もういちど会いたい 伏尾美紀

「小説新潮」発 あの人のとっておき

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祖母の家と座敷童子

 座敷童子に会ったことがある。小学一、二年生頃のことだったろうか。母方の祖母の家での出来事だ。
 座敷童子とは東北、主に岩手県で古い家などに住む子供の姿をした神様だと伝えられる。座敷童子の住む家は栄え、反対に、彼らが去った家は没落するとも聞く。そんなこともあってか、座敷童子に会えるという触れ込みの宿も人気のようだ。
 初めにお断りしておくが、私の祖母の家は北海道の、かつては漁師町として栄えたこともあった小さな集落にあった。裕福だったわけでもない。
 毎年お盆の時期は、母に連れられて祖母の家へ泊まりに行くのが習わしとなっていた。
 山あいに建つ古い木造の家で、私と母が眠る大きな仏間には、亡くなった祖父の遺影が長押に掲げられていた。祖父は私が物心つく前に亡くなった。優しい人だったと聞かされていたが、夜中に祖父の遺影から見下ろされるのは、正直、気持ちの良いものではなかった。
 上下水道も整備されておらず、おそらく井戸水を汲み上げていたのだろう。台所には手動式のポンプが設置されていた。便所は汲み取り式のものが外にあった。母屋から十メートルほど離れていただろうか。夜中に尿意を覚えようものなら、星明りと、足元を照らす、母の懐中電灯の心もとない光だけが頼りだった。用を足しつつ何回も、外で待っている母に声をかけた。自分の番が終わると、今度は母が用を足すという。私は一人、懐中電灯を握り締めながら、外で待っていなくてはならなかった。
 そんな祖母の家だが、ある日、老朽化に伴い取り壊されることとなった。新しい家はわずか数十メートルほど道を下った先だ。今度は便所も家の中だった。引っ越しも終わり、古い家の取り壊し作業が始まった頃、私はまた母に連れられて祖母の家を訪れた。
 その日は取り壊し作業が休みだったのだろう。一人、好奇心に駆られて、祖母の古い家を覗きに行った。
 屋根と壁は取り払われ、木の柱と、床の上には剝がされた畳が何枚か、横向きで立てかけられていた。こそりとも音はしない。ふと、誰かの視線を感じた。振り向くと、畳の裏側から、こちらを凝視している者がいた。髪の毛がギザギザに逆立った男の子で、目玉だけがぎょろりとしている。私は悲鳴を上げて外に飛び出した。祖母と母が慌ててやってきた。祖母が畳の裏側を確認する。畳を支える木製の台座が置いてあるだけで、誰もいない。私から人相を聞き取り、近所にそんな男の子はいないけどね、と祖母は首を捻った。母からは気のせいでしょう、と冷たく突き放された。
 絶対にそんなことはないと言い張る私に、「きっと座敷童子を見たんだね」と祖母は優しい笑顔を見せてくれた。
 あれから幾つもの夏が過ぎた。今でも時おり、墓参りに訪れてはこの話を思い出す。
 古い木造の家と、そこで暮らしていた優しい祖母、そして座敷童子はもういない。

 

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 伏尾美紀(ふしお・みき)
1967年北海道生まれ。2021年『北緯43度のコールドケース』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。近著に『百年の時効』などがある。