もういちど会いたい 中村季節

「小説新潮」発 あの人のとっておき

更新

タケダのコック帽

 私はいま、大工見習いをしている。

 毎日暑いだの寒いだのといいながらタワマン現場をヘルメットで走り回り、全身あちこちに木屑鉄くずボンド副流煙のヤニくさいのまでこびりつかせて家路につき43度設定の風呂に身を沈めジイイとアブラゼミのような声を漏らしながらああ今日もなんとかやった、生きのびた、と身体の隅から隅まで染み渡った疲れがお湯の中に溶けていくのを眺める。かつてパソコンの前に座るタイプの仕事をやったこともあったが、結局私はまたこの世界に戻ってきた。この世界、というのは、圧倒的な肉体労働の世界だ。国籍も年齢も性格もバラバラの得体のしれない人間たちと共に身体を酷使してなにかを作り出す、この異様な世界へと私をいざなったのは、間違いなくタケダだった。

 タケダは、私が高校生のときバイトをしていた全国的チェーン居酒屋のキッチンリーダーだった。見上げるほど高い背丈からハッハッハというカタカナそのままみたいな笑い声をだし、8口コンロを自由自在に操り、いつも頭のすぐ真上にある業務用換気扇に使い捨てコック帽のてっぺんの不織布部分が吸い込まれそうにバタバタとはためいていた。「あ、リーダーがまた吸い込まれてますよぉ」と各々の担当料理で大わらわの中国人留学生やフィリピン姉さん、厚木のヤンキーで構成されたキッチンチームの私たちは笑った。そうやって私たちがつかの間でも楽しんでいるとすぐ「ねえうるさいんだけど!」とチャチャをいれてくる猟犬チワワことホールリーダーの野口はタケダに惚れていた。タケダに惚れる理由はわかる。タケダは、脳天から青空みたいな男だった。

 魔の忘年会シーズン、キッチンプリンターから排出され続けるオーダー用紙が厨房の床にまで届いてもうとぐろを巻きそうだと半泣きの私たちに「大丈夫だ大丈夫だ!」と狂気の高笑いとともに中華鍋ぶんまわし煮えたぎる油に素手を突っ込み拳大の唐揚げを皿に盛り付けながらコック帽ごうごうはためかせ激務と嫉妬で狂った野口に宴会刺し盛り用のクラッシュアイスを手づかみでぶん投げられたりと現場の苛烈さが増せば増すほどに、タケダがてらてらと光り輝いていく。私も負けじとクラッシュアイスの流れ弾にやられながらも手を止めずに炙りサーモン寿司7シーザーサラダ5に枝豆12を作り上げる、「いいぞ、中村ぁ!!!」とタケダが満開の声を届けてくれる。

 帰って、切り傷とやけどの増えた指とパンパンになった足を風呂に沈めながら、私の胸はバクバクと高鳴っていた。恋とも違う、何か、見つけてしまった、という感覚。それがなんなのか、私にはわからず、そんな夜は夢中で紙に文字を書き連ねた。

 換気扇に吸い込まれたタケダのコック帽が、換気口を通り抜けて、大きな空に舞い上がるようすを想像する。

 雲ひとつない水色のなか、ゆうゆうと風を受けながら、あのハッハッハが聞こえてくる。私はそれを見上げる。

 

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中村季節(なかむら・きせつ)

1987年北海道生まれ、神奈川県在住。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)中退。国内外での映像制作、シェフなどを経て現在は大工見習い。近著に『大工日記』がある。