第15回 断腸の思いでバッグ断捨離決行! 考察を重ねて辿り着いた3つの法則とは?
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私ごとですが、先日、バッグの断捨離をしました。もう葬式みたいな気分です。たまに「新川さんは一体何個バッグを持ってるんですか?」と聞かれることがある。私は自分が持っているバッグの数を把握しているので、その場で「〇〇個ですね」と即答したいのだが、流石にキモがられるだろうから、「あはは、そんなにないですよ」と答えている。
実際、莫大な数のバッグを持っているわけではない。これまで買ってきたバッグは相当な数にのぼるが、使わなくなったものは適宜処分するからだ。
もともと物を捨てられるタイプだ。片付けをするよりは物を減らすほうが楽なので、使わないものはどんどん捨てることにしている。バッグも例外ではない。使わないバッグが手元にあると気持ち悪いので、できれば手放したい……けれども、バッグを捨てるときには身を切るような痛みがある。前回断捨離したときには微熱が出て、3日弱寝込んだ。
苦しいなら断捨離しなきゃいいだろうと思うかもしれない。だが、バッグというのは道具だから、使わないと意味がない。余計なバッグを持っていると、「たまにはこのバッグも使うか」と出番を与えてしまう。本来活躍するはずだったバッグの出番を奪うことになる。常にベストなバッグを持つために、いらなくなったバッグは自分の視界から消さなくてはならない。一つ一つのバッグについて、どこでいつ買ったのか語れるし、そのバッグを持って行った場所をも覚えているし、思い出はたっぷり詰まっている。だから処分するのはつらいのだが……。
今までの連載では、バッグの選び方、バッグの買い方について語ってきた。今回は「バッグの手放し方」について話そうと思う。
まず、私の場合、バッグはいつのまにか増えている。夫と息子と3人暮らしのマンションで、私物は全て自分の書斎に置いている。作家業をしているので、書斎には仕事用の机とパソコン、本棚がある。その本棚の上や周りにバッグが一定間隔で配置されている。クローゼットの上の棚にもバッグは収納されている。仕事をしていると数ヶ月なんて一瞬で過ぎてしまうのだが、ふとキーボードを打つ手を止め、背後を振り返ると、いつのまにか自分がバッグに囲まれていることに気づく。バッグの山が迫ってきているのだ。一つずつ検めていくと、なるほど、良いバッグだ……と感じ入って数時間が溶けてしまう。しかし流石に量が多くて管理しきれない。バッグが背後に迫ってきたと気づいたそのときが、私の断捨離タイミングである。
話はやや脱線するが、最近「自分がもし100億円持っていたら?」と考える遊びをしている。「100億円持っていたら、今やっていることをやるだろうか?」と普段の生活の中で何度も考えるのだ。歯磨きをしながら考える。100億円あっても歯磨きはするだろう。夜、ホットミルクを飲みながら考える。100億円あってもホットミルクは飲む。布団に入って寝る。100億円あったら、寝具はもう少し高級になるかもしれないが、「寝る」のをやめはしない。朝起きてストレッチをするとか、納豆ご飯を食べるとか、赤ちゃんを抱っこして散歩するとか、こういう「普通の暮らし」は100億円あっても案外そのまま続けていくだろう。考えていくと、面白いことに1日の半分くらいの時間は、100億円あってもやることをやっているのだ。とすると1日の半分は、自分を100億円持っている人だと思って暮らしても差し支えがない。こう思い至ったとき、なんだかとても自由な気持ちになった。100億円稼いだとしても、今の生活と半分も変わらない。「もっと稼がなきゃ」と思う必要はない。
ただし、100億円あったらやりたいこともある。例えば私の場合、大きくて住みやすい家を建て、書庫と読書室を作りたい。読書室には大きな窓をつけて、座り心地の良い椅子を置き、サンルームのような仕様にする。掃除は面倒なのでお手伝いさんにやってもらう。
そして、バッグを適切に保管できるバッグ部屋を作りたい。世界中の様々なバッグを買い、バッグ部屋に陳列し、たまに使いつつ、バッグコレクションを充実させる。私の死後にはバッグ博物館を建てていただきたい。バッグの歴史継承と職人養成のための基金も併せて設立できると嬉しい。


