わたしの相棒 堀静香

「小説新潮」発 あの人のとっておき

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靄みたいな関係性

 身も蓋もないが、わたしの相棒は夫である。だが夫からは「王様」と呼ばれているので関係はじっさい不均衡であるかもしれない。夫曰く、家でのわたしのふるまいはとにかく横柄であるらしい。昨日も先に風呂から出て髪を乾かしていた夫に、「おしりとおしりでお知り合い」とタオルで拭く前の濡れた身体をぶつけていたら「信じられない」と言われた。何が信じられないのだろう。尻と尻のぶつかり合いこそ、紛れもない実存そのものであるのに。横柄、というより単に下品なだけかもしれない。

 先日、夫が車を擦った。なーにやってんだあ、実刑! と叫びたいところ、ぐっと堪えて冷静にLINEを返す。どのくらいの擦り跡なのか。夫が前の車を同じように擦った時には(擦ったというより雪かきの際、鋭利なシャベルで車全体を搔いてしまって傷が多くついた)それこそ口汚く罵ったのだったが、後から反省した。というのも、もし逆の立場であったら夫は決して怒らないだろうから。送られてきた現場の写真を見るとけっこうな傷が入っていたが、ぐっと堪えて「まあ仕方ないよ!」と明るく返信した。ちいかわのスタンプも添えた。

 先日上梓したエッセイ集『夫は松田龍平じゃないけれど』のなかでも、多く夫についてのエピソードを書いた。じっさいにわたしたちの間に起きたことをそのまま書いている。それが不思議なことに、書けば書くほど夫の実態とは離れてゆくような気がする。わがままでやりたい放題の自分と、そんな妻を受け止める優しい夫。ほんとうには、そんなふうに構造化できるような単純な関係ではない。どちらもが実は邪で人見知りでだらしなく、それでいて楽天的で向こう見ずである。つくづく夫は夫であり、それと同じように、つくづくわたしもわたしである。その「つくづく」に顕れるゆたかさのことを、取りこぼしてしまうのはもったいないことであるなあと思いながら書き、そしてその多くを取りこぼしたまま忘れてゆく。お前は誰の気持ちもわからない、などとお互い罵り合って、また同じ床に就く。夫婦に限らず、そのような関係性の固有さと一般性は両立する。わたしたちという一個のおぼつかない関係が作る靄のようなもの。関係性は靄であると思う。

 うちにはあーちゃんという五歳の子どもがいて、こんな夫婦のやりとりを日々目にしているわけだけれど、今回の件にかんしてわたしが黙ったかわりに「あ~あ~パパこんなに擦っちゃってまあ、違うルートから行けばぜったい擦らずにすんだよね、意味ないよね!」とその場でまくし立てたらしい。わたしの口の悪さがしっかり受け継がれている。改めなければならない、と直感しながらちょっとにやにやする。

 数日後、あったはずの車の傷がどうやら消えている。そんなことある? だってここにあったよ。でもないね。大雨で流れた? あーちゃんが魔法を使った。そうだそうだ。とひとしきり騒いで、アパートの階段を競うように上った。

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堀静香(ほり・しずか)

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人、エッセイスト。著書に『夫は松田龍平じゃないけれど』、歌集『みじかい曲』など。第50回現代歌人集会賞受賞。