トミヤマユキコ「たすけて! 女子マンガ」
2016/06/17

マンガの女は常におもしろい(「おもしろい女」その1)

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 マンガに女の人生を教えてもらおう! をテーマに文芸誌『yomyom』で連載中のトミヤマユキコさん「たすけて! 女子マンガ」。今回のテーマは「おもしろい女」です。おもしろい男はもてはやされても、おもしろい女は一歩間違えれば哀しいピエロ……。ところがどうして、マンガの世界を眺めてみれば、さまざまなタイプの女たちがそのおもしろさを発揮して生きているのでした。

* * *

 女のおもしろさというのは、厄介というか、取り扱いがむずかしい。おもしろいが故に愛され人気者となるひとがいる一方で、ただ笑われる(嘲笑される)だけでおしまいのひともいる。ちょっと極端な例だが、芸人のことを考えてみてほしい。女芸人は、そのおもしろさによってお茶の間の人気者になるわけだけれど「おもしろいせいでモテない」と嘆くのが常だ。逆に、おもしろすぎるせいでモテない男芸人の話は聞いたことがない。彼らがモテない場合、原因はおもしろさ以外のところにあるとされ(きれい好きすぎるとか)、おもしろさがモテを邪魔することはない。

 だからこそ、女芸人が結婚したときの衝撃は大きい。「おもしろくても結婚できるんだ!」という驚きと希望が一気にやってくるから。

 それにしても、この「おもしろい女はモテない」という考えはなんなのだろう。日本ではとくに女のおもしろさとモテの相性が悪い気がする。男のおもしろさはモテを邪魔しないのに、女のおもしろさはモテと両立しにくいばかりか、サジ加減を間違えれば、あっという間に哀しいピエロじゃないか(納得いかない)。

 というか、そのピエロはかつてのわたしだ。合コンを盛り上げようと、とっておきのネタをぶっ込むたび、男子は恋愛モードをオフにしてゆき、会ったばかりの女子は「また飲みたいな♡」と連絡先を聞いてくる。女にモテてどうすんだ、これじゃダメだ、と思って黙っていたら、それはそれで勝ち目がない。「もの静かな家事手伝い」という設定で挑んだ合コンは、広告マンとCAたちにいいところを持っていかれ散々だった(しかも最後にボロが出てしまい、またしてもおもしろい女枠で女子にモテた)。それ以来、合コンには行っていない。おもしろさの加減って、本当に難しい。

 かといって、つまらない女はもっとダメだ。なんたって、つまらないのだから。とくに「若いからOKだよ」的な理由で許されていたつまらなさは、歳を取れば取るほど通用しなくなる。実際、おもしろ偏差値低めの独身アラサー&アラフォーは、仕事でも恋愛でも大苦戦している(たとえ性格が良くても聞き上手でも美人でも)。なぜなら、「ひとを楽しませるという『気遣い』ができないひと」だと感じる層が一定数いるからだ。世間というのは妙なもので、過度なおもしろさには引くくせに、適度なおもしろさを「大人の女のたしなみ」だと思っているフシがある。だとすれば、ある程度おもしろくなっておいた方が、より円滑な人間関係を築けるし、長い人生をサバイブしやすいということになるだろう。

 そう考えると、平野レミって本当にすごい! おもしろい上に旦那さん(和田誠)がステキで息子(和田唱)もカッコいいときている。とんでもないおもしろさをキープしながら、家族からちゃんと愛され、のびのび働いているレミが眩しい。この世には「恥ずかしいからやめて!」と言われ、闇に葬られた女のおもしろさがたくさんあるハズだということを考えると、レミのおもしろさは、ますます貴重だ。

 わたしもあんな風になりたい……でも、先述の通り、この国で女がおもしろくなるというのは、笑われバカにされ、モテなくなることと紙一重。それに、おもしろくなりたいと思ったとしても、すぐにおもしろくなれるわけじゃない。そこでマンガの出番である。

◆おもしろい女の系統 「無意識系」と「自意識系」

 おもしろい女として全国的に有名なのは、アニメ放送でおなじみさくらももこ『ちびまる子ちゃん』と長谷川町子『サザエさん』だろう。ふたりとも明るく軽妙。みんなから好かれるタイプのおもしろい女だ。前々から思っていたのだけれど、フジテレビは日曜の夜に「子ども版おもしろい女(まる子)」と「大人版おもしろい女(サザエ)」を立て続けに観せて、一体なにがしたいのか……ブルーマンデー対策? よくわからないが、市井に暮らすユーモアたっぷりのおもしろい女をぼんやり眺めながら週末を過ごすという謎の風習がこの国にはある。

 さらに広い範囲を見渡してみたところ、おもしろい女には、大きくふたつの系統があると思うに至った。名付けて「無意識系」と「自意識系」。無意識系は、自分がおもしろいかどうかをよくわかっていない。「天才」「天然」「不思議ちゃん」と呼ばれるキャラクターがこれに当たる。度を超した無意識系は煙たがられることもあるが、いわゆる「ドジっ子」レベルであれば、程よい無意識系として愛でられる確率が高い(おもに殿方から)。

 対する「自意識系」は、基本的に自分がユニークだとか、ちょっとズレているとか、そういうことをある程度自覚している。どうせふつうの女子じゃないのなら、とばかりに「お調子者」「道化」のイメージを積極的に引き受け、自虐に走る者も少なくない(それがウケると、自虐はさらに加速する)。

 無意識系も自意識系もマンガに不可欠なキャラであり、数え切れないほど存在している。それこそ、少女マンガの先駆け的作品といわれる松本かつぢ『くるくるクルミちゃん』(昭和13年から35年間も連載されていたものすごい人気作)だって、ひょうきんないたずらっ子だったのだ。

 少女マンガの歴史はおもしろい女とともにある。もっといえば「漫画」そのものの起源が「こっけいな絵」にあるのだから、おもしろい女との親和性が高いのは当然。その事実を押さえた上で、現代を生きる女子の参考になりそうなキャラクターを中心に、あれこれ考えてみたい。

《「おもしろい女」その2につづく》

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