第十四回 諦められなくて

母へ

更新

前回のあらすじ

出版社の編集者から一通のメールが来ていました。「今年も新人賞に応募しますか?」と。僕は「もう作家になるのは諦めようと思っているので、小説は書かないと思います」というメールを書き始めました。

拝啓

母へ

 いかがお過ごしでしょうか。
 そういえば先日誕生日を迎え、三十八歳になりました。去年までは毎年あなたから「誕生日おめでとう」というメッセージをもらっていましたが、今年は父がメッセージをくれました。
 あなたが再び入院したことを父から先日聞きました。血液の数値が悪化して、あなたが抗がん剤治療のために再入院してから、心配していますが、あなたとまた会える日を楽しみにしています。こんな連載をしているからか、最近、あなたと過ごした日々をよく思い出します。記憶の中のあなたは、よく笑っているような気がします。

 あのとき、僕はもう小説を書くのをやめようと思っていたのです。
『僕は今年は小説を送らないと思います』
 でも、結局、僕はそのメールを送ることが出来ませんでした。
 自分の人生について再度冷静になって考えてみると、ここで小説から逃げるのは、何か人生全体としての一貫性に欠けるような気がしました。気持ちが悪いというか、変だと思ったのです。もしこれが物語だったとして、普通に考えてここで逃げないだろうなと感じてしまった。
 ともかく、機会というのは自分に都合が良いタイミングでは訪れないものです。ここで飛び込めないなら自分はダメだろうという予感もありました。
 それから、自分がこれまで費やしてきた労力と時間、それらが無駄になってしまうということについて、深く悩みました。もしこのタイミングでメールが来ていなかったら、僕は小説を諦めていたかもしれません。しかし、いざという時には諦める決断が出来ませんでした。このまま諦めたら、一生後悔し続けると感じてしまったのです。
 結局、僕は小説が書きたかった。それも、のるかそるかの状況で書くタイミングが来ることをずっと無意識では望んでいた。この瞬間が来るのをもしかしたら自分は待っていたのかもしれないとも思いました。
 悩んだ僕は、自室から階段を下りて居間へ向かいました。居間にはあなたがいて、僕は「もし俺が小説を諦めたら、どう思う?」とあなたに問いかけました。
 あなたは困ったような顔で、少し考えてから言いました。たしか「まあ、よくわからんけど。別に、あなたがどんな風になっても、あなたはあなただし。自分が決めることや。でも、それでええのか? お金のことは、どうにでもなるよ」というようなことを言っていた気がします。こう書いていて思うのですが、記憶というのは、決して明瞭な物ではなく、少しずつ何かが変わっていく手触りがあります。思い出すたびに、その都度、新しく何かが立ち現れていくような感じがして、だから、僕は今、不思議な気持ちであなたの顔を思い出しています。