トミヤマユキコ「たすけて! 女子マンガ」
2016/07/01

“無意識系おもしろい女”はエリート男を変える 「のだめ」「雪丸花子」(「おもしろい女」その2)

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 マンガに女の人生を教えてもらおう! をテーマに文芸誌「yomyom」で連載中のトミヤマユキコさん「たすけて! 女子マンガ」。今回のテーマは「おもしろい女」です。女のおもしろさはモテと相性が悪く、一歩間違えれば哀しいピエロになりがち……だけど、『ちびまる子ちゃん』や『サザエさん』を筆頭に、女子マンガの世界ではおもしろい女たちがちゃんと愛されています。観察すると、女のおもしろさは「無意識系」と「自意識系」のふたつに分類できるそうで――。

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 まずは無意識系のおもしろい女から見てみよう。二ノ宮知子『のだめカンタービレ』の「のだめ」こと野田恵は、わたしの大好きな無意識系だ。天才的なピアニストだが、大学生とは思えないほど幼稚な天然ガール。初期ののだめは、いわゆる「汚部屋」に住んでおり、虫が湧いたりカビが生えたりは当たり前。「おフロは1日おき/シャンプーは5日おき/ふふ こう見えても結構キレイ好きでショ♡」と語っていたりもして、かなりのズボラ。ピアノはたしかに巧いのだけれど、譜面が覚えられなかったり、気分のムラが演奏に出てしまいやすいなど、危ういところも多々ある。

 そんなのだめが、同じ音大に通い、同じマンションに住むオレ様キャラ「千秋」と出会い、恋に落ちる。千秋は超イケメン&超エリート。本当は指揮者になりたいのに、あえてピアノ科に入り腕を磨こうとする「意識高い系」である。つまり、ふつうならお遊戯曲「おなら体操」をせっせと作るのだめみたいな女は選ばない。そんなこと、彼のプライドが許さない。

 しかし、千秋はのだめを「変態」と罵りながらも、好きになってしまうのだった。というより、のだめのペースに巻き込まれ、気づいたら放っておけなくなった、という感じ。ではなぜ千秋はのだめを無視できないのか。それは、のだめの天然っぷりに振り回されることが、新たな世界を知ることだと気づいてしまったから。

 たとえば、ふたりが初めて連弾をした際「身震いするほど感動する演奏ができることなんて本当にまれ」だと恩師に言われていた千秋が「小さな身震いを感じてる」ことからも、新しい世界にときめいていることは明らか。とくに序盤の千秋は、怖くて飛行機に乗れず、海外で武者修行できない鬱屈を抱えているため、のだめのおかげで日本にいながら新たな世界に触れられる感動は、より鮮明に描かれる。ちなみに、このあとのだめが千秋の飛行機嫌いを超インチキっぽい素人催眠術であっという間に治してしまうエピソードが出てくる。やはりのだめは、千秋に新たな世界を見せるのが上手い。

 のだめの方が最初に惚れたハズなのに、気づくと千秋の方がよっぽどのだめに惚れているという逆転現象は、のだめが「糟糠の妻」タイプだったら、ぜんぜんおもしろくない。尽くしてくれた女に男が惚れる話なんて、フィクションにもリアルにも、掃いて捨てるほどあるのだから。

 のだめの行動は、千秋を思っての「内助の功」とはちょっと違う。エリートであるがゆえに、道を外れる術を知らないお坊ちゃまの千秋を、変態のだめが無自覚に振り回すのであって、尽くす/尽くされるの関係ではない。この関係が『のだめ』をこの上なく風通しのよい作品にしているのだ。

 佐々木倫子『チャンネルはそのまま!』の主人公「花子」も無意識系のおもしろい女だ。本人は気づいていないが、北海道のテレビ局に「『バカ枠』初の女子」として採用されている。

 入社して初めての生中継では、増水した川を流されてきた猿と格闘。泊まり勤務ではドアロックの暗証番号を忘れて建物外に締め出され、座礁した貨物船を取材に行けば、外国人船員に「How do you feel?」と書くべきところを「Hou do you feel?」と書いてしまい叱られる。「Hou」って……まさにバカ枠。花子は、体力と気力以外ほとんどあてにならない「天然女王(ネイチャー・クイーン)」だ。

 同期入社のエリート男子「山根」は、バカすぎる彼女を毛嫌いし、彼女を採用した会社の真意を知りたがる。すると上司の「小倉」部長が、バカ枠についてこんなことをいうのだ。「優秀なヤツだけでは小さくまとまってしまう。/バカは失敗を恐れない。/化けてエースストライカーになることがある。/ま、そのままただのバカで終わるヤツもいるけどな」。

 つまり部長は、花子みたいな女こそが会社を救うと言っているわけだ。やがて山根は、このあと何度も花子の大失敗&大活躍を目にして「バカ枠=エースストライカー説」を信じるようになってゆく。と同時に、自分がそのお世話役「バカ係」になることも、致し方なしと考えるようになる。その間、花子はただがんばって働いているだけだ。自分が誰かにいい影響を与えているなんて、思ってもいない。

 なお、完全に余談だが、小倉部長はどう考えても北海道発の人気バラエティ番組「水曜どうでしょう」の藤村ディレクターがモデルだ。見た目もそっくりだし、甘党なのも同じ。なので「どうでしょう」好きが読むと、花子と大泉洋がカブって見えてくる。「どうでしょう」が地方の低予算バラエティ番組でありながら全国区の人気を獲得できたのは、なんといっても大泉に「テレビのお約束」を意識させず、自由な言動を許したからだ(酔っ払って相撲を取っても、バイクで事故りそうになっても、本気で口論をしても、おもしろければカットされない)。藤村が大泉を自由に泳がせる感じは、小倉が花子のおバカぶりを許すのと、とてもよく似ている。

 おもしろい女がエリート男を振り回す、という展開は『のだめ』も『チャンネルはそのまま!』も同じだ。ただ、千秋はのだめを好きになるが、山根は「バカ枠」である花子の「バカ係」となることを一種の職務として捉え、恋愛感情抜きで花子と向き合っている。そんなのロマンチックじゃない、と感じるひともいるだろうが、わたしなんかは逆に萌える。恋愛に帰着しない男女の「バディ感」にグッときてしまう。これぞ人として人に愛される、最高の関係じゃないか!

「バカ枠」である以上、笑われることを避けられない花子。しかし彼女は、そのおもしろさによって多くの人びととコミュニケートし、山根に刺激を与え、終わりかけていた番組を救ったりする。おもしろい女が、おもしろいまま生きていけるどころか「迷惑なんだけど尊い」と思われ、大事にされる理想郷が、ここにはある。ぶっちゃけ花子はモテてない。でももっとすごい愛に包まれて生きている。だから1ミリも悲愴感がない。このように、非モテのつらさが一切描かれないのもこの作品のいいところだと、わたしは思う。

《「おもしろい女」その3につづく》

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