第六回 例外的に一人称の語り手が登場する『心とろかすような』
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宮部みゆきさんが一人称を滅多に使わない作家だということ、皆さん気づいておられましたか? とっくに知ってるよという方は、相当なミヤベオタクです。ファンであってもこういうことには案外気づかないものです。
「私」の眼で見ているように描かずに、彼は彼女は、太郎が花子が、というふうな三人称を専らとする宮部さんですが、今回ご紹介する連作短編集『心とろかすような』では、例外的に「俺」という一人称の語り手が全作を通して出てきます。
「私」や「僕」じゃなくて「俺」。実はこの主人公、犬なんです。名前はマサ。しかも元警察犬のジャーマン・シェパード。人間よりも立派な探偵役がつとまりそうな犬種ですよね。
動物を語り手とする小説は、日本では『吾輩は猫である』がその嚆矢であり代表格ですが、個人的な好みを言えば、ジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』が最高です。主人公のセント・バーナード種の犬が園丁の手伝いの男に連れ去られアラスカで強制労働の憂き目に遭う。しかし命からがら脱出、やがて野性に目覚めてゆく、という勇壮な作品で、ここでもそのセントバーナードが視点人物(犬物?)なんです。犬が主人公となると、私なぞは真っ先に『荒野の呼び声』への連想が働いてしまいます。
さてこの『心とろかすような』は、サスペンス系のミステリー小説ですから、主人公ともなると、犬とはいえ動き回るし推理もする。蓮見探偵事務所に所属する犬なので事件解決に向けて大活躍するわけです。「マサ、留守番する」では、慰安旅行で社員不在となり、マサが隣人の翻訳家の女性の世話になっている時に事件を持ち込まれるんですが、マサは、ここぞとばかり近所の犬や猫、カラスにまで聞き込みをして廻る。
さて、今回ご紹介する短編は、この中の最終話「マサの弁明」です。この作品のキモは、宮部みゆき氏その人が蓮見探偵事務所に依頼案件を持って訪ねてくるということ。それだけでもサプライズですが、何と宮部さん自身に過去の重大事件の嫌疑がかかるんです。宮部さんって実は怪しい人だったのかも……。
長編サスペンス小説『パーフェクト・ブルー』の続編として書かれた五作から成るこの短編集、創元推理文庫でお求めになれます。