ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱
2022/02/26

大地真央も演じた巨匠スタンダールの名作の主人公、恋に生きたその人生について、元タカラジェンヌが真剣に考えてみた

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「パルムの僧院」イラスト・はるな檸檬

元宝塚雪組、早花まこさんによるブックレビューをお届けします。
今回取り上げるのはスタンダールの名作『パルムの僧院』。宝塚では1982年に当時月組トップスターであった大地真央さん主演で舞台化され、その後も2度上演されている。そのうちの2回に出演経験がある早花さんならではの秘話も満載。はるな檸檬さんによる、元雪組トップスター水夏希さんの色気あふれるイラストにもご注目ください!

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本能のままに生きる貴族たち

 フランスの小説家・スタンダールによって書かれた「パルムの僧院」は、1839年に出版された。主人公は、イタリア人貴族の若者、ファブリスだ。育ての親でもある美しい叔母に恋の相手としても愛されている彼だが、殺人を犯し、牢獄に囚われてしまう。そこで牢獄長官の娘・クレリアと激しい恋に落ちる。陰謀渦巻くパルムの社交界を舞台に、複雑な人間模様が描かれた文学作品である。

 宝塚に在団中、私は2度、この小説と出会った。後述するが、「パルムの僧院」を原作とした公演に2回出演し、その時に読んだ。というか読もうと試みたのだが、あらゆる出来事が詳細に書かれ過ぎている小説で、ひとつの事柄を追ううちに本筋を見失ってしまう。その上、1796年から1830年頃を生きた人物たちはとても遠い存在に思え、自由気まま過ぎるファブリスにもあまり共感できなかった。

 改めてこの「パルムの僧院」を読んだ結果、以前とあまり変わらない感想を抱きながらも、ファブリスの若さを一歩引いた視点で眺めてみた。

 とはいえ読み始めてすぐに驚くのは、登場人物の多さだ。伯爵、公爵と侯爵、その夫人たちが次々と出て来る。人物名が省略され爵位だけの記述も多く、注意して読まねば、どの伯爵がどこの公爵夫人に言い寄っているのか分からなくなる。常に誰かが誰かに言い寄っているからより厄介だ。そして登場人物たちは皆、地位と利益のために陰謀を企て、恋愛ドラマを繰り広げているので、人物名を勘違いすると物語を大きく読み間違えてしまう。

 さらには、何かというとお金で物事を解決させようとする貴族たちにも驚かされる。主人公ファブリスもその叔母も、誰かに会うたびにひっきりなしにお金を渡している。「お主も悪よのう」の越後屋もびっくりだ。

 このように、3回目の今回は、当時のイタリア貴族社会の面白みを見つけながら読み進めていった。

 そして、私だけではなく多くの読者が抱く疑問がある。タイトルにある「パルムの僧院」。

 これが物語の舞台かと思いきや、なんと小説の最後にたった2行、書かれているだけの場所なのだ。

 なぜ、この小説のタイトルは「パルムの僧院」なのだろう。今回も首をひねりながら、小説を読み進めた。

戦場へ行った意味は?

 17歳のファブリスは「戦争に参加して、皇帝ナポレオンに会いたい」と熱意を燃やし、周囲が止めるのも聞かず戦地へ飛び込む。闘うこともできないのに軍隊に加わる度胸だけは称賛に値するが、上官から下される命令の意味を取り違えたり、疲れて眠り込んだりした挙句、お酒に酔って憧れのナポレオンを見逃すという失態を演じた。

 そうして彼は周囲に多大な迷惑を掛け空回りしつつも、自分なりに大満足で帰って来た。だが安易に戦争に参加したため、故郷では危険人物となってしまう。叔母とその恋人・モスカ伯爵に後始末をしてもらい、ファブリスはひっそりと神学を学び始める。それにしても、この戦争体験が、彼のその後の人生の糧となった様子は見受けられない。もう少し有意義なことを学び取って欲しいものである。「若気の至り」感が全体に漂う戦場のシーンでも、時が凍りつくような瞬間があった。ファブリスが、初めて戦死した人を目にする描写だ。

〈生れつき蒼いファブリスの顔はみるみる緑に変った。酒保の女は死人を見て、「うちの師団の兵隊じゃないね」とつぶやいた。そしてわが主人公を見あげて吹きだした。彼女は叫んだ。「ははは、坊や、どうだね、このご馳走は」ファブリスは身動きもできなかった。何よりこたえたのは死人の足のきたなさだった。靴ははぎとられ、血にまみれた安物のズボンが残っているだけである。〉

 英雄に憧れて戦場へ来た若者が感じた戦慄が、生々しく描かれている。ファブリスは、死体の顔つきよりもその足の汚れに、直視できないほどの惨めさを見出している。対して戦場に生きる女は死体に慣れきっている様子だ。ファブリスに親切に接してくれる優しい人なのだが、それだけに戦争の真の恐ろしさを感じる。

青年よ、恋を知れ

 数々の女性と交際したファブリスだが、自分は恋愛ができない人間だと感じている。我を忘れて恋にのめりこむことも、女性を大切に思うこともない。そんな自分を気に入っているように見えて、実は心底恥じて不安を抱いているようでもある。

 叔母のことを「親しい年上の女性」として慕う彼だが、彼女が自分へ向ける恋心には応えられない。ファブリスは、叔母に嘘を言うまいと決意する。

〈このとき彼女に愛しているというまいと心に誓ったのは、実は深く愛していたからである。けっして彼女の前で恋という言葉を口にすまい。なぜなら自分の心はそう呼ばれる情熱を知らないのだから。〉

 哲学めいた理由だが、ただ、叔母の過剰な愛を少々面倒臭がっているふうにも思える。真剣な恋を知らないファブリスが、ついに運命の女性、クレリアと出会う。深い優しさと憐憫をたたえた眼差しに心奪われ、彼はクレリアに恋い焦がれる。クレリアもまたファブリスに惹かれ、牢獄の中で二人の恋が育まれる。

 彼女は、ただのおしとやかな美少女ではない。どんな身分の高い貴族に言い寄られても、クレリアは愛想の良い笑顔など見せないのだ。彼女の心は頑ななほど清らかで、ファブリスとの出会いをきっかけに恋の花を咲かせる。思いがけず強烈な印象にはっとしたのが、この一文だった。移り気だと噂されるファブリスに対して、クレリアを表す言葉だ。

〈ところが彼女は、自分でもよく感じているとおり、一生に一度しか愛することのできない女であった。〉

 それは、不器用な生き方だろうか。つまらない人生だろうか。この小説の中で、クレリアに透明なガラスのように素朴で力強い輝きを見出すのは、私が彼女のあり方に憧れているからに違いない。

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