トミヤマユキコ「たすけて! 女子マンガ」
2016/10/28

強さに気づかせぬ呪いにかかった「ノンナ」(「たくましい女」その4)

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 女の人生をマンガに教えてもらおう! をテーマに文芸誌『yomyom』で連載中のトミヤマユキコさん「たすけて! 女子マンガ」。今回のテーマは「たくましい女」です。『YAWARA!』の柔ちゃんのように「自らの強さと“ふつうの女の子になりたい”思いとの間で悩む女」がいる一方、友人の富士子のように「たくましい女になることとふつうの女の幸せを両方叶える女」もいるとトミヤマさん。しかし、強くなること自体を抑圧される女や、強さによって逆に弱者となってしまう女もいるのです。

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 ここまで、筋力系、スポーツ系の作品をたくましい女の例として挙げてきたが、女子マンガには、演劇やバレエといった「舞台の世界」もある。美しい舞台の裏側には、とんでもなく苛烈な世界が……女がムキムキとか、女が男をぶん投げるとか、そういうことではないけれど、肉体的なたくましさが必要とされるのは同じ。柔道家になる前の富士子がバレリーナだったという設定が雄弁に物語っているが、舞台の世界もまた、たくましい女だらけである。

 バレエマンガの傑作、山岸凉子『アラベスク』は、バレエ一家に生まれた「ノンナ」の物語。母親はバレエ学校で指導者をしており、ノンナと姉「イリーナ」は、そこの生徒だ。優秀な姉を持ったノンナは、自分に自信を持てずにいるが、いまをときめくスーパーダンサー「ミロノフ」に見出され、名門バレエ学校に編入することになる。母親も姉も、妹が選ばれたことに驚きを隠しきれない。「イ イリーナ力をおとさないで/な なにがなんだかママにもわからなくなってきたわ」と母親は語り、泣き崩れる姉を慰める。しかし最もわけがわからないのはノンナだろう。これまでずっと姉より劣る妹だと思い続けてきたのに、いきなり名門校に来いと言われても困るに決まってる。

 とはいえノンナは、もやしっ子ではない。もともと姉と一緒にバレエ学校に入れるだけの能力は持っている。つまりノンナは、磨かれる前のダイヤモンドであり、それを見抜いたのがミロノフなのだ。では、なぜノンナが磨かれぬダイヤモンドであり続けたかといえば、それはどう考えても「母の呪い」のせいである。つねに姉ばかりを褒める母に育てられたノンナは自己肯定をする方法を知らない。「先生がいうとおりのことができるぐらいなら/とっくに名プリマになってますよ/オデット姫だってオーロラ姫だってなんだって踊れちゃうじゃない/ミロノフのバカ!/無理なことばかりいうやつなんか死ねーっ!!」……ノンナは、厳しい練習のあと、こんな風に悪態をつく。なんでミロノフ先生はダメな自分に構おうとするんだ、なんでこんなに特訓ばっかさせられるんだ、別に好きなバレエが踊れればそれで幸せなのにな、みたいなことばかりノンナは考えているが、この自己肯定感の低さは間違いなく母の呪いによるものだ。一流の先生によってすばらしいダンサーになるチャンスが目の前に転がっているのに、ノンナは二の足を踏んでばかり。本作におけるたくましさは、明らかに「自由な心」とセットである。心を解放することができない女は、たくましくなれない。ノンナは母の呪いを乗り越えることなしにたくましくはなれないのだ。

 ノンナ自身は母の呪いがガッチリかかりすぎて気づいていないけれど、ミロノフやバレエ学校のライバル、そして読者にとっても、ノンナは最初からスーパーダンサーの卵である。最初から強くたくましかった柔と同じように、ノンナも最初から希有な身体能力を有しているのだ。ちなみにわたしには、かつてTRFのダンスパフォーマンスに夢中だった時期がある。彼らのパワフルな踊りは、わたしにとって憧れそのものだったので、是非とも真似したかった。それでジャズダンスの教室に通ったのだが、驚いたことに生徒はわたしひとり。なのに、先生は、褒めるでも貶すでもなく、なんだかとっても淡々としていた。きっとセンスも身体能力も、全体的に大したことなかったんだろう……。劣等感も優越感も感じられないまま通い続けて半年経った頃、先生が結婚して大阪に引っ越すとかいって、教室をいきなり閉じてしまった。それと同時に、わたしもダンスを諦めた。だってどう考えてもそこが引き際である。ショボいとしか言いようのない思い出だが、だからこそ、ノンナがどれだけ褒められても「わたしなんか」という態度を崩さないのを見るとジリジリする。自分の才能にどれだけ鈍感なのかと。いきなり教室を閉じられた哀れな女もいるんだぞと。

 舞台の世界と言えば忘れちゃいけない『ガラスの仮面』も、ヒロイン「マヤ」が、第1巻冒頭の時点で出前の年越しそばを運びまくり(ひとりで120軒)、他人の家のテレビを見るために屋根を伝って移動したり(あぶない)舞台、「椿姫」のチケットを拾うために冬の海に飛び込んでいた(死ぬぞ)。演劇の才能について描かれるのは、尋常ではない身体能力をたっぷり見せつけた後のこと。やはりヒロインはたくましくてナンボなのだ。

◆強さゆえの弱さ

 最後に、平方イコルスン『SPECIAL』の「こもろ」を紹介しよう。超人的怪力の持ち主である彼女は、借りたシャープペンシルを一瞬で粉々にするし、体育の授業では「みんな死んでまうから」と見学を余儀なくされる。蚊に刺されて痒いからと、道路標識に腕をすりつけたら、鉄のポールがぐんにゃり曲がってしまう。

 下手に動いたらとんでもないことになる彼女の日常は、かなり不便であり不幸なように思える。実際、その怪力のせいで夏休みには検査入院をしなければならないのだ。でも、こもろは「夏休みの宿題がな/ないねんあたし!!」と至ってポジティヴ。友だちの「さよ」は、2週間の検査入院を可哀想だと思っているが、こもろは宿題のない自分に嫉妬して欲しいと思うだけだ。

 今回取り上げた中でも最もふつうっぽいのに最も怪力なのがこもろである。が、ここまで極端に強いと、逆に彼女が弱者めいて見えてしまう。みんなが気遣ってやらねば、まともな学校生活を送れないこもろ。彼女だけが力を抑えて孤独に生きるならば、なんとも悲惨な話だが「強すぎるがゆえの弱者」の周囲には、いつだってよき理解者がいる。「か弱い」のとはちょっと違うが、こもろが弱者であることは間違いなくて、だから友だちは、彼女に自然と優しくなる。強さの先には弱さがあるし、強すぎるために弱者となる者のそばには、いい仲間がいる。しかもそれは、異性間の恋愛によらない、もっとフラットな友愛だ。『アナと雪の女王』において、とんでもなく強い姉の孤独を癒したのが妹であったように、いま、この手の強すぎる女を救うのは、王子様の愛ではなく、家族の愛であり、女同士の友情である。

 たくましすぎることは、ときに生きづらいのかも知れない。目立つし、暴力的だと勘違いされることもあるし、女らしくないと思われることだってあるし。でも「強いですが、なにか?」の精神で生きていける世界を女子マンガは描こうとしていて、しかもそれは確実に受け入れられつつある。たくましい女の未来は、けっこう明るい。だから、たくましくなりたい女は、安心してたくましくなって良いのだと思う。というわけで、やはりわたしは現世のうちからたくましくなろう(ダンスは向いてないので、それ以外の方法で)。

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