ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱
2022/07/22

「友情とは相手が生きているあいだに発揮するもの」 元タカラジェンヌが熱く語る、不朽の名作『グレート・ギャツビー』の古びない人生哲学

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同じ言葉の異なる響き

 多くの人の輪の中心にいたはずのギャツビーだが、彼の葬儀に駆けつける人はほとんどいなかった。ニックと数人の使用人だけが見送る、そんな寂しいギャツビーの葬儀の終わりに駆けつけた人物が、彼の父親、ヘンリー・C ・ギャッツ氏だった。彼は、息子がギャングと繋がりを持ち危ない橋を渡っていたことなど全く知らない。この父親にとってギャツビーは、勤勉で思いやりの深い自慢の息子だ。

 父親の登場は、ニックが感じた行き場のないやるせなさを救った。というのは、ギャツビーを思い出そうとしても、シャンパンの泡や流行の音楽ばかりが蘇り、ギャツビーという人はぼやけてしまう。だが、その父を前にして、ギャツビーという男が確かに存在していたと感じることができたからだ。

「グレート・ギャツビー」の有名な台詞のひとつもまた、ミュージカルと小説とではやや異なる響きをもつ。ギャツビーのビジネスパートナーだったマイヤー・ウルフシャイムという男は、表沙汰にできない仕事を請け負う立場から、ギャツビーの葬儀に参列しないと話す。どれだけ深く関わった相手でも、その死が不利益になるなら悲しんではいられないというわけだ。

 ミュージカルに登場するウルフシャイムは、ギャツビーに負けず劣らず格好良い男だ。身ひとつで大金を手に入れ、社会の表も裏も知り尽くした彼は、実に堂々とギャツビーを切り捨てる。

 一方、小説に描かれるウルフシャイムは、同じ言葉を噛み締めるように語った。

〈友情とは相手が生きているあいだに発揮するものであって、死んでからじゃ遅いんだということを、お互いに学びましょうや〉

 この言葉を絞り出す彼は、闇から抜け出せない人間の業を背負っているように見える。立場を守るためでもあるが、それ以上に、彼の人生の哲学が垣間見える潔い別れ方に思える。小説、ミュージカルとで違った魅力を持つウルフシャイムだが、この作品に活力を与える人物であることに間違いはない。

誰がギャツビーを愛していたのか

「人は、愛する者の死しか悲しみはしない」という話を聞いたことがある。賑やかで楽しいパーティーに夜ごと押しかけてきた大勢の人たちは、誰一人、ギャツビーを愛してはいなかった。その中でニックだけが、ギャツビーという人間に真実、興味を持つ。初めて会った時、ニックはギャツビーの微笑みの虜となる。

〈その微笑みは一瞬、外に広がる世界の全景とじかに向かい合う。あるいは向かい合ったかのように見える。それからぱっと相手一人に集中する。たとえ何があろうと、私はあなたの側につかないわけにはいかないのですよ、とでもいうみたいに〉

 ニックの記憶に焼き付いていたのは、賑やかな客人が去っていく時に、彼らに別れの挨拶をして手を振るギャツビーの姿だった。「彼には、いつでも歓待のお礼と別れの挨拶ばかり告げていた」と、ニックは気がつく。人々にとって、ギャツビーとは、人生を通り過ぎて行った一人の男にすぎない。その男の前で、ニックだけが足を止めた。

 子供の頃に「二度と観たくない」と思い込むほど、私の胸を締め付けた葬儀のシーンには、記憶よりも穏やかなあたたかさがあった。たんたんと別れを済ませるデイジーを観ても、「人生には、こんな別れもあるなあ」としか感じなかった。恋を閉じ込めたデイジーの横顔に憤った、私の若かりし感性はもう消え失せていた。かわりに見えたのは、父親とニックが持ち寄った、ギャツビーへの確かな愛情だった。

 夜明けの海を見つめて佇んでいた男は、一体、どんな人だったのだろう。パーティーが終わった後、記憶の中を探っても、ほんのりとした面影が残っているだけだ。

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