透明になれなかった僕たちのために

透明になれなかった僕たちのために

  • ネット書店で購入する

 そのまま僕は三年くらい京都で小説を書いていました。今思い返せば尋常では無い日々で、ひたすら小説を書いていたのも、狂気の入り混じった日々だったせいかもしれません。良い歳をした息子が作家志望ということで家に居るのを許されていて、ただ小説を書いているというのも、奇妙な生活だったように感じられます。あれを思い返すと、やっぱり自分はある程度以上に小説が好きだったのかなと感じます。そうでもなければ、あまり遊びにも行かずただ小説を書くだけの日々なんて耐えられそうもない気がします。
 やがて三年が過ぎようとする頃、僕は父に食卓で「三十になるまでには家を出て行って欲しい」と告げられます。それを聞いて、僕は、まあそうだろうなという気持ちにもなりました。父の言っていることは妥当な話だなと感じたのです。
 この先も親元でずっと小説を書くというのは、世間的な常識感覚に照らし合わせるといささか危うい話であって、三十歳という線引きも当然だろうという気がしました。これから小説をまだ書き続けるにしろ、一旦、生計を立てる手段を別に持たなければならないと思いました。
 僕は、友人知人が多く住んでいて何かしら書くことに近い仕事がありそうだという漠然とした理由から東京で就職がしたかったので、その日から、たしか四十九連勤でバイトをこなし、就活資金を貯めて、リクナビNEXTにフリーメールのアドレスを登録して、その受信箱を開いたのです。
 出版社の編集者から一通のメールが来ていました。「今年も新人賞に小説を応募しますか?」と書かれていました。それは僕が当時投稿していた小説の新人賞を主催する出版社の編集者から送られてきたメールでした。その内容は、もし今年も新人賞に応募する気があるのなら、一度原稿を見せて欲しいというものでした。
そうしたことがあるとは噂には聞いていたものの、このタイミングで来るのか!と思いました。とはいえ、チャンスというのは、自分に都合の良いタイミングでは来ないものなのかもしれません。もちろん、編集者に原稿を見てもらえるからといって、デビュー出来る確率が雲をつかむほどに現実味のない低さであることに変わりはありません。
 僕は「もう作家になるのは諦めようと思っているので、小説は書かないと思います」というメールを書き始めました。

 寒い日が続いていて、インフルエンザも流行しています。どうか体に気をつけて過ごしてくださいね。また近いうちに会いに行きます。

 息子より

(つづく)
※この連載は、不定期連載です。