トミヤマユキコ「たすけて! 女子マンガ」
2016/10/14

“強さ”と“ふつう”の間で葛藤する「柔ちゃん」(「たくましい女」その3)

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 女の人生をマンガに教えてもらおう! をテーマに文芸誌『yomyom』で連載中のトミヤマユキコさん「たすけて! 女子マンガ」。今回のテーマは「たくましい女」です。『女の友情と筋肉』や『その娘、武蔵』、『うる星やつら』といったマンガの強い女たちには、共通点があるといいます。それは彼女たちが最初から強いということ。特に能力に恵まれているわけではないふつうの女は、どうやって強くなればいいのでしょうか? そして、たくましい女になることと、ふつうの女の幸せを、両方叶えることはできるのでしょうか。

* * *

 ラムちゃんもそうだが、女子マンガに登場するたくましい女の多くは、どういうわけか、はじめからたくましい。もしかしたらもやしっ子だった過去があるのかも知れないが、その部分は省かれている。男子が主人公のマンガだったら、もやしっ子からの成長過程をドラマティックに描くだろう。現に、いま2.5次元ミュージカルの原作となっている少年マンガの多くが、チーム男子の成長譚だ。素質はあっても経験なし。そんな主人公がスポーツに出会って、時折は挫折を味わいつつも、メキメキと強くなり、高みを目指す。いわゆる「努力・友情・勝利」というやつだ。

 それが「王道」だとしたら「柔ちゃん」こと「猪熊柔」は、どう考えても最初から強すぎる。浦沢直樹『YAWARA!』のヒロインである彼女は、5歳で父親を投げ飛ばした柔道の天才。この事件をきっかけに父親は家を出ていってしまい、母親は生活のほとんどを父親捜索に費やしている。実質的に柔を養育したのは、祖父「滋悟郎」であり、その教育方法は彼女を可愛い女の子として育てるのではなく、世界最高の柔道家に育てるものだ。その甲斐あって、柔はとんでもなくたくましい女子に成長した。たった1回の不戦敗を除いて全ての試合で勝っているし、2階級制覇もしている。オリンピックはソウルとバルセロナに出場しているが、どちらの大会でも金メダルを獲得。徹頭徹尾、柔道の天才であり続けている。

 はっきり言って、ここまで強いと、逆にめちゃくちゃ気持ちいい! 最高級のベンツでアウトバーンを走っているようなものだ。向かうところ敵なし。バッサバッサとなぎ倒してゆく爽快感をただひたすら味わうことができ、それでいて話がワンパターンの繰り返しに見えないのだから、本当にすごい。

 もやしっ子からの成長譚を描かない『YAWARA!』においてドラマティックに描かれるのは、「ふつうの女になりたい柔」と「たくましい女になりたい柔」の葛藤である。彼女の人生は、矛盾するふたつの自分が綱引きをしているようなものだ。滋悟郎に言われた通り毎日のトレーニングを欠かさないアスリートとしての自分もいれば、短大に入ってアルバイトをしたり、好きな人のことで思い煩う女子としての自分もいる。

 しかし、基本的に柔はふつうの女になりたくて仕方ないのである。「やるもんですか、柔道なんて!/恋したりおしゃれしたり、青春しちゃうんだから!!」……柔道は気がついたらやらされていたもので、彼女には自ら望んで柔道を選択したという記憶がない。むしろ、自分が父親を投げ飛ばしたせいで父親がショックを受け、家を出たのだと思っているため、柔道は「家族を壊すもの」だと認識しているくらいだ。柔にとって柔道は、父を失う原因となったものであり、しかしながら、父と自分とを繋ぐ唯一の接点でもある。だから、自分で柔道をやりたいと思い本気で取り組むようになるまで、かなりの時間を要しているし、作中なんども柔道を辞めようとするシーンが出てくる。

 ふつうの女になりたいと願う柔を引き留めるのは、滋悟郎である。とにかく彼が柔に柔道をやらせたくて仕方がないのだ。彼が柔を手放さない以上、彼女がこの呪縛から逃れるのは不可能に近い。ひとによっては「人権無視だ~!」と怒りたくなるような方法で、滋悟郎は柔を柔道に縛り付ける。進学する大学を勝手に決めたり、就職を阻止しようとしたり、やりたい放題。「よいか、柔!! オリンピックで金メダルをとれ!!/そして、めざすは国民栄誉賞ぢゃ!!」……そう語る滋悟郎は、孫の部屋を勝手にチェックして『CanCam』『JJ』『an・an』ではなく『柔道スピリッツ』を読むように言ったり、「少年隊」や「チェッカーズ」のポスターをはがして、山下泰裕のポスターを貼ったりしてしまう。

 コミカルに描かれてはいるが、こんなにも柔を振り回して悪びれない滋悟郎はおそろしい祖父だ。しかし柔は別の意味でおそろしい。ふつうの女子高生として過ごす時間を確保しながら、祖父の望む強さをキープしているからである。わたし自身の過去を振り返るに、女子高生だった頃なんて受験勉強に必死で、ほかの何かを見たり聞いたりする余裕なんてほとんどなかった。その後受験に失敗して、1年間の浪人生活を経験したが、予備校をサボったのは1講座だけ! 近くのHMVでお笑い芸人のキャイ~ンがインストアライブをやるというので見に行ったほんの数時間だけ! そこまでして見に行ったウドちゃんと天野くんは、遠すぎてほとんど見えなかった!

 ……というのが必死こいた凡人の暮らしであるとすれば、柔はものすごい量の練習メニューをこなしながら、女性誌を読んだり、芸能人にハマったりしているのだから、ある意味、余裕しゃくしゃくである。天才的な柔道少女でなければ、この余裕は出て来ないだろう。その意味で彼女は「別格」だ。真似しようと思ってできるものではない。

◆全てを手に入れる強さは天才型より努力型にある?

 柔が天才で別格だとすれば、彼女の友人「伊東富士子」は、血の滲むような努力を重ねてたくましくなっていった女なので、柔よりはいくぶん真似できそうな気がする(とはいっても彼女もかなりすごい柔道家なのだが)。富士子は、身長が高くなりすぎてバレリーナを諦め、柔道を始めた。もともと運動神経がいいし、柔軟性もあるので、かなりのスピードで強くなっていくが、そうはいっても、大好きだったバレエを諦め、未経験の柔道を極めるのは大変なことだ。柔や滋悟郎に助けてもらいながらがんばる富士子はとても健気。つまり富士子の物語は、少年マンガ的な成長譚であり、必死こくと余裕がなくなるわたしのような人間の物語でもある。富士子は「あれもこれも」なんてできないから、必死で柔道をがんばるのだが、練習を通じて、柔の高校時代の柔道部主将「花園」と出逢い、恋に落ちてしまう。柔がお坊ちゃまタイプの風祭に惹かれつつも、スポーツ記者「松田」のことが気になってフラフラしている間に、富士子は着実に花園との交際を進展させ、最後にはデキ婚をキメるのだ。富士子やるな~。

 富士子にとって、たくましくなることと、恋することは、二者択一ではなく、車の両輪である。そのふたつがあるからこそ、彼女の柔道人生は前進してゆく。富士子は、たくましくなる途上で男と出会い、男と出会ったことで、よりたくましくなっていく。このことは、出産後の富士子がオリンピックを目指すエピソードにもよく表れている。富士子ママを支えるため、花園パパはいわゆるイクメンになることを決める。彼にとって、世界大会に出るような有名選手を妻に持つことは、柔道家としての自分を捨てることを意味しているが、彼は体育教員になり、家庭人として生きていくことを人生の新たな目標に定め、挫折に苦しむ様子をまったく見せない(犠牲というより、前向きな覚悟って感じ)。花園もなかなかやるな~。

 ということは、『YAWARA!』の中で欲しいものを全て手に入れているのって、富士子なのではないだろうか。バレエを続けられない悲しみを柔道によって乗り越え、練習仲間として花園と出会ったことで、柔道も恋愛も諦めずに済んだし、出産後も夫のサポートによって夢に向かい進んでゆくことができた。何かを手に入れる能力ということで言えば、大金持ちのワガママお嬢様「さやか」が一番のように思えるが、さやかでも柔でもなく、富士子がもっとも多くを手に入れた女だという気がしてならない。そして、この物語が富士子にこれだけの幸せを与えていることが意味するのは、ひとはたくましくなる上で何かを諦める必要なんてない、ということではないか。強くなりたいのなら恋愛は御法度だと祖父に言われ続けている天才型の柔とは対照的に、努力型の富士子はたくましさと愛を手中に収める。だとすれば、わたしのような欲張り人間は、柔より富士子の爪の垢を煎じて飲むべきなんだろう。

《「たくましい女」その4につづく》

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