ちょっと不運なほうが生活は楽しい
2021/08/22

「えぇ……なんで?」膝から崩れ落ちた母 アンガ田中が明かす「人生で一番の修羅場」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

お笑い芸人・アンガールズの田中卓志による、ちょっと哀しいのにクスリと笑える日常とは? 文芸誌「小説新潮」の連載で明かされた可笑しみと悲哀がにじむエピソードを公開します。今回のテーマは「修羅場」です。

 ***

 人生で一番の修羅場は? と聞かれたら、たぶんあの時だろうな、という場面がある。

 僕はお笑いの道に進むと決めた時に、家族全員に嘘をついた。

 それは、東京の大学院に通うと嘘をついて上京し、実際にはお笑い芸人になっていたこと。

 なぜそんな嘘をついたのかというと、広島大学という広島県では優秀な大学に行かせてもらっていたので、そこからお笑い芸人になると言うなんて、100パーセント反対されるのがわかっていたし、止められるのを振り切る自信もなかったからだ。

 その当時、テレビ番組の影響で「ボキャブラ」ブームというものが起きていた。

 ネプチューンさん、爆笑問題さん、くりぃむしちゅーさん他数々の芸人さんがブレイクした番組で、お笑いが大好きだった僕は毎週録画して観ているうち、自分も芸人になりたいという気持ちがふつふつと湧いてきた。

 ただ、建築士になりたいという夢も同じくらい持っていて、大学4年生のお正月くらいまで進路を迷っていた。

 でも、本当にほんの少しの差で、お笑いのほうをやりたいという気持ちが勝ってしまい、家族全員を騙して、お笑い芸人になるための作戦を立てた。

 大した作戦ではないんだけど、東京の大学院に行くから上京しなきゃいけなくなった、すごい先生が推薦してくれていて、もう行くしかない状態なんだ! という嘘だ。

 そんな嘘はすぐにバレそうなものなのだけれど、僕の実家は広島の田舎の中のさらに田舎。都会のことは全くわからない家族だったので、すんなりとみんな騙されてしまった。

 上京する日、高速バス乗り場まで母親が送ってくれた。

 僕に騙されているとは知らず、母はおにぎりを持たせてくれた。

 バスの乗り場に着くと、僕は母親の車からそそくさと降り、バスに乗った。なんだか嘘がバレそうな気がして、なるべく早く母から離れたかったのだ。

 バスに乗っている人は4人くらい。僕は座席番号を見て、後部の窓側の座席についた。

 窓の外を見ると、母親が一人で寒空の下に立っている。

 バスの席の少し高い目線から見下ろすと、母が小さく見えて、自分が嘘をついているのがその時急に申し訳なくなった。バスのドアが閉まり発車すると、母は手を振っていた。

 僕は人生で一度も東京に行ったことがなかったし、母親も東京には新婚旅行でしか行ったことがない。

 そんな見知らぬ場所に行く僕を、バスが見えなくなるまで手を振って見送っていた。

 その姿を見たときは我慢していたけれど、おにぎりを口にしたときに涙が出てきた。

 こういう時のおにぎりのパワーは凄い。
 
 
 9時間後、バスは朝5時に新宿の駅前に着いた。

 全く知らない場所に降り立った僕は、まず不動産屋に向かった。

 広島にいたときに、その不動産屋さんとは電話で話していた。東京で家賃4万円で、お風呂トイレ付きの部屋ってありますか? と聞いたら、今考えたらあるはずないのだけど、

「ありますよ!」

 と言われ、内見もせずに部屋を決めていた。

 不動産屋に行くと部屋の鍵を渡されたので、一人でその家に向かった。

 池袋駅から東武東上線で約40分。新河岸という駅に着き、そこから15分くらい歩いたところに家はあった。

 関東に住んでいる人はもうなんとなくわかると思うけど、そこは東京ではなく埼玉県川越市だった。

 でも、全く土地鑑がなかったので、僕は東京だと思っていた。

 だって不動産屋さんに「東京で家賃4万円で、お風呂トイレ付き」とお願いしていたのをしっかり覚えていたからだ。

 だから、それからアルバイトの面接のために履歴書を書くときも、住所を東京都川越市と書いていたし。色々な公的な契約をする書類にも、東京都川越市と書いていて、郵便物もちゃんと届いていたので、何も気づかず1ヶ月くらい暮らしていた。そしてある日、新河岸駅のホームに立って電車を待っていた時のこと。

 ホームにある新河岸という駅名の書いてある看板をふと見上げた。どの駅にもあるあの駅名板には、古いものだと駅名の下に、駅の住所が書いてある。

 僕はそれを見て固まった。埼玉県川越市と書いてあった。

 思い込みというものは怖いもので、僕は一瞬、駅の人が間違えているのかと思った。でも時間が経つにつれ、自分が間違っていたこと、色々な書類に東京都川越市と書いてしまっていたこと――。

 やばい思想を持った埼玉県民のように思われていたかも知れないと、とても恥ずかしくなった。
 
 
 それから親にバレることもなく、お笑い事務所のネタ見せに行っては落ちるということを繰り返していた。

 時々親に電話をしたりしていたけれど、上京して2年経った時に、

「大学院って2年間でしょ? その後はどうするの?」と聞かれてしまった。ちょっとまだわからない! と答えてから電話に出るのが気まずくなり、親からの着信を無視するようになった。

 無視し始めてから1ヶ月。

 ある朝、母から留守番電話が入っていた。

「卓?(母が僕を呼ぶときの呼び名) お母さんよ! 今新宿着いたけど連絡ちょうだい! どうやって家に行くん?」

 自分の目がプルプルと震えているのがわかるくらい動揺した。

 とうとう母が心配して、僕に何の連絡もなく東京に来たのだ。母はそれまでも何度も来ようとしていたけれど、すべて断っていた。

 部屋の中を見られたら大学院に行っていないことがバレるし、東京に来るなんて大変だからいいよ! と強く言うと来なかった。

 僕は自分の嘘がバレると思い折り返しの電話をするのを躊躇していたが、東京の街を一人で歩いている母の姿を考えたら、電話するしかなかった。

 ――もしもし?

「ようやく電話に出たね! 死んでるのかと思って心配したんよ!」

 東京という街は危険で、うっかりすると死んでしまう街。これは田舎に住んでいる人にはよくある発想だ。

 ――なんで来るのよ! 連絡してからきてよ!

「あんたが電話に出んからでしょ!」

 なんの反論もできなくて黙っていると、

「今、新宿じゃけえ、どうやって家に行くんか教えて」

 迎えに行こうかとも思ったけれど、どうにかうちに来るのを諦めてくれないかという酷い考えから、山手線に乗って池袋に行って! と言った。

「わかった」

 と母は電話を切った。

 母は山手線に乗れず、諦めて広島に帰ってくれるだろうと思っていたら、しばらくしてまた電話がかかってきた。

「池袋着いたよ」

 母親を田舎の人だとなめていた。

 でも東武東上線はさすがにわからないだろうと、そこから東武東上線で新河岸っていう駅に行って! と言って電話を切った。

 そして1時間後、

「新河岸着いたよ」

 腹をくくった。もう全てを話すしかない。僕は母に道順を教えながら、家の前で待っていた。母は僕を見て、

「あんたどうしたの? そんな破れたジーパンを穿いて」

 こういうのが流行っているとかではなく、本当にお金がなくて破れたジーパンを穿いていた僕は、「これがいいんだよ」とひとこと言って、家に迎え入れた。

「部屋が汚いね、どうしたん? 勉強道具も何にもないじゃない? 学校行ってないん?」

 ――うん。

「じゃあ、何しょうるん?」

 ――お笑い芸人をやっとる。

 母は、

「えぇ……なんで?」と言いながら、膝から崩れ落ちた。人間が本気で膝から崩れ落ちるのは、人生でこの一度しか見ていない。

 そして母はすぐに電話をかけた。

「もしもし、今、卓の家に着いたんじゃけどね」

『ああ、よかった着いたんね』

 受話器の向こうから漏れ聞こえてくる声は、実家のおばあちゃんのものだった。

「卓がお笑い芸人をやっとるって言うんじゃけど」

 母の声が震えていて、見ると泣いていた。

『そんなこといけんよ、すぐ連れて帰ってきんさい!』
 
 
 そこからの会話はよく覚えていないけれど、母が電話を切ったあとすぐに広島に帰ってきなさい! と言うような気がしたので、電話を切ると間髪入れずに、でもこないだ初めて新人が出るライブに出られるようになったし、そのライブに出られるのは限られた人だけじゃけえ、と、お笑い芸人を始めて2年でやっと掴んだ1回の舞台の話をした。

 そんな小さな成果が母親に伝わるはずもないのだけど、それを言うしかなかった。

 そのあとも、色々な話をした。

 お笑いをやりたいこと。もう就職する気はないこと。

 お金は全部自分でバイトで稼ぐから――本来、お笑いの道に進むときに言っておかないといけなかったことを2年越しで伝えた。

 でも母は「公務員試験を受けたら?」とか「お母さんの働いとる病院で働いたら?」と言う。僕の話が全く聞こえていないような、無理問答となっていた。

 それは当然だし、広島大学に一浪して入った息子がお笑いの世界に進んだなんて、実家に帰っても、近所の人には隠しながら生活しないといけないくらいの出来事だ。そしてその後、実際に隠して生活していたらしい。

 その日、母は僕の部屋に泊まり、次の日の夜、僕は母を新宿に送って行った。

 母が乗る高速バスの手配をして、今度は僕がバスを見送る。

 バスの窓際の席に座った母は、上から僕を見ていた。

 お笑い芸人になることを認めるとは言ってくれなかったけれど、その日は朝から夜まで、母は僕に広島に帰って来なさいとは言わなかった。


若い頃の母(看護師) イラスト:田中卓志(アンガールズ)

 ***

田中卓志(たなか・たくし)
1976年広島県出身。広島大学工学部第4類建築学部を卒業後、2000年に山根良顕と「アンガールズ」を結成。ネタ作りを担当している。紅茶、苔、バイオリンなど多趣味でもある。
オフィシャルインスタグラム @ungirls_tanaka

  • このエントリーをはてなブックマークに追加