第八回 恥の多い生涯で

母へ

更新

前回のあらすじ

今月はたくさん締め切りを破ってしまいました。もしかしたら僕は一生まともな大人にはなれないかもしれません。最近、困っています。

拝啓

母へ

 お加減はいかがですか。僕は最近は心を入れ替えて比較的真面目に仕事をするようにしています。仕事の進捗が悪く、このままでは作家廃業だなと思ったので、自分の心の中にイーロン・マスクを飼うことにしました。まあ、ハートマン軍曹でも何でもいいのですが、自分を厳しくマイクロマネジメントしようという考えに基づき、パソコンのスケジュールアプリに15分ごとにタスクを登録して実行するように仕事のやり方を変えました。今のところ順調に進んでいますが、おそらく、来月には嫌気がさしてやめていることでしょう。こんなこと言われても、何を言っているのかよくわからないですよね。

 時間というのは不思議なもので、楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。漫然と過ごしていてもいつの間にか時間は過ぎていく。一方で退屈な時間は永遠のようにすら感じられる。
 時間の価値というのは主観的な状況で変化する気がしています。例えば、朝の出かける前の5分というのは、普段の5分よりも価値が何倍も高い気がする。
 それと似たような話として、過去の時間が貴重だったように思えてくる現象というのがあります。
 当時、その時間を現在進行形で生きていた最中には、たいした価値がないかのように思えていた時間が、あとから振り返ると、非常に貴重で価値が高いものだったように思われてくるという現象です。その時間の価値が自分の中で再評価されて急に高まってしまうというようなことです。
 僕があなたと共にいた時間というのも、要するにそういう時間なのかもしれないと最近はたまに思います。

 高校生になった僕は、作家になるために「他を捨てる」という作戦に出ます。まず僕は、作家のインタビューや伝記的事実を調べることに注力しました。参考になりそうな生き方を取り入れようと考えたからです。安部公房も中島らもも勉強をしなかったという逸話を読み、そこまで捨てる人間が作家になるのだ、と考えました。今になれば、博覧強記で勉強が出来る作家もたくさんいることがわかるのですが、当時の僕は視野狭窄気味というか少し残念な奴だったのでしょう。
 ということで、僕は完全に勉強を捨てることにしました。内部進学でとりあえず大学には行けるということで、それでいいかと考えたのです。そんな僕は高一の一学期で過半数の教科で赤点を取り、あなたはまた学校から注意される日々…。僕は全てを適当に聞き流しながら授業中も本を読み、帰宅後は深夜まで小説を書き、学校は遅刻していくか、授業中は寝るというライフスタイルを選択しました。
 今でこそ作家になったので、まあそういう生き方もあるのかなと受け入れてもらえる余地はほんの少しあるような気もしますが、当時唐突に息子がそのような確信犯的な落伍者に変化したのは、よく考えれば親からするとストレスだっただろうなと思います。成功する見込みもほとんどないし、成功しても大して儲からないことがわかりきっているし…。ということで、庶民の親にとってまるで応援しがいのない夢に向かって邁進するといえば聞こえがいいですが、非常識な態度で学生生活を送るようになった僕に対して、当然あなたは戸惑いつつ怒りました。
 これをあなたはわかりやすい言葉で「反抗期」と捉えるようにしました。あれが反抗期なのかは難しい問題です。一応大人と呼ばれてもいいような年齢になった僕は、あのときほど明確に言い返すことはしなくなったような気はしますが。