もういちど会いたい 青木海青子

「小説新潮」発 あの人のとっておき

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光る生命

 今から10年ほど前の話です。初夏の日差しが眩しい頃、関西の都市から奈良の山村・東吉野村に引っ越すことを考えて、家人と二人で頻繁に足を運んでいました。私は仕事を休職中で、東吉野の自然には心潤されながらも、自分自身に対してはすっかり自信を失い、ジリジリと不安に焼かれていたのです。そんな時、自転車を貸してもらって家人と村内をサイクリングする機会がありました。

 木漏れ日が美しい道を走っていると、向こうから小柄なおばあさんが両手を腰に当てて、ゆっくりゆっくり歩いてくるのが見えました。こちらが走り寄ると、彼女の方も私たちに気づいてパッと顔を上げます。目と目が合いました。そうすると、おばあさんの顔が華やいで、「あらまあ」と声を漏らしたのです。私は少し虚をつかれながら、「こんにちは」と会釈しておばあさんとすれ違いました。

 隣にいた家人も、私と似た感覚を覚えていたのでしょう。少し走ってから、「さっきの方、あなたが小さな子どもに見えていたのかな?」と声を掛けてきました。彼女が私に見せた表情がまるで、小さな子どもや、猫やたぬきが横切って行くのを見かけたとか、木々の新芽を見つけたとか、そういう時のようなものだったからです。幼い子が一生懸命何かをしていたり、動物や植物が懸命に生きていたり、そういう生命が内側から光を放つ瞬間を目にした時に、つい心弾んでしまう。そんな感覚は私の中にもあり、生命の光を感じたくて、東吉野に足を運んでいるというところがありました。

 けれど、私自身はその光をとっくに失っているのだと思っていました。子どもの頃には草木や動物たちのように光を放っていた生命が、社会化される中でその煌めきを徐々に失っていくのだと。社会の中で居場所を失い、自分自身の存在すら不要なものなのではないかと自信をなくしていた私には、煌めきなんて残っているはずがないと。けれど、おばあさんの「あらまあ」は、そんな陰を吹き飛ばし「あなたもまた、木々や動物たちのように光る生命なんだよ。懸命に生きているよ」と私の生命そのものを寿いでくれたような気がします。そしてそんな彼女の笑顔にも、私は活き活きとした生命の煌めきを認めたのでした。

 その後東吉野村に引っ越して来て、自宅を私設図書館として開き、ジタバタともがいている内に歳月が過ぎました。あのおばあさんにもういちど会いたいと思うけれど、それは難しいのかもしれません。ただ、「もういちど会う」というのは、もしかしたら今度は私が彼女の側に立って、誰かと行きあうことでもあるのかもしれないと今は思います。書架から本を選ぶ誰かと目があった時、私も彼女のように「あなたは、光る生命だよ」と寿いでみたい。11年目の新緑の季節に、ふともういちど会いたい人の笑顔を思い起こしたのでした。

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青木海青子(あおき・みあこ)

一九八五年兵庫県生まれ。大学図書館勤務を経て、二〇一六年、夫の青木真兵氏と奈良県東吉野村に人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を開設、同館司書となる。近著に『図書館、山へ分け入る』。