トミヤマユキコ「たすけて! 女子マンガ」
2016/08/01

自意識系のおもしろさはツッコミ力「江古田ちゃん」(「おもしろい女」その4)

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

 マンガに女の人生を教えてもらおう! をテーマに文芸誌『yomyom』で連載中のトミヤマユキコさん「たすけて! 女子マンガ」。今回のテーマは「おもしろい女」です。女のおもしろさを「無意識系」と「自意識系」のふたつに分類し、「無意識系」を『のだめカンタービレ』や『はいからさんが通る』などの「自由で無敵な“新しい女”」の系譜に位置づけたトミヤマさん。では、「自意識系」とはどんな女なのかというと……。

* * *

 無意識系のおもしろい女が現状を打破する力を持っていたり、ヒーロー然とした強さを秘めていたりと、なにやらスケールがデカいのに対し、自意識系のおもしろい女は、半径5メートルの世界を守備範囲としている。守備範囲が狭い分、かなり微視的であり、いろいろなことをしらみつぶしにチェックするような細やかさ(というかしつこさ?)を持っているのが特徴だ。無意識系がボケなら、自意識系にはツッコミのおもしろさがある、と言えるだろう。

 たとえば瀧波ユカリ『臨死!! 江古田ちゃん』の主人公「江古田ちゃん」は「分析の鬼」と呼びたくなるような超微視的なキャラクター。自宅では全裸、好きでもない男と寝てしまうこと数知れず、いくつもの仕事を転々とし、大都会東京を漂うように生きている。と書くと、なんだか戦闘能力が低そうだけれど、斬るときは斬る女だ。

「女って とっても怖い生き物なんです…/いつだって周囲を観察して分析を怠りません/「やっぱりそうなんですね〜〜 女の人 怖〜い」なんて/アワアワしちゃう男の人も いるようですが…/もちろん そんな方々もばっちり観察対象ですので/ゆめゆめ ご油断めされぬようお気をつけを♡」と、遠くの安全地帯から女たちを見下ろそうとする人びともきっちり捕獲&分析してしまうおもしろ恐ろしい女である。

 そんな彼女の功績は、なんといっても女子カテゴリ「猛禽」の発見。猛禽とは「走ればころび!!/ハリウッド映画で泣き!!/寝顔がかわゆく!!/乳がでかい!!」女子のこと。彼女たちは「ボケボケしてるようで狙った獲物は決して逃がさない」し、眼中にない男たちも「『友達として好き』とか言って飼い殺す」という、かわいいくせしてどう猛な性質を持っている(こういう女子、確かにいる!)。

「ブリッコとも天然とも何かが違う……」と思っていたけれど、イマイチ言語化できずにいた女子を「猛禽」の一語で表現し、わたしたちをニヤリとさせる江古田ちゃんは、やはり分析の鬼だ。

 しかし、ここで見逃しちゃいけないのは、猛禽について語る江古田ちゃんのすぐ近くに、作者が「こんなんだからダメなんです」と書き添えていることだ。猛禽について分析する江古田ちゃんをさらに作者が分析する。この分析地獄が『江古田ちゃん』をおもしろい作品たらしめている。

 何かを分析することは「ツッコミ」のニュアンスを帯びるものだが、作中人物たちの分析を作者がさらに分析する(ツッコミに対してさらなるツッコミを入れる)とき、江古田ちゃんは一気にボケへと反転する。このダイナミズムがたまらない。というか、このダイナミズムがあるからこそ、江古田ちゃんは嫌われないのだと思う。わたしも分析好きで、他人のアラ探しをしてしまうタイプなのでよくわかるのだが、こういう分析癖というのは、やめようと思ってもなかなかやめられるものではない。むしろ、人生経験を積めば積むほど、分析力は高まってしまう(口が悪くなるともいいます)。

 だから、そんな人間にツッコミを入れてくれるひとがいたら、手放してはいけない(ただし、ツッコミと上から目線のマウンティングは違うので注意)。江古田ちゃんの場合は、作者のほかに友人Mがその役割を担っている。江古田ちゃんがボケ側にまわれる(ツッコミが相対化される)よう、さらなるツッコミを入れるのがMの役目だ。たとえば、江古田ちゃんが「片思いじゃ何もはじまらないじゃん…」と、彼女持ちの男との交際を正当化すれば「やってりゃえらいんですか?」と聞き、「何でも行動してみないと変わんないし」と江古田ちゃんが食い下がれば「だれの事も好きじゃなく見えるけど」と応酬する(こんな厳しいツッコミ、相手への愛がなければ絶対に成立しない)。とかなんとか言いながら、最後に「あんたさえ私をわかってくれたら男なんていらないわ…」とつぶやき、江古田ちゃんとの変わらぬ友情を確かめるMの愛ときたら、マジで無限大じゃないか。

 それでひとつ思い出したけれど、学生時代、女友だちと3人で喋っていたら「あいつら怖い。なんか悪い相談をしている」と言われ、モテないどころか、女さえ寄ってこなかったことがある(大人数の宴会でも気づくと3人だけ離れ小島状態)。わたしたちはみな江古田ちゃんさながらの分析好きだった。だからみんなはきっと、自分も観察対象にされ、分析でズタズタにされると思ってビビったのだろう。そして、不幸なことに、わたしたちにはMのような存在がいなかった。「愛あるツッコミ」という抑止力を持たない女3人……そりゃあ怖がられても文句は言えない。

 この昔話から導きだせるのは、分析上手の女は、一歩間違えると脅威でしかない、ということである。あるひとにとっては笑える分析も、別のひとにとってはデリカシーのない批判に思えてしまう。そのギリギリのところをすり抜けてゆくからこそ『江古田ちゃん』はおもしろい。そして、わたしたち3人は、そのギリギリを踏み外し、分析のおもしろさではなく批判の恐ろしさだけを周囲に印象づけていたのだろう……猛省!

《「おもしろい女」その5につづく》

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク