あのとき聴いた音楽 灰谷魚
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滅びる前を思い出してる

皆様もご存知の通り、Xという名のSNSはいつも暗い話題で埋め尽くされている。恨み、つらみ、妬み、嫉み、不平や不満、罵詈に雑言、傲慢と偏見、戦争と平和、ごんぎつねと山月記、不倫は叩け、プリンは固め、この国ってもうすっかり終わっているよね、バカヤローまだ始まっちゃいねえよ、キッズ・リターン、投資元本ノーリターン、といった具合。みんな暗い話が好きなのだ。暗い話には治癒効果がある。暗い音楽と同じように。
嫌な気持ちを忘れるのに明るい曲が必要なわけではない。いかなる曲調であっても、好きな音楽を聴けば自然と気持ちは和らいでいく。北欧産の暴虐非道なブラックメタルであってもだ。
子供の頃は周りに音楽を聴く人が母親しかいなかった。母親の幼少期から青春時代までのヒット曲がカセットテープからよく流れていた。江利チエミに始まり、平山みき、山口百恵、薬師丸ひろ子、松田聖子といったあたり。僕も親世代の流行歌を大好きになった。暗い曲を好む傾向にあったかもしれない。スキーター・デイヴィスの「この世の果てまで」も母親のライブラリで知ったお気に入りの一つ。暗いといってもいま聴くとどことなく牧歌的だ。優しい旋律をなぞる歌唱は素朴ともいえるし、恐ろしい殺傷力を秘めているようでもある。『17歳のカルテ』をはじめとする幾つかの映画で悲惨なシーンに使用されているのも納得だ。歌詞については、英語ということもあって子供のうちは内容を知らなかった。中学の頃に歌詞を読んで驚いた。自分がなんとなくイメージしていた内容そのままだったから。要するに、この曲の主人公は「世界は終わったはずなのに、なぜ昨日までと同じように続いているの?」ということをひたすら歌っている。彼女の世界が終わったのは、彼女の恋が終わったからだ。
恋を知らない幼児の頃から、すでに何もかも終わった世界にいるような気持ちで僕は生きてきた(少年ジャンプの続きが気になりすぎるキッズでもあったけどね)。それは僕が九州の山奥の集落で十五歳までを過ごしたからだと思う。永遠に変化のない山村の景色。高齢化社会といっても、過疎地においては老人の数は減りこそすれ増えはしない。若者は流出するばかり。世界はとうに終わっているのに、なぜ昨日より少し花の蕾はひらいているの? なぜ僕の身長は伸び続けるの?(なぜ思ったより早く止まってしまったの?)。いずれ流出してしまう若者の一人という自覚が僕にはなかった。草や木、あるいは蟬と同じものと自分をみなしていた。
大学に合格して上京する飛行機の中でも、一人暮らしのアパートに初めて向かうバスの中でも、当時夢中になっていた最新の曲におりまぜて、僕は「この世の果てまで」を聴いていた。地元から遠く離れた都会の街も、スキーター・デイヴィスの歌声のフィルターを通すと美しく朽ちて見える。そのまま長い年月が経過して、僕はこの文章を書いている。相変わらず暗い曲が好きだ。世界と同じ色をしているから。でも終わった世界にも続きはあるのだ。
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灰谷魚(はいたに・さかな)
「レモネードに彗星」で2023年カクヨムWeb小説コンテスト特別賞、円城塔賞を受賞。25年に同作を含む短編集『レモネードに彗星』を刊行した。


