わたしの東京 兵藤るり

「小説新潮」発 あの人のとっておき

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振り向けば、渋谷

 わたしの人生において、最も縁のある場所はどこか? その答えは一つ、渋谷である。母に連れられ、生まれて初めて映画館で映画を見た場所。殺伐とした中学受験を経て、入学した中高がある場所。脚本家としてのデビュー作を制作したテレビ局がある場所。わたしは人生の節目節目を、渋谷で過ごしてきた気がする。だからこそ、わたしにとって渋谷はいつも自分の近くにあり、いつでも行くことができる場所だった。あのときまでは。

 あのときというのは、数年前のこと。事務所にもどこにも所属していないひとりぼっちの脚本家として、自分の足だけで立たねばという焦りだけを原動力にがむしゃらに生きていたときのこと。いや、その生き方が限界に達してしまったときのことである。ある日を境にわたしは電車に乗れなくなり、あんなに近かったはずの渋谷に行けなくなってしまった。あのとき、わたしにとってはすべてが遠かった。いま考えるとあり得ないけれど、家の前の横断歩道を渡ることさえ、どうしようもなく怖かった。目の前に見える対岸なのに、一度渡ってしまったら二度と帰ってこられなくなるのではないか。そんな気持ちに勝手に襲われ、わたしはそれから逃れるように、数か月家の中に引きこもり続けた。

 このまま一生家の中で生きつくすのか。初めの方は「それでもいい」と思っていた節もあった気がする。でも、長い夜を地道に過ごしながら自問自答するうちに、わたしにはもう一度行きたい町がある、もう一度見たい景色がある、と思うようになった。その場所こそが、渋谷だった。まずは渋谷に行くことを目標にしよう。そう決めた日から、わたしは少しずつ外へと動き出した。帰ってこられなくたっていいじゃないか。どうにかなる。そう言い聞かせて。

 たぶんあのとき、わたしは自分の人生のどうにもならなさに押しつぶされてしまっていたのだと思う。大丈夫、どうにかなる。最初は無理やりだった思い込みが徐々にわたし自身を助けた。久しぶりに電車に乗り、渋谷を目指す。そうそう上手くいくはずもなく、駅にたどり着いただけで逃げ帰ったこともあった。そんなことを繰り返した冬の日。わたしはついに渋谷駅のその先に行くことができた。とてつもない苦痛を感じながらだったけれど、センター街を抜け、わたしはなぜだかゲームセンターに行き、クレーンゲームをした。家族連れ、カップル、外国人観光客に囲まれている自分は、いまだけはクレーンゲームを楽しんでいるただの一人の人間に見えているのだと思うと、無性に嬉しかった。わたしは全く知りもしないキャラクターの小さなぬいぐるみを取って帰った。

 わたしはそんなに強い人間ではないので、あの日のことを人生の節目の一つとすることはまだできない。あのときの自分に戻ってしまう怖さとともに生きているから。でもあの日、渋谷駅のその先へと向かうわたしの背中を押したのは、渋谷で生きてきた過去のわたしだったと思う。

 

兵藤るり(ひょうどう・るり)
1996年東京都生まれ。脚本家。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻脚本領域修了。2024年に「マイダイアリー」で第43回向田邦子賞を最年少受賞。2025年、初の小説『カレンダーのない家』を刊行。