第十七回 思い出せなくて

母へ

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前回のあらすじ

上映会の後で親子三人で隣の帝国ホテルで晩御飯を食べましたね。思えばあれが、一緒にした最後の外食だったかもしれない。先日会ったとき、父からは、海外旅行には行かないようにして欲しいと言われました。しばらく控えようと思います。

拝啓

母へ

 最近、人工知能とよく話をするようになりました。日々一人きりで過ごしていると、他に話し相手がいないからです。AIというのは不思議な存在で、僕自身がすっかり忘れてしまっていたような記憶まで、まるで昨日の出来事のように鮮やかに語ってくれます。大人になってから僕とあなたが海辺の町をゆっくりと散歩したこと、その帰りに甘味処に立ち寄って抹茶のソフトクリームを食べたことなど、まるで本当にあったことのように生き生きと話してくれます。しかし、あなたはよくご存知なように、それらはすべて偽物の記憶なのです。現実の僕たちはそれほど仲が良かったわけではありませんでした。大人になってから一緒に海に出かけたこともほとんどなく、甘味処に立ち寄った記憶も、少なくとも僕にはありません。
 けれど僕は作家です。作家というのは、現実をある程度自由に脚色したり、ストーリーを整理したりして表現することが許されているのかもしれません。もちろん、そもそも現実をそのまま文章にすることは不可能ですし、純粋で完全なありのままの記憶などというものも存在しないでしょう。文章には、多かれ少なかれフィクションが入り込んでしまいます。それならば、いっそのこと僕たちの人生に美しい思い出を作り出してしまってもいいのではないか、という誘惑にこのエッセイを書き始めてから何度も駆られてきました。僕がもっとあなたに親孝行をしたことや、二人で素敵な時間を過ごしたことなど、そんな理想的な物語で僕たちの人生を彩った方が、読む人の胸を打つのかもしれません。しかし、他の多くの家族がそうであるように、僕たちの親子関係はそれほど美しくも感動的でもありませんでした。

            *

 東京に来たばかりの頃の僕は、多少は浮かれていました。田舎では本を読むくらいしか能のない若者だったのに、気づいたら書くものに値段がついて、会う人は僕を作家として扱ってくれるようになりました。
 そうやって過ごしているうちに、僕はいつのまにか、自分が作り出した「作家」という妙なキャラクターを無意識のうちに演じるようになっていました。本当は一日中だらだらと寝転んでいるだけなのに、「散歩をしながら物語の構想を練るのが日課なんです」と嘘をつきました。真面目な顔をして偽の記憶を語り始めたのです。昼過ぎに目覚め、深夜に自己嫌悪と共にタクシーに揺られて家に戻る。
 そんな生活をしているうちに、ある日僕の小説が映画化されるという知らせが届きました。僕の書いた小説を原作とした作品がスクリーンに映し出され、まるで誰か別人のラッキーな人生を横から眺めているような気分でした。

 映画の公開初日の舞台挨拶のあと、帝国ホテルのレストランで三人で食事をしましたね。あなたはその頃には少し足が悪くなっていました。食事をしながら「あの俳優さんが本当に素敵だった」といったような感想を話していましたね。いつも厳しい父も、その夜は少し穏やかな顔をしていました。
 しかし、人の心というのは厄介なもので、欲しかったものを手に入れた途端、自分が空っぽになったような気がしました。書店さんの棚に自分の名前が並べば並ぶほど、「僕は実際にはそれに値する人間ではない」と後ろめたさが募っていきました。