ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱
2022/12/25

「金のために人を斬る」 浅田次郎の傑作小説『壬生義士伝』の主人公の凄みと哀しみを、元タカラジェンヌが熱く語る

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壬生義士伝(イラスト・はるな檸檬)
宝塚雪組「壬生義士伝」より、望海風斗さん演じる吉村貫一郎(イラスト・はるな檸檬)

 雪組東京宝塚劇場公演千秋楽の本日、元宝塚雪組、早花まこさんによるブックレビューをお届けします。

 今回取り上げるのは、本日千秋楽を迎える舞台「蒼穹の昴」と同様、浅田次郎氏の原作で、宝塚では2019年に同じく雪組で上演された「壬生義士伝」。当時のトップスター・望海風斗(のぞみふうと)さんの演技には、劇場中が涙を誘われました。そんな望海さんが演じた新選組隊士・吉村貫一郎の笑顔とまっすぐな生き様を描いた、はるな檸檬さんイラストにもご注目ください!

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新選組の変わり者、吉村貫一郎の正しさ

 私は、日本が好きだ。日本人の言動や日本の文化が世界で認められたというニュースを見聞きすると、誇らしい気持ちになる。しかし、「現代の日本人らしさとは」と説明しようとすると、曖昧な言葉しか出てこない。そんな私が宝塚在団中に出演し、日本人がかつて持っていた「矜持」「魂」を感じた作品が、「壬生義士伝」だった。

「壬生義士伝」は、作家・浅田次郎さんによる長編の時代小説だ。2000年に刊行されるとすぐに大きな話題となり、同年、第13回柴田錬三郎賞を受賞した。その後テレビドラマ化され、2003年に公開された映画は第27回日本アカデミー賞の最優秀作品賞に選ばれた。宝塚歌劇団では石田昌也先生の脚本、演出により、2019年に雪組にて上演された。

 文武両道の足軽だった吉村貫一郎は、大切な家族を養う金を稼ぐため、妻子を置いて南部藩を脱藩する。「出稼ぎ浪人」「貧乏侍」などと馬鹿にされながらも、南部弁を話す朴訥とした人柄で微笑みを絶やさず、ひとたび斬り合いになれば、鬼の如く人を斬る。収入があっても遊び歩くことはなく、全額を故郷へ送金するのだが、同僚は、息子からの手紙を読み、故郷の美しさを語りながら涙をこぼす吉村を見て戸惑う。人前でそんなふうに泣ける素直さを、誰もが忘れようとしていた世の中で、その涙はあまりにも純粋だったからだ。

 そんな新選組隊士の中では、一言で言えば変わり者の吉村について、ある新聞記者が当時の関係者に取材をするという形式で物語は始まる。様々な人物が、50年前の出来事について語る。その語り手によって異なる角度から、吉村という男が掘り下げられていくのだが……。

 吉村が持つ魅力のひとつが、その揺るがない意志だ。

 激動の時代を迎えても、吉村は南部武士として少しも揺るがなかった。社会情勢が一変したから、いきり立ったわけではない。雪の夜、母に抱きしめられて「強く優しい侍になる」と誓った時から。そして彼が生涯愛し抜いた妻、しづと出会った時から、変わらない決意を抱いていた。それは、まだ子供だった時のこと。飢えを凌ぐため野菊を売る彼女の母のそばで、花に埋もれているしづを見た吉村は、「この娘を守りたい」と強烈に思う。

〈わしは南部武士じゃと思うた。男じゃと思うた。南部武士ならば、南部の男ならば、おのれの扶持のもとである南部の百姓をば、命をかけて守らねばならぬと思うたのす。〉

 そんな吉村の生き方を笑う新選組の隊士たちは、その実、彼に憧れていたのだろう。元新選組隊士、池田七三郎はこう語る。

〈あの人はね、まちがいだらけの世の中に向かって、いつもきっかりと正眼に構えていたんです。その構えだけが、正しい姿勢だと信じてね。曲がっていたのは世の中のほうです。むろん、あたしも含めて。〉

 激しく変化する時代に抗い、まっすぐに進み続ける吉村を、同時代を生きた人間たちがどのように感じていたか。その本音が綴られていくのも、この作品の大きな魅力のひとつだ

斎藤一が怖れたもの

 新選組は、これまで数えきれないほど多くの物語で取り上げられてきた。誠一字の旗と浅葱色の羽織がトレードマーク、血気盛んな剣客集団である彼らは、ときに格好良いヒーローとして、ときに悪役として華やかに描かれる存在だ。

「壬生義士伝」に登場する新選組も、人間的魅力に富んでいる。有名な隊士も、一般的に知られる「キャラクター」以上に立体的に描かれている。近藤勇の優しさ、土方歳三の孤独、沖田総司のあやうさなど、時代の移り変わりに翻弄されながら懸命に生きた男たちの人間模様は奥深く面白い。

 もっとも忘れがたいエピソードのひとつは、明治の世になってサーカス見物へ出かけた池田の話だ。彼は、観客に笑われる泣き顔の化粧をした道化師に、思わず近藤勇の姿を重ねる。

〈「へたくそォ」と言って笑い転げる孫を、ついつい叱っちまいました。「道化はな、曲芸師たちよりずっと芸が上手なんだよ。誰よりも上手だから道化ができるんだ。あんなこと、誰ができるものか」まったく、仕様のない説教ですな。〉

 時代に裏切られても最後まで信念を持って生き抜いた、近藤へのやるせなさと深い情がこみ上げ、池田は涙を堪えきれない。

 そんな語り手たちの中でも、ぎらぎらと光を放つのが斎藤一(はじめ)だ。

〈長く暗い畑道を、吉村はわしに傘をさしかけ、おのれはずぶ濡れで歩いた。その心配りが、わしの憎しみをいっそう膨らませた。〉

 斎藤は吉村と相入れず、心の内をさらけ出し合うこともなかった。そんな彼が語る吉村は、もっとも濃厚な光と影を見せている。

〈怖ろしい奴じゃとわしは思うた。生来が鬼の心を持つ人間よりも、いざとなって心を鬼にできる人間のほうがよほど怖ろしい。正体を知ったその晩から、わしは吉村貫一郎を蛇蝎(だかつ)ごとく忌み嫌うようになった。〉

 他の誰よりも吉村を厳しく見ると同時に眩しく感じていた斎藤は、吉村の真実の人となりを見ていたのだと思う。正反対の人物に見えるが、二人は似たもの同士にも思える。言動や性格が違っても、自分の正義に心を燃やす熱量が似ていた。

〈人の器を大小で評するならば、奴は小人じゃよ。侍の中では最もちっぽけな、それこそ足軽雑兵(ぞうひょう)の権化(ごんげ)のごとき小人じゃ。しかしそのちっぽけな器は、あまりに硬く、あまりに確かであった。おのれの分(ぶ)というものを徹頭徹尾わきまえた、あれはあまりに硬く美しい器の持ち主じゃった。その器を壊すだけの勇気が、わしにはなかったのじゃ。〉

 必ず殺してやると憎しみを燃やしながら、ついに彼は吉村を斬らなかった。機会は幾度もあったにもかかわらず、だ。記者が伝えようとした「吉村の死に様」を聞こうとはしないまま、それから間もなくして、彼は最期を迎える。斎藤に、吉村がどのようにして生涯を閉じたか、そのさまを知ってほしかった。そう願うのは、私の浅はかさだろうか。

父と子の物語

 この小説のもう一人の主役とも呼べるのが、吉村の息子、嘉一郎(かいちろう)だろう。

 妻子を守るためとはいえ、当時の脱藩は大罪だった。父の汚名を背負い、母と弟妹を守りながら勉学に励んだ嘉一郎は、どこまでも誠実でひたむきな青年武士に育った。彼の幼なじみの弥之助は、「南部藩の軍が秋田に討ち入る前夜に、嘉一郎が参陣を願いにやって来た」と父から聞いたと語る。嘉一郎はたった一人で、父が遺した刀を差して参陣を願い出た。

〈思えば橋場の陣に突然と現れた十六歳の少年は、武士の時代が終わろうとするその最後の一瞬に、ただひとり奇跡のごとく生き残っていたまことの侍だったのではありますまいか。〉

 地位や富の大きさは、決して人間の価値を定めない。生きることでそう示し続けた吉村が蒔いた種は、まっすぐの若木となり、嘉一郎の成長によってひとつの完成を果たしたように思える。稲の開発者となる次男が、吉村の夢を達成することになるのだが、私は嘉一郎こそ父の矜持の集大成であったような気がしてならない。

 そののち、成人した弥之助は、生活を立て直すために上京する。故郷を出ていく弥之助のやり切れなさと悲しみ、そして彼が見た風景が、脱藩した当時の吉村の気持ちを思いがけず代弁してくれる。

〈盛岡は、そんな私にすらやさしかった。この町に生まれ、この町に育ち、そのやさしさに何ひとつ報いることなく背を向ける私に、盛岡の山河はそれでもやさしく微笑みかけてくれているようでありました。心おきなく行かれよ、とね。盛岡のことなど忘れて、お国のために尽くせよ、とね。〉

 吉村をはじめ、盛岡から去った多くの人が、その里山の声を聞いたのだろう。

 しかし、いつか故郷へ帰ろうと決意した吉村は、厳しい時世に翻弄されてしまう。

 池田が語るのは、淀千両松の戦で、たった一人で官軍に戦いを挑んだ吉村の様子だった。突然掲げられた錦旗に皆がたじろぐ中、吉村はただ一人、立ち向かっていく。「あの時の吉村さんの声と姿が今日まで自分を生かしてくれた」というほど忘れがたい光景は、池田に問いを投げかけ続ける。

〈義のため、とあの人はたしかに言った。意味はよくわかりません。〉

 何のために戦うのか、自分は何に命を懸けているのか。その答えが見つからぬまま迷い、悩み、互いに意見をぶつけ合いながら必死に模索し、それでも突き進んだ吉村のことを池田はこう語る。

〈人として踏むべき正しい道のために、あの人は戦をし、死んだということでしょうか。あの人がたったひとりで手向かった相手は、錦旗でも官軍でもなく、もっと大きな理不尽だったのでしょうか。〉

 様々な感情が複雑に絡まり合う当時を生きた人々の想いは、日本史の授業で習うように「倒幕派」「佐幕派」とはっきり分けられようがない。そのことに、今更ながら気付かされた。己の命を投げ出さなければならなかった時代、武士たちは現代の人と同じように自問して前に進むしかなかったのだ。

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