『名前のないカフェ』の翻訳者が注目する、ドイツ語圏のミリオンセラー作家が「木を彫るようにして」書く物語
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戦争の名残をとどめるウィーンで、孤児院で育った男が開いた小さなカフェ。市場で身を粉にして働く者、盛りをすぎたプロレスラーなど、それぞれ孤独を抱えた人々が、束の間の居場所を求めて集まった――。
ドイツ語圏のミリオンセラー『ある一生』の著者が、時代から取り残され、居場所を失った人々を端正な文章で愛情深く描き出した傑作長篇『名前のないカフェ』 (ローベルト・ゼーターラー著、浅井晶子訳)。翻訳者の浅井晶子さんがその魅力について記します。
※本記事は、新潮クレスト・ブックス『名前のないカフェ』の訳者あとがきを編集したものです。
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一九六六年、オーストリアの首都ウィーン。孤児として育った三十一歳のローベルト・ジーモンは、戦争で夫を亡くした年配の婦人がひとりで暮らすアパートの一室に下宿し、市場で半端仕事をこなして生計を立てていた。気楽なその日暮らしに不満はなかった。けれど終戦から二十年、街は大きく変わりつつあり、ジーモンもまた時代の追い風を受けるように、ある日市場近くの店舗を居抜きで借りて、カフェを開店する。
店があるのは「ウィーンで最も貧しく薄汚い地域のひとつ」。供されるのは、コーヒーとお茶、ビール、ワインなどの飲み物に、キュウリの塩漬け、ラードを塗ったパンといった簡素な食べ物だけ。それでもそこは市場で働く商人たちや近所の人々の憩いの場になっていく。常連客もできる。ふさわしい名前を思いつかず、カフェはただの「カフェ」のまま、名前なしで続いていく。
名前のないカフェで、さまざまなエピソードが紡がれる。求職中に空腹のあまり倒れた若い女性ミラが、市場の精肉店の主人に助けられ、カフェで働くことになる。開店後最初の冬に客足が途絶えたときには、戦争未亡人がジーモンにパンチの作り方を教える。ドイツ語ではPunsch(プンシュ)と呼ばれるこの香り高く温かな飲み物が、カフェに再び客を呼び込む。プロレスラーがミラに恋をする。ユーゴスラヴィア出身だというヤーシャが死んだ鳩を抱いてカフェに駆け込んでくる。牛乳・チーズ商のハイデとロシア人画家ミーシャが激しい痴話げんかを繰り広げる。テラス席では常連のふたりのご婦人が、あれやこれやと歯に衣着せぬ世間話――
本書『名前のないカフェ』は、いまや現代オーストリアを代表する作家となったローベルト・ゼーターラーが、ウィーンのとあるカフェを舞台に店員や客たちの人間模様を描いた一種の群像劇だ。
ウィーンはカフェ文化で名高い町だ。広々した空間に、画家、文筆家、音楽家、評論家、学者とさまざまな人が集い、創作したり、議論を交わしたり、アイディアを練ったり、ただ時間をつぶしたり。コーヒーを飲むためだけの店ではなく、「場」としての機能を持つカフェから、数多くの思想や芸術作品が生まれた。
本書の舞台であるカフェも、そんなウィーンにある。けれど芸術が生まれるような店ではない。もっと泥臭い、よく言えば地に足の付いた場所だ。文化の香りよりは庶民の日常生活の猥雑な音と匂いに溢れている。目の前の市場で商いをする肉屋や魚屋、建設作業員、工場労働者などが、仕事の合間や一日の終わりに訪れて一杯ひっかける場所。正体不明の人間もやってくる。日本で言えば昭和時代の喫茶店のようなものだろうか。酒も出ることを考えれば、居酒屋の要素もあるかもしれない。いずれにせよ、どこかお洒落なイメージのある日本の「カフェ」とは別のカテゴリーに属する場所だ。
ヨーロッパでも近年はコンセプトや雰囲気に工夫を凝らしたカフェが多く、客が自分でカウンターに並んで注文するアメリカ式の「コーヒーショップ」も増えた。だが昔もいまも、カフェというのが日常生活のなかにありながら日常をつかの間離れて過ごせる場所である点は変わらない。本書には、店主のジーモンが、自分は客たちの「素性をほとんど知らず、それなのに彼らのことをよく知っている」と思い巡らす場面があるが、まさにそれこそがカフェという場所の特殊性だろう。ジーモンという天涯孤独な、周りから少し距離を置いた店主の視線を通して描かれるのは、そんな場所を舞台にしてしか描くことのできない人間模様だ。
著者ローベルト・ゼーターラーは本書の舞台となるカフェと同じ一九六六年、同じウィーンに生まれた。二〇〇六年、『Die Biene und der Kurt(ビーネとクルト)』でデビューした後、『Die weiteren Aussichten(より広い見通し)』(二〇〇八年)、『Jetzt wirds ernst(これからが本番だ)』(二〇一〇年)、『キオスク』(二〇一二年 邦訳二〇一七年)、『ある一生』(二〇一四年 邦訳二〇一九年)、『野原』(二〇一八年 邦訳二〇二二年)、『Der letzte Satz(最終楽章)』(二〇二〇年)と次々に小説を刊行、いずれも高い評価と読者の支持を得た。特に『キオスク』と『ある一生』は大ベストセラーとなり、映画化もされて、ゼーターラーの小説家としての地位を確固たるものにした。ゼーターラーの著作は四十言語に翻訳されており、『ある一生』ではブッカー賞のショートリスト入りも果たした。本書『名前のないカフェ』も二〇二三年に刊行されるや大好評を博し、その後何カ月にもわたってベストセラーリストに載り続けた。
ゼーターラー作品の類まれな魅力は、物語そのものに加えて、それを描き出す端正な文章にある。ゼーターラー本人の言葉によれば「木を彫るようにして」作り出した彼の文章は簡素でありながら美しく、奥深く、事物の本質をまっすぐにつかみ取って表現する力を持っており、読者を物語世界に難なく引きずり込む。
その並々ならぬ筆力によって、『ある一生』では主人公の一生を通して二十世紀という時代を浮かび上がらせてみせたゼーターラーは、本書でも一九六〇年代と七〇年代のウィーンの街を、その匂いや音や空気感まで含めて鮮やかに立ち上がらせる。戦後の荒廃から立ち直り、街が目覚ましい発展を始めた時代は、同時に古き良き店や場所や価値観が淘汰されていく時代でもあった。ジーモンのカフェに集まるのは、時代から取り残され、居場所を失い、年を取っていく人たちだ。本書の終盤でジーモンが書く手紙が印象的だ。「世の中の回転速度はどんどん上がっていますから、人生に充分な重みのない人たちが軌道から投げ出されてしまうこともあります。そんなときにしがみつくことができる場所があるのは、いいことではないでしょうか」
「名前のないカフェ」は「名もなきカフェ」でもあった。名もなきカフェにいっとき集い、またそれぞれの人生に戻っていった名もなき人たちの弱さ、醜さ、失ったもの、届かなかった願い、ささやかな幸せ、そのすべてをゼーターラーは一切の感傷を交えず容赦なく描き出す。それでも彼の冷徹な文章からは、間違いなく登場人物たちに対する深い愛情が感じられる。
小説を翻訳していると、ときに登場人物たちがまるで本物の友人や知人のように感じられてくる。ジーモンのカフェが開店してから、二〇二六年でちょうど六十年。カフェでつかの間のときを過ごした彼らのなかに、まだ生きている人はいるだろうか。なにより、彼らはその後どんな人生を送ったのだろう。本書を訳し終えて、登場人物たちと別れたいまでも、私はたまにそんなことを考える。「ターゲスシュピーゲル」紙で本書は、「まるで著者自身がジーモンのカフェで毎日登場人物たちに会っているかのようだ」と評された。日本の読者にも、読了後、名もなきカフェにつかの間通ったかのような気持ちで本を閉じていただければ、訳者としてこの上なく嬉しく思う。
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浅井晶子(あさい・しょうこ)
1973年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位認定退学。著書に『ポルトガル限界集落日記』、訳書にローベルト・ゼーターラー『ある一生』『野原』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、パスカル・メルシエ『リスボンへの夜行列車』、ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』、シャルロッテ・リンク『罪なくして』、ユーリ・ツェー『メトーデ 健康監視国家』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』など。2021年日本翻訳家協会賞翻訳特別賞を受賞。








