を放つ人物が、坂上田村麻呂だ。

あの世ではもはや敵ではない

 坂上田村麻呂は、敵対する立場でありながら阿弖流為たちと対話する機会を持つほど心を近づける人物だ。彼は根っからの武人であり、戦いを己の使命と決めていた。その人格ゆえに阿弖流為とはお互いに尊重し合うまでになった。

 田村麻呂に扮した瀬央ゆりあさんが作り上げたのは、あたたかい情感をたたえた青年、正義感と使命の狭間で迷いながらも進むべき道を模索する若者の姿であった。知性を感じさせる口調には抑えきれない情熱がにじみ、敵である阿弖流為が好意を抱くのも頷ける。

 阿弖流為たちは、田村麻呂が指揮する戦さに命運を懸けることになる。この先50年も続く戦乱の世を終わらせるため、蝦夷を「人」と思ってくれる田村麻呂に敗北して死ぬことを選ぶのだ。

 小説では、戦さの最中でも豪快に笑う蝦夷たちの表情が、そこここに描かれている。彼らが浮かべる微笑み、笑いを含んだ声は物語から悲壮感を取り去り、青春群像劇のような爽やかささえ感じさせてくれる。

 そんな阿弖流為たちの明るさが舞台に集約されているのが、黒石の里のシーンだ。冗談を飛ばし合って笑い声を上げ、仲間たちの恋を囃し立てる。命がけの戦いの合間、民の命と未来を背負った彼らがひととき見せる、若者らしい素顔だ。彼らの軽妙なやりとりは可愛らしく、その背景に戦闘があることが余計に悲しく感じられる。

 朝廷と蝦夷の戦闘は、いよいよ最終決戦に近づく。お互いを立派な武者と認め合う将や兵たちの間には、和睦はできなくとも、尊重の気持ちが芽生えていく。

 豪胆に戦い、常に阿弖流為たちを笑わせていた伊佐西古は、田村麻呂の片腕である御園(みその)と相討ちとなる。小説ではともに相手に致命傷を負わせながらも、二人は最期にしっかりと支え合って言葉を交わす。

〈「阿弖流為も直ぐに俺たちのところへ来るぞ。あの世ではもはや敵ではない。見事であった」

それに御園は大きく頷いた。〉

 激闘の果てに、同じ時代を生きた者として称え合う。権力者が始めた戦さで血を流すのは、憎み合う者同士だけではないのだ。

彼らが戦う理由とは

 桃色に輝く夕焼け空の下で、ついに投降を申し出た阿弖流為を、田村麻呂は少数の護衛だけで迎える。

〈遥か遠くの山裾に阿弖流為のものらしい影が認められた。田村麻呂は友に会う懐かしい気持ちを抱いていた。今はもう阿弖流為の心が分かっている。〉

 阿弖流為も、田村麻呂の心が分かっていたに違いない。二人の戦いの終わりに勝ち負けはなく、果たすべき使命を全うしようとする武人への称賛がある。

 蝦夷の土地に平穏が戻り、阿弖流為は田村麻呂と共に都へ行く決意をする。

「蝦夷を獣同然と考えている朝廷の人々に、伝えたいことがある」。阿弖流為はその一心で、苛烈な死罪を受ける覚悟を決めた。

 舞台では、死罪を目前に仲間と酒を酌み交わし、阿弖流為が晴れやかにその言葉を言い放つ。生涯を戦さに捧げた若者が、子や孫の未来のために言い残すのは、蝦夷の心が永遠に求める言葉だった。

 小説の中で、同じ言葉が放たれる場面は異なっている。その最期が私の心に刻んだのは、悲しみの中にある真実の強い輝きであった。

 阿弖流為の流した悔し涙は、掠れた声は、舞台の上で甦り響き渡った。「彼が思い描いた光景が、ここで叶った」、そんな空想が広がった。

 はるか遠い時代、この国の若者たちが戦った歴史が確かに存在した。舞台の上で生きる彼らと出会い、原作の小説を読み……今、過去の出来事はその息遣いが感じられるほど近しいものとなった。

 小説を読み終えて心に感じた熱の後に、どうしても忘れられない言葉が残った。

 蝦夷の使い手・飛良手(ひらて)が、「戦さに加わったのは帝の命だからである」と語る朝廷の副将に、死闘の最中にこう語り掛ける。

〈「我らはこの戦さに進んで命を懸けている。罪もない女や子供を守るためだ。緑の大地を守るためだ。なのにそなたは命じられて戦さに加わっただけだと言う。命じられれば親や子も迷わずに斬(き)れるのだな」〉

 この言葉に対する、副将の返答はない。敵の心に、飛良手の声はどう響いたのだろう。「戦え」と命じられた者にも、他者には分かり得ない信念はあったはずである。

「どうして人間は戦うのか」。舞台を観て、小説を読み終えて再び問い掛けてみたい。正解のない問いに、阿弖流為は、田村麻呂はなんと答えるだろうか。陸奥の大地を駆け巡る、二人の豪快な笑い声が聞こえてくるようだ。

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