第十五回  あなたはいつも優しくて

母へ

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前回のあらすじ

小説を書くのは怖いことです。その言葉が書く恐怖と戦うための心の支えになっていたかもしれない。あなたの『大丈夫だよ』が、子供の頃からずっと僕の背中を押してくれていたのだと感じます。

拝啓

母へ

 最近は珍しくずっと小説を書いています。何か急に変な衝動が降りてきて、取り憑かれたように創作をしているのですが、それが良いことなのかどうかは自分でもよくわかりません。外は花粉がひどそうで、いよいよ外に出かけるのも億劫になり、狭いワンルームの部屋で一人で書いていると、二酸化炭素濃度が気づかないうちに濃くなっているのか、息苦しさを感じます。
 こんなふうに僕が閉じこもって書き続けている間、あなたはどんな毎日を送っているのだろうと時折思います。元気でいるのか、あるいは僕と同じように、どこかにこもって世界と距離をとっているのか。もしかしたら、僕が知らないうちに、すっかり変わってしまったかもしれないと、急に不安になったりもします。あなたが今、何を感じていてどんなことを考えているのか知らないまま時間だけが流れていくことに、妙な寂しさを感じたりします。

                  *

 僕が初めて「作家になる」なんてことを口にしたのは、中学三年生の頃で、あなたは台所で夕飯の支度をしていて、テレビでは何度目かのドラマの再放送が流れていたと思う。たしか織田裕二主演の『お金がない!』という作品で、それは僕とあなたの当時の口癖のようなものでもありました。僕はあなたの背中に向かって「僕は作家になりたい」と言いました。
 あなたは一瞬だけ、こちらを振り向いた。「なれるんじゃない」それ以上の言葉はなかった。すぐに視線を手元に戻し、料理に戻った。
 それから十四年が過ぎて、僕がまた作家になりたいと口にしたとき。そのときもあなたは、いいんじゃない、と軽く僕の背中を押してくれた。
 それからしばらくして⋯⋯小説の新人賞に応募した作品が最終選考に残ったという連絡が来ました。あの夏の夜は、そろそろ連絡があるころだということで、毎晩、床に正座して電話がくるのを待っていたのです。ここで電話がこないと自分は終わりだと思っていました。そうしたら、本当に電話がかかってきた。最終選考に残りました、という話でした。その後、最終選考で運よく受賞し、助かったと思いました。受賞したのは『君は月夜に光り輝く』というタイトルで、僕はこの作品で作家としてデビューすることになリました。
 やっぱり、思い返すと、あれが人生で一番嬉しい出来事だったかもしれません。
 あなたも喜んでくれました。父は、新人賞を取ったくらいでうまくいくとは限らない、というスタンスでした。まあ、それもわかると思いました。
 あのときはあなたが喜んでくれたことが嬉しかった。