第十三回 毎日冴えなくて

母へ

更新

前回のあらすじ

根性のない僕は、すぐに部屋を引き払って京都の実家に戻ることにしたのでした。会社をやめて、およそ一年後のことでした。こうして、26歳にして無職の子供部屋おじさんが爆誕することになります。

拝啓

母へ

 年末になりました。あなたの息子は東京で仕事をしています。書くのが遅くて仕事を抱えたままの年越しになりそうです。年明けには仕事が落ち着いて京都に帰れたら良いのですが。
 冷蔵庫を買っておよそ半年、自炊に目覚めて、やたらと料理をしています。といっても、寄せ鍋とか、親子丼とか、家庭料理が主ですが。半年後には飽きて全て嫌になり三食牛丼生活に逆戻りしていそうですが、今のところは続いています。自炊をしていると、あなたの料理を思い出します。自分の料理は、当たり前ですが、あなたの作るものに似ているのです。味噌汁の具はジャガイモとわかめと玉葱にすることが多いし、食材の切り方は大雑把だし、目分量で作って後から味見して味を調えたりするし。あなたと同じように、僕も自炊をするときは、薄味で野菜多めで、栄養バランスに気をつけつつ作ることが多いです。

 さて、前回、東京の一人暮らしの部屋を引き払って京都の実家に帰ってきてからの僕はといえば…それからしばらくニートとしての立場を存分に享受していました。
 あなたはというと、僕が実家に戻ってきて家で暮らすようになって少し安心していたようなところがありました。僕も、それでいいのかな、でもなんだか後ろめたいなという不思議な気持ちでいつつ、実家で作家志望として生活していました。
 あのとき、あなたは、僕と一緒にまた暮らすことが出来るのが嬉しいのだというようなことを素朴に言っていましたね。
「お金がなかったら、あなたの実家なんだから、いつでも帰ってきたらいいじゃない。寝る場所とご飯くらいはあるんだから」とあなたは言っていました。
 そんなあなたが僕に向けてくれる好意的な感情を利用するように…僕は実家で漫然と暮らしました。
 小説を書く気が起きないとき、あなたと二人で居間でぼーっとテレビを見たりして過ごすこともありました。その頃、僕は二十代も半ばを過ぎていて、昼間から働かずにあなたと一緒に時間を過ごしていて良いのだろうか…と少し後ろめたさを感じつつも、ごろごろと過ごしていました。どうせ遊ぶお金もないので、何もする気が起きない日は延々と散歩などして、ただぼんやりゆっくりと時間が過ぎていくのでした。
 晩飯どきなど、たまにニュースで、無職が凶悪な犯罪を犯したという報道が流れたりすると、お茶の間にピリついた空気が漂ったりもしました。そのたびに僕は全国の無職に、どうか罪を犯さず平穏無事に生活してくれと密かに念波を送ったものです。
 たまに編集者の友だちから仕事をもらってエッセイを書いたりしていたものの最初の頃は月に原稿が一本で報酬が五千円とかでそれでご飯が食べていけそうということも全くなく、僕はだらだらと作家志望としての生活を送るばかりでした。毎日こつこつと小説を書いてはいましたが、新人賞が取れそうな手応えもなく、むしろ、どうやったらデビュー出来るのか書けば書くほどわからなくなっていくような日々で…こんなぼんやりとした生活をしていていいのだろうか、もしかしたら自分は作家になれないのかもしれない、という気持ちにもなりました。
 やがて、家計も苦しいということで実家に毎月三万円を入れる約束になり、僕は近所のコンビニで働き始めることになりました。コンビニで働きながら、作家になれないなら、自分はどういった人生を歩むのだろう、ということを、ときどき想像しました。コンビニでは社員にならないかと誘われたこともあったので、もしかしたら京都で働き続けて、あなたのそばで暮らしていたのかもしれません。