ちょっと不運なほうが生活は楽しい
2021/08/16

アンガ田中が芸人を諦めなかった理由 大学浪人中に感銘を受けた木下ほうか似の先生の「ある言葉」とは?

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お笑い芸人・アンガールズの田中卓志による、ちょっと哀しいのにクスリと笑える日常とは? 文芸誌「小説新潮」の連載で明かされた可笑しみと悲哀がにじむエピソードを公開します。今回のテーマは「浪人中の忘れられない言葉」です。

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 地味な学生生活を送っている奴って、勉強だけはできるイメージだけど、僕に限ってはそうではなかった。はっきり言って平均よりもできなくて、大学受験の模擬試験を受けたら、偏差値は48くらい。

 将来、建築士になりたい夢だけは持っていたので、現役の時に偏差値52くらいの理系の私立大学を2校受けたけれどあっさり落ち、浪人することが決まった。

 広島県の田舎から、広島市内の舟入という場所に家賃4万円のワンルームの部屋を借りて引っ越し、予備校に通うことになった。

 人生初めての一人暮らし。大学には落ちたけれど、どこかウキウキした気分にもなった。

 田舎にはなかったマクドナルドが、部屋の窓を開けたら見えた。

 夜になっても街灯が灯っていて、車の音が外から聞こえてくるのも嬉しい。

 本来ならうるさいし眩しい、となるんだろうけれど、田舎で育ってきた僕には全ての価値観が逆だった。

 唯一嫌だったことと言えば、隣に住んでいたインド人が、夕方になるととんでもなくスパイシーな料理を作るので、匂いが隣の部屋の玄関から漂い廊下に出てきて、そのまま廊下を通り抜け僕の部屋のドアの隙間から入ってきて、僕の部屋にも充満してしまい、目がシバシバすること。しかも毎日!

 だからその時間になると、僕は川沿いに行って川を見て時間を潰した。僕の部屋であんなにスパイシーなんだったら、インド人の部屋は極限までスパイシーなんだろうなと思いながら。

 それ以外はなんだか幸せで、大学に落ちたショックなんて完全に忘れた、最低の18歳がそこにいた。

 予備校に行くと、たくさんの浪人生が同じ教室にいた。ああ僕だけじゃなくてこんなにいっぱい浪人してるんだ、良かった――そんなことを考えながら数学の授業を受けていると、キリがいいところで先生が授業を止めて、みんなに語り始めた。

 その先生は60代くらいの男性で、グレーのジャケットを着てネクタイはしておらず、シャツの一番上のボタンを外していた。目は細く白髪混じりの短髪の、少し怖い印象。木下ほうかさんのような雰囲気の人だった。

「みなさん、今日から授業が始まり、浪人生活が始まったわけですけども、はっきり言って、みなさんは今、学生ではないですよね、予備校は学校じゃないので学生とは言えません。しかも社会人でもないですよね、会社で働いているわけでもないんですから。みなさんは学生でも社会人でもない、なんでもない人間になったわけです。こんなところからは1年で抜け出さないと大変なことになりますよ。高校生の時に勉強しなかったから、こうなったんです。自分の責任なんだから、しっかり1年勉強をしたほうがいいですよ。僕は毎年これを最初の授業で言うんです。でも、これだけ言っても勉強せずに、来年の1月くらいに受ける大学がないと泣きついてくる人がいます。みなさんはそうならないようにしてください」

 そう言うとチョークを手に取り、「えー続いては……」と何もなかったように授業に戻った。

 僕は45歳になった今もこの言葉を覚えているけれど、その先生は1年間の授業の中で、1回しかこんなことを言わなかった。

 そのときは、先生がこんなにキツいことを言うんだという衝撃と、甘い考えで浪人生活をスタートさせようとしていた僕の心を突き破られたような気持ちとが入り混じって、固まってしまった。

 予備校の講師というのは学校の先生と違ってとにかくビジネスライクで、ちゃんと勉強を教えさえすればいいという人が多いから、学校の先生が言わないような雑談が授業中にたまに入る。

「昨日ポルシェ買ったんだよね! 音がブインブインすげ~んだよ! でも今日スピンしてぶつけちゃったよ」

 という話をする先生もいた。

 そんな中であの木下ほうかさん似の先生の、ディフェンス力0の状態の予備校生の心を突き破るためだけに発せられた言葉によって、僕は考えが変わった。一人暮らしの部屋にテレビを買おうとしていたのもやめた。毎日、授業の予習をして、授業中はメモをする程度でノートは取らない。

 先生の話を聞くことに、とにかく集中する。帰ったらその日の復習をして、前日までの授業で出された問題をくり返し解いた。

 そこまで勉強したおかげで、志望校の広島大学の模擬試験の判定が、4月の時はE判定だったのに、12月の時点ではB判定まで上がっていた。

 B判定というのは、まぁ受けたら受かる可能性があるかもね、という程度なのだけれど、自分でもかなり頑張ったと思う。

 そして、1年の成果を出すべく勢い込んでセンター試験を受けたのに、見事に失敗。

 予備校の判定によると、センター試験で広島大学受験に必要な得点のボーダーラインは、580点。

 その下に、これより低い点数だと受けても受からないという注意ラインがあって、それが560点。

 自分のセンター試験の自己採点は、それをさらに下回る543点だった。

 何度も見返して、採点をし直しても543点。5から順に降っていくような点だと思ったので、今でもきっちり言える。

 苦手な国語では現役時代を下回る点数も叩き出した。

 ここで、志望校を変えるべきか、それともそのまま広島大学に出願すべきか、迷った。注意ラインを下回っているんだから当然変えるべきなのだろうけれど、2次試験には国語がない。得意の数学、物理、化学と英語の4科目で勝負できるが、センター試験が注意ラインより下なのは変わらない。

 人生において大きな分岐点。どうすればいいのか家で一人で悩んでいた時、またスパイシーな香りが部屋に漂ってきて、本気でイライラした。

 川土手に行って座りながら考えてるうちに、なんで毎日インド人に目をシバシバさせられて、テレビも見ずに1年間頑張ってきたのに、志望校を変えなきゃいけないんだという気持ちになり、広島大学に出願した。

 そこから1ヶ月さらに勉強して、受験当日。

 広島市内を走るチンチン電車で広島駅へ。40分電車に乗って西条駅で下車し、そこからバスで15分のところに試験会場の広島大学はある。

 まずはチンチン電車に乗ろうと駅まで行ったら、ちょうど発車したところだった。次のがなかなか来ない。10分くらい待ってやっと乗れた。

 するとそのチンチン電車は信号に引っかかりまくって、広島駅に着いてダッシュしたものの、またも乗り遅れてしまった。次の電車は15分後、目的の西条駅に着いた時には、試験に間に合うか時間ギリギリになっていた。駅から乗ったバスがまた信号に引っかかりまくり、広島大学工学部前のバス停に着いた時は、試験開始の3分前。

 やばい! 一生の中で一番ダッシュした瞬間はここだと自信を持って言えるほど走った! 1年浪人したのに、こんなしょうもないミスで試験を棒に振る訳にはいかない!

 なんとか試験会場の教室に飛び込んだら、もうみんな着席して静かに開始を待っていた。とんでもなく大きな息づかいをハァハァと響かせながら、教室を汗だくで歩く僕を見て、他の受験生が引いているのがわかった。

 着席してフーと深呼吸したとたん、「始めてください」という声がかかった。

「お前みたいな奴に休息など無い!」と言われたような気持ちになりながら、慌てて筆箱をカバンから出す。

 こんな始まりだったのに、試験を終えたあとで答え合わせをしたら、物理で満点をとっていた。自慢じゃないけど。

 そのおかげで、2次試験で逆転して合格した。
 
 
 しかし、ここまでして入った広島大学を卒業してお笑い芸人になったのだから、なんだか人生遠回りというか空転しているような気がする。だけど、芸人になると決めて上京した数年後に、同期芸人であるロッチのコカドケンタロウ君にこんなことを言われた。

「お前、いつ遊びに誘ってもネタ書いてるな! こんなにネタ書いてる芸人おらんで!」

 その時、芸人というものはもっと遊びながらやるものなんだと知らされた。なんでこんな行動をとっていたのか考えてみたら、あの、木下ほうかさんに似た先生の言葉を思い出した。

「みなさんは学生でも社会人でもない、なんでもない人間になったわけです」

 お笑い芸人を始めた時、人生で2度目のこの状態になっていることになんとなく気づいて、なんでもない人間から脱却しようともがいていたのだろうと思う。

 たぶん、浪人せずに先生の言葉を聞かないまま芸人になっていたら、ダラダラと芸人を続けて、どこかで諦めて実家に帰っていた気がする。


予備校にいた美人チューター イラスト:田中卓志(アンガールズ)

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田中卓志(たなか・たくし)
1976年広島県出身。広島大学工学部第4類建築学部を卒業後、2000年に山根良顕と「アンガールズ」を結成。ネタ作りを担当している。紅茶、苔、バイオリンなど多趣味でもある。
オフィシャルインスタグラム @ungirls_tanaka

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