第九回 一人で暮らし始めて

母へ

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前回のあらすじ

あの頃、僕の中での優先度は、作家になることが一番上にあり、親孝行や勉強やまともな生活というのは隅の方におしやってしまいました。申し訳なかったなと今となっては思います。それでも、あなたの支えもあって、なんとか大学に進学することが出来ました。

拝啓

母へ

 相変わらず、人生に悩んでいます。あなたが僕を産んでから月日がたち、いつの間にか息子は三十七歳になりました。若いときのようなエネルギーも失われてきました。自分の年齢を鑑みて、今のままの生き方を続けていていいのだろうか、と悩んでしまいます。こういうのを「ミッドエイジクライシス(中年の危機)」と呼ぶらしいです。あなたが三十七歳の頃といえば、僕が五歳の頃ですね。人生に悩んだりしたことはあったでしょうか? それとも、子育てに忙しくて、それどころではなかったでしょうか。
 僕は最近、簡単に言うと、自分がハッピーエンドを迎えられるのかということについて悩んでいる気がします。ついでに、自分がどうなると幸せなのかも、よく分かっていません。人生とは、どう生きるのが良いのでしょうか。結婚するとかしないとか、一生一人でいるか家族を作るかDINKsがいいのか、仕事人間になるか、深夜特急に乗り世界一周の旅にでも出かけるべきなのか、就職でもした方がいいのか。それとも、小説だけ書いている方が幸せなのか。先日、華厳の滝を見たときに思いました。人生はやっぱり不可解です。
 これから数年の実人生に対する態度や選択で何か自分の人生の行く末が決定される予感がありつつ、いまいち期待感を持てず、何をするにもやる気が出ないのです。
 あと五年もすれば、嫌でも生き方が定まっていそうな気がします。
 思えば、昨年のはじめに電話したとき、あなたに「恋人を作ったら」と言われてから、なんだか悩み続けているみたいです。
 しかし、もし僕が無意識のうちに、自分の理想の人生計画のために他人を道具にしようとしているなら、それは随分歪んでいるなとも思います。
 でも、僕はそういうところがあるのです。

 高校時代は色々あったものの、僕はなんとか無事に大学に進学しました。そして、大学生になった僕は、ある時期から特に深い理由もなく、ベタに無頼派の文士に憧れるようになります。なるべく破天荒な生き方をしたいという気持ちで、友だちと飲み歩き、ふと思いました。一人暮らしの方が無頼派っぽいなと。
 実家から大学まで通学に片道三時間弱かかるのもしんどかったので、二年生から一人暮らしをさせてほしい、とあなたに頼みました。
 あなたはすごく嫌そうで、猛反対しました。
 あのときの僕はあなたに対して少し残酷だったのかもしれません。あなたは地元の大学に進学しているのだから四年生まで僕が実家にいるという想定でいた。僕たちは感情的な議論を何日かしましたね。
 それでも最終的にはあなたに納得してもらい、僕は大学二年から一人暮らしを始めました。僕が家を出て行くとき、あなたは寂しそうな顔をしていた。
 僕が一人暮らしを始めたのは、小説を書くことに集中したかったというのもありますが、あのとき、あなたと少し距離を置きたいという気持ちもあったからです。僕とあなたは、一緒にいてもいさかいが増えるばかりで、距離を置いた方が良さそうだという感覚もありました。
 一人暮らしを始めた当初は、家事をするということ自体も新鮮で、僕は一人の生活が楽しかったのです。好きなときに寝て起きて友だちを呼んで部屋で遊んで、好き勝手に生きるのが面白かった。
 あのとき、あなたから、一人暮らしをしたら親のありがたみがわかると言われていたけど、実のところ当時は全然ピンときていませんでした。でも最近は少しそれを感じています。